575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

鰤かまや真鶴の海現れる     朱露

2009年12月17日 | Weblog

      鰤のかまを買って甘辛く煮て酒を飲む。
      戦後すぐ在所の真鶴で鰤網が復活した。
      市場へ揚げそこなった鰤は拾っていい。
      寒の海へ飛び込んで拾う勇気はないネ。

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冬の空ひとにはひとつ喉仏   遅足

2009年12月16日 | Weblog
船団の早瀬淳一ドクターのコメントです。

 冬の空の下、雑踏を歩いている老若男女。
着飾った若い女性、人生これからの張り切った男性、やや疲れた中年男女、
所詮それぞれの一つずつの喉仏が雑踏を歩いている光景が目に浮かぶ。
または、冬空の下の火葬場で骨になった喉仏が一つ転がっているイメージ。
少しぎょっとさせられる表現だが、それでも何か温かい、からっとした読後感。

ありがとうございます。
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子を思う総理の母と我が母と 朱露

2009年12月16日 | Weblog

         私の母は私が三十の時五十八で死んだ。
         非常に忙しくて死に目に会えなかった。
         父と結婚させられたのが間違いの元だ。
         これで事態は紛糾して未だに正解なし。

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触らぬ神さま   鳥野

2009年12月15日 | Weblog
俳句や短歌を始めようとする時、表記は「旧仮名にしますか、新仮名でいきますか」と尋ねられます。

どちらかを選択して決めねばならず、時と場合によってどちらでも、というわけにはいかないようです。

結句の”ゐる、をる、らむ”などの座りのよさ。短詩型はやっぱり旧仮名に限るよね、なんて気軽に選ぶと大変。

うろ覚えや当てずっぽうでは間違いだらけ。用言の活用となると手に負えません。

仮名文字を使おうとすれば、辞書と首っきりという破目に。

折るはヲる、織るはオる、口はコウ、甲はカフ、光はクワウ、劫はコフ・・・。

従って、触らぬ神に祟りなし。と、ワタシめは、「新仮名遣い」とゆう次第です。

 ・ 夜な夜なに幼怯えさすクワイジンよ訪いこよ吾を赤い花掲げ

                        鳥野
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数へ日と書く旧仮名の気分かな   朱露

2009年12月14日 | Weblog

       「数へ日」は押し詰まった年の暮れのこと。
       新仮名遣い一点張りだとこんな句はダメだ。
       国民学校で勉強していないと無理でしょう。
       国民学校児童は間もなく居なくなりますが。

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荻原俳句教室    遅足

2009年12月13日 | Weblog
先日の兼題は「短日」でした。

  短日の円の描けないボールペン  遅


先生のコメント
「短日」と「円の描けない」という言葉の間に、
抽象的なつながりを読み取らせようとする感じがする。
なにか、観念的なことを表現しようとしているように読めるが、
それが何なのか?明確に伝わってこないが。


 そういう意図はなくつくりました。
 ペン先のボールがうまく回らないザラザラした感じと
 短日、という季語の持っている空気がつながるのでは?


 書きにくいボールペンのことなら、
 短日の円描きづらきボールペン
 としたほうが良いのでは。

    

  短日の○の擦れるボールペン

    

教室では、こんな句も。

  短日やなりて久しき共白髪  Kさん

短日の「短」、久しきの「久」のコントラスト。
白の清潔感が響きあっている良い句です。

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年用意まあ書き易いボールペン   朱露

2009年12月13日 | Weblog


     畳替えや晴れ着、などと歳時記にある。
     やりたい人はやるがいいだろうと凄む。
     歳時記はコンニチの日本に合ってない。
     日本を歳時記なみの暮らしにしようぜ。

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荻原俳句教室より   遅足

2009年12月12日 | Weblog
短歌の上句にした575です。

  薄氷の瞼の下に母眠る

先生のコメント
薄氷の瞼、という表現はとても良い。
「の下」が、少し理屈っぽく感じられる。
また、薄氷の瞼を持っているのが母であると、
必ずしも読まれない可能性がある。
私が母の眠る夢を見ている、とも読める。
すっと読めるようにしたほうが良い。

  薄氷の瞼を閉じて母眠る


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短歌を6首    遅足

2009年12月12日 | Weblog
母の死を俳句に詠むには、少し時間が必要のようです。

とりあえず短歌の連作で。

    

  薄氷の瞼の下に母眠るわが呼ぶ声に揺るるたましい

  血中の酸素濃度の計測が不能となりぬ冷えてゆく母

  手をおけば喉のあたりの温かし母は涅槃に進みたまえり

  涅槃とは束の間の華(はな)初冬の大地へ還る母となりゆく

  三年の病歴記す日記は冬の光の中に

  復活を説く人ありぬ遥かなる火種のごとく母の死はあり

    

