575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

断崖の白き灯台夏の海

2013年07月17日 | Weblog
7月句会の投句が集まりました。
今回の題詠は「夕焼け」です。

題詠「夕焼け」
①夕焼けは優しすぎます要注意
②夕焼けに磧磨かせて(瓦磨かせ)座禅堂
③夕焼けに今日一日を許されて
④夕焼け染む人も道具も挨拶も
⑤霊峰の夕焼け雲は七変化
⑥無色になって走る夕焼けの街
⑦夕焼けの車窓も知らずスマホかな
⑧夕焼けの中にムンクの叫び声
⑨夕焼けを見しより人の無口なる
⑩夕焼けの向こうの明日とハイタッチ
⑪夕焼けや日常抜けて別世界
⑫あかあかと荼毘の火もえし夕日かな
⑬夕焼けや待ち人疾く来よ迎え酒
⑭血のごとく火星の大地夕焼す

自由題  
①趙州の一文字(イチモンジ)の鈍(ニビ)夏館
②断崖の白き灯台夏の海
③年かさね好みとなりつ鮎の腸(わた)
④山峡(やまかい)の湯にひとり来て沙羅の花
⑤反抗期の虹かも知れずうつくしき
⑥露座仏のぐらり傾く暑さかな
⑦梅雨明けや耳に気怠き選挙カー
⑧沙羅の花みな空むきて散りしけり
⑨行き場なき拳突き出す入道雲
⑩かき氷くずした愛はとけてゆく
⑪かき氷行列あとの涼味かな
⑫顎の線キリリと勁し藍浴衣
⑬ドンドドーン駆け寄る窓辺花火なく
⑭空に向け蝉の一斉射撃かな

写真は智恵さんの送って下さったものです。

  断崖の白き灯台夏の海

この句の作者は誰でしょうか?    遅足

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梅干の記憶  鳥野

2013年07月16日 | Weblog
連日の酷暑、熱中症で搬送の事例も増えるばかり。
対策のアドバイスも、しきりです。
その中の第一は水分と塩分の補給。「梅干」を入
れた水がが何よりとも言われています。

梅干と聞いて思い出すのは、「日の丸弁当」。毎
月の一日は興亜奉公日と決められ、白いご飯に赤
い梅干。間もなく、8日の「大詔奉戴日」が継承し
ました。

小学生には、理解もできない「国民総動員運動」、
「総力戦遂行法」「大政翼賛」・・・そんな言葉
を叩き込まれ鵜呑みにする日々でした。

高齢者とともに、風化していく戦時体制の記憶。
梅干は貴重な語り部なのです。

一粒選りの梅を塩で漬け、紫蘇で染め、手塩に
掛けて仕上げる「梅干」は、平和の象徴であっ
てこそ。

 ・ あまつ日の強き光にさらしたる梅干の香が
   臥床にいり来
                斎藤茂吉
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風がさはったといふほどの風鈴の音です   魚眠洞

2013年07月15日 | Weblog
山頭火が愛知県の刈谷を訪れた時に訪ねたのが池原魚眠洞。
魚眠洞は明治26年、鳥取県の生れ。
東京高等師範を卒業後、愛知県の教育界へ。
山頭火がやってきた時は刈谷中学の校長でした。

  横町へ夏の雨あがってゐるポスト

  高射砲がずっと仰角をとってきて夏雲

いずれも季語のある句です。
高射砲の句は戦争を身近に感じさせます。

魚眠洞の師・荻原井泉水は、子規の俳句革新運動を引継いだ人。
改革をさらに進め、575の定型・季題を否定。
感動のリズムにしたがって詠む「自由律」を提唱しました。

自由律俳句、一時は隆盛を極めましたが、やがて行き詰まります。
そこで、魚眠洞は、昭和43年新しく「視界」を創刊。
新しい詩法として「現代詩としての一行詩」を、理念に掲げます。

  月の明るさは音のない海が動いている

  にぎりめしの新聞にある記事のにぎりめし

この「視界」も昭和60年に終刊。魚眠洞は、翌々年に亡くなっています。
この他に私が好きな句。

  昼を過ぎると風呂の暖簾が出て秋風の蝶々

  海が噛みつくように狂う音の二階へ急な階段

  いちにちうちにいて冬の日が部屋の中移ってゆく

  笑つてわらつて涙が出るほど笑つたあとの、みかん

  髪から手拭をはずし嫁にきている

最後の句は、奥さんのことなのか?息子のお嫁さんなのか?
ちょっとした仕種を掬いとった良い句だと思います。


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この旅死の旅であろうほゝけたんぽぽ   山頭火

2013年07月14日 | Weblog
漂白の俳人として人気の高い種田山頭火。
575の定型や季語に拘らない自由律俳句を詠みました。

  分け入っても分け入っても青い山

  うしろすがたのしぐれてゆくか

などの句が有名です。

山頭火は生涯に7度、大きな旅をしています。
最後の旅は昭和14年。目的地は伊那。
尊敬する俳人・井上井月の墓参が目的でした。
途中、愛知県にも立ち寄り、様々な俳人と交流しています。

