575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「自由律の女優俳人」

2020年11月29日 | Weblog



夏目雅子<なつめまさこ> 1957年 横浜の生まれ。
江戸時代は徳川家の御典医。時を経て雑貨商を六
本木で営んでいました。やがて、東京オリンピッ
クの道路拡張により貸しビル業に転向して財を築
きます。夏目は東京女学館短期大学で仏語を専攻。
しかし、在学中に懇願され出演したTVCMが原因
で中退を余儀なくされたことで、芸能界入りを反
対していた母との確執に悩むことになります。

1977年 カネボウ 夏のキャンペーンガールに抜擢。
このTVCMによりスターダムの階段を駆けあがり
ます。さらに、夏目はTVCMで使われた曲を和訳
して歌手としてのデビューも果たします。ちなみ
に、このTVCMのディレクターが、その後、直木
賞作家となり、夏目の夫となる伊集院静です。ま
た、田中好子は夏目の兄の妻。

夏目は、都内でも裕福で垢抜けた才媛の集まる東京
女学館です。しかし、17歳の夏目は古ぼけた老人の
趣味といわれていた俳句に没頭します。やがて、伊
集院に誘われ写真家の浅井慎平が主宰する「東京俳
句倶楽部」に入会。夏目の俳号は「海童」でした。

「傾けば 冬の夜に 温」<海童>

夏目は、自由律を好むために破調が多く、尾崎放哉
のごとく音数に齟齬が生じることをあえて楽しんで
いた印象があります。

「時雨れてよ 足元が歪むほどに」<海童>

「寒空に 赤い火は 有り難い」<海童>

上記の「寒空」の句など、種田山頭火を彷彿。夏目
は放浪の俳人たちを私淑していたといわれています。

夏目雅子。白血病にて急逝。享年27歳。最後の句は
慶應病院から眺めた神宮の花火といわれています。

「間断の 音なき空に 星花火」<海童>

キヤノンの仕事でお世話になりました。あらためて、
ご冥福をお祈りいたします。

「叩いても 叩いても 咳(しはぶ)いて壊れた」<海童>


写真と文<殿>
コメント
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