短歌と俳句の違いが、なんとなく実感できました。


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言いにくい「民意」なる音十二月   朱露

2009年12月12日 | Weblog

     広辞苑は「人民の意思」と一つだけだ。
     用例も「民意を問う」の一つしかない。
     これだけ紛れのない言葉と用例はない。
     もうこうなるとサッサとやるしかない。

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イタチ         草女

2009年12月11日 | Weblog
 11月27日、湖北のバードウオッチングに参加した。コハクチョウ、キンクロハジロなどなど冬鳥は顔をそろえていた。ずっうと憧れていたタゲリの群れにも出会って満足した後、早崎のビオトープを観察することになった。ここはコハクチョウの塒のために水田を池に変え、周りには、アシなど残してある。コハクチョウだけでなく、他の水鳥やまれにクロツラヘラサギという珍鳥がやってくる。この日はコハクチョウが10羽ほどいただけであるが、みんなはビオトープを一回りするようであった。
 その日、理由も分からないまま踵がひどく痛かった私は、みんなとは逆に来た道を引き返した。ビオトープの土手に妙なのもがみえる。双眼鏡で覗くとイタチが立っている。幼いころは、目の前を猛烈なスピードで横切るイタチによく遭遇した。 ヘビも怖かったが、イタチも怖くそんな時は家に逃げ帰ったものだ。湖北でイタチに出会ったことは今迄に2度あるが、いつも走っていた。イタチがプレリードックみたいに立って当たりを見回すこと、20秒位それから走り去っていった。
 家に帰って、イタチについて調べてみて驚くべき事実が分かった。対馬に生息しているチョウセンイタチを除いて、西日本には1949年頃、船舶の積み荷に紛れ込んで、朝鮮半島から九州にチョウセンイタチが侵入したとされる。また、同時期に毛皮業者が養殖の為に持ち込んだものが、その後逃げ出し西日本中心に分布を広げている。在来のニホンイタチと比べて、一回り体が大きいので、移入したところでは、チョウセンイタチが優勢でニホンイタチを山間部に追いやっている。

 紀伊半島野生動物研究会のホームページによると2種のイタチを判別基準は尾率
(尾長/頭胴長)でニホンイタチは、40~45%に対し、チョウセンイタチは50%を超えるそうだ。そんなこと、出来るはずのない私達には判別の方法がないということ。だから、私が見たイタチはどちらか、分からないのだ。

 それにしても、人が関わっての外来種が在来種を駆逐していくケースが多すぎると思う。
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嘘話深夜ラジオよ年つまる     朱露

2009年12月11日 | Weblog

       嘘話だと思うのは私だけかも知れない。
       と思いつつナガネン嘘話に耳を傾ける。
       本人はホントだと思い込む嘘話もある。
       ウソとホントを仕切るものは何だろう。

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泣き虫の泣き出すまでの冬の空   遅足

2009年12月10日 | Weblog
船団の星野早苗ドクターの診断です。

この子は、空を見上げてから、泣き出したのでしょう。
勢いよく駆けてきて、転んで、あ、泣くぞ、と思ったら、
泣かないで空を見て、こちらと目があった瞬間泣き出した、
そんな様子を想像しました。

  

ありがとうございます。

私は子どものころから泣き虫だったそうです。
薬缶の下に敷く丸い木の皿のようなものがありますが、
あれを、グルグルと回して、ゴロンと転がる。
それを見ていて泣き出すくらいの泣き虫だったとか。

そんな泣き虫が、じっと泣くのをコラエテいる。
そんな自画像でしょうか。

    


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こども川柳    麗

2009年12月10日 | Weblog
昨日の毎日新聞の夕刊に浜松の小学6年生の江間千華さんが
夏休みに作ってきたという川柳が紹介されていました。

一年生からずっと続けているそうで

1年  あさがおとせいくらべするラジオ体そう
2年  ひまわりとないしょばなしの夕すずみ
3年  夏休みセミのチャイムで始まりだ
4年  セミたちのコーラス受けてすずむしのソロ
5年  昨年まで見上げた祖母と目を合わす
6年  水たまりさけて並ぶよラジオ体操

どうですか。この成長ぶり!
こども店長ならぬこども川柳のみずみずしい感受性。
川柳というよりしっかり俳句になっています。
使える漢字も年々増え、夏の成長が1年毎に確実に感じられます。
私たちの句会でも同じ兼題で6年続けてもこのようにはいきませんよね。
「その季語はもうやった」と排除するのではなく
ひとつの季語で作り続けるのも年齢とともに
変化があって面白いかもしれません。

今年の忘年句会のお題は「年惜しむ」。こども川柳に負けないように
がんばりましょう。


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山裾をぐるりと一里冬の空   朱露

2009年12月10日 | Weblog

    上空から見たら馬蹄形になる多米地帯。
    馬蹄の山裾に人が住み中は田圃である。
    何とバスは馬蹄の中には入って来ない。
    採算が絡むのだろう忽ち世知辛い話だ。

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