冒頭の句は、刈谷の池原魚眠洞を訪ねた時に詠んだものです。
この同じ日に

   これがおわかれのたんぽぽひらいて

という句も日記に書き残されています。
最後の旅となるだろうという予感を持っていたのでしょうか。
翌年、57歳で亡くなっています。

この時、山頭火を家に宿泊させ、歓待をした愛知県の俳人たち。
皆、自由律の俳人で、今は、余り知られていません。

山頭火にちなんだ愛知県の俳人を2,3人ですが、紹介してみたいと思います。
                      参考「山頭火 三河知多の旅」

                          遅足
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ヘルパーと風呂より祖母を引き抜くなり    関悦史

2013年07月13日 | Weblog
句集「六億本の回転する曲がった棒」のなかの「介護」と題する
70句あまりの連作の最初の句です。

以下、いくつかを拾ってみます。

  水含ますのみ救急処置室に放り置かれ

  便始末されゐて夏がかなしかろう

  病室はどつとにほへり秋の暮

  世話しぬけば枯木がア・リ・ガ・タ・フと言ふ

  氷より冷たき額撫でにけり

  人死ねば書類の多さ十二月

  抱えて遺骨の祖母燥(はしゃ)ぎつつバスを待つ春

作者の関悦史さんは、1969年生れ。 
5歳から祖母に育てられた関さんは、一人で介護にあたったとのこと。
この死別を経て、それまでの句が平板に感じられたと書いています。

この他の多くの句は、私には鑑賞不能ですが、なかにはこんな句も。

  液晶のゼロ整列し年明くる

  春の雨踏まん艶(なま)めくレジ袋

介護の句には季語のないものもありますが、
違和感はまったくありませんでした。    遅足


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噴水はさみしき水のシュレッダー   掛井広通 

2013年07月12日 | Weblog
噴水をシュレッダーに見立てた句です。
ペーパー・シュレッダーは、書類などの紙を捨てる際、
プライバシーの保護や、情報が洩れるのを防ぐために
細かく裁断する機械。。
A4サイズの紙ならば、1300片になるそうです。
水も噴水によって粉々に裁断されていく。
ただの水ではなく「さみしい」水。

人間の約七割は水であり、私自身さみしき水なのかもしれません。
ある日の私を粉々に裁断・・・。
水ならば、またひとつに。人間の場合はどうなんでしょう?
存在のさみしさは、一時、消えてもまた元に戻ってしまう?
 
作者は、句集「さみしき水」のあとがきで、こう書いています。

  水は変幻自在。方円の器に従うとも。
  私はさみしい水のような存在。
  その私をシュレッダーにかけてしまえば・・・
  さみしさを無くすことが出来るだろうか?
  いや、このさみしさは生来のもの。

人間はさみしい存在だから、愛があるとしたら、
作者は、愛を求めているのでしょうか・・・     遅足
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猛暑の中の癒し   麗

2013年07月11日 | Weblog
おととい、志摩に日帰りの旅。
雲一つない真っ青な空に地中海を思わせるリゾートホテル。
クーラーの効いたレストランから青い海を眺めるのは至福の時でした。
安乗岬からは太平洋と英虞湾がぐるっと眺められます。
安乗灯台には時間切れで上ることはできませんでしたが日常をかけ離れ、リフレッシュして帰途につけました。
帰りの近鉄特急から真っ赤な夕日が見えました。すばらしい一日をありがとうございました。

     夕焼けを車窓から見て手を合わす 麗
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七歳の七夕の記憶    遅足

2013年07月10日 | Weblog
名古屋市千種区にお住まいの方から、
七歳の七夕についてメールを頂きました。
ご本人の了解を得て掲載させていただきます。


私は一年生で祝ってもらいました。
見上げるような笹竹に、色紙の短冊や切子灯篭も
いくつか下げられていました。
切子を教わって一緒に作りました。
ナスやキュウリ、トマト、ササゲ等が
籠に盛られて、供えてありました。

ご近所からも、お祝いに、短冊とか、切子を頂き、
当日は、井戸で冷やした西瓜を、お振舞していましたね。
 
また、学校では、短冊の付いた笹を一枝づつ貰いました。
ちなみに、父方の祖母が岐阜の出身でした。
あの頃はまだ、そんな楽しみが会ったのですね。
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7月句会が近づいてきました。    遅足

2013年07月10日 | Weblog
今回の題詠は「夕焼け」です。

春の夕焼、梅雨夕焼、秋夕焼、冬夕焼、と四季おりおりの夕焼け。
いずれも美しいのですが、俳句では、夕焼けは夏の季語。
その壮快さから、夏のものとされたそうです。

   夕焼けに攫われゆきしかくれんぼ  有沢文枝

まだ子供の頃には「人攫い」という言葉には存在感がありました。
母の子供を呼ぶ声が聞こえてきます。
この句から、私は、秋の夕暮れを連想します。

太陽の光線が大気の低い層を通過する時、
波長の短い青色光は散乱、波長の長い赤色光の割合が多くなって
空が赤く見える現象だそうです。

   あられなき五体ありけり大夕