575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

山形一泊の旅 ~ 酒田へ 向かいながら ~ 竹中敬一

2018年12月29日 | Weblog

10月28日 愛知県小牧市の県営名古屋空港から山形空港へ向かう

飛行機の中で " これまで、山形へ行ったことはあったかなァー "

などとぼんやり考えていました。

平成 12年 、妻が胃がんで亡くなり、しばらく経ってから、障害の

ある息子と年に一回、バリアフリーの部屋がある 「 かんぽの宿 」

に泊まることにして、どこかに旅することにしていました。

米沢市へ行ったことを思い出しました。日記で調べてみると平成14年

のことでした。

その日の夕方、宿に到着。一泊した朝、息子が突然、大発作を起こし

急遽、米沢市民病院へ運ばれたのです。

ここで、一日中、点滴を受け、その後、どこも見ずに帰って来ました。

しかし、米沢市民病院で出会ったどの人も大変、親切であったことは

今も忘れることはありません。

いまでも米沢と聞くと何か温かいものを感じます。

旅の思い出は名所旧跡よりも、一期一会、人との出会いにあるのかも

しれません。



その頃、息子は年に一回の旅をする前、日本地図を広げて、まるで占い

でもするように、" ここへ行きたい " と指さします。その近くの

「 かんぽの宿 」を探して 出かけているのですが 、平成18年、息子が

指さした所は福島県の相馬 ( そうま )。

なぜ、相馬なのか本人もわかっていないと思いますが、松島の「 かんぽ

の宿 」に泊まりながら、レンターカーで国道 6 線を東京電力第一原子力

発電所の近くを通って相馬まで行きました。

6月の頃でこれといった見るところもなく、すぐに相馬から亘理 ( わたり )

経由で 又、松島へ帰って来ました。

それから、5年後、まさか、あの東日本大震災が起きようとは。

私たちが車で通った辺りは最も大きな被害をうけました。

悲しいことです。私たちが泊まった風光明媚な所にある 「 かんぽの宿 」

も大きな被害を受け、その後、解体されたという二ユースを知りました。


その 「 かんぽの宿 松島 」での 私の忘れられない思い出 。

その日の朝、朝食をとるため、息子を車椅子に乗せて午前七時の開店少し

前に、レストランへ行くと、すでにどこかの高校生の長い行列ができて

いました。

そこで、この行列が入り終わった後にしょうと、少し離れたところで

待っていました。

すると、開店になると同時に、一番前列の女子生徒が突然、私たちの

ところへかけて来て、" お先にどうぞ " と言ってくれたのです。

高校総体の予選かなにかで、多分、福島県内のどこかの高校の選手たち

だと思いますが、思ってもみない若者の爽やかな行動に私は言う言葉を失い、

お礼も言わずにいたことをいまでも悔やんでいます。


回想に耽っていましたが、次回は山形の旅に戻します。

            

写真は 「 兼元浩祐 著 てんかん学ハンドブック 医学書院 2018 発行 」
息子、健の油絵の一部を表紙に使って頂きました。

息子がつけた題名は 「 脳の頭脳字ごちゃごちゃ 脳細胞絵ついた物 」

著者 兼元先生 ( 愛知医大 教授 )の説明文
「 作者は現在48 歳 ( 本書発行時 ) 生後11ヵ月で脳炎。以後、知的障害、
難治てんかんが現在まであり。独特な世界観を持った膨大な量の絵画を制作。
カバー絵はその1つ 。( 兼元浩祐 )

   目を覚ましカーテンを開けて!!雪でした。
           いい思い出ですね。遅足
            

コメント
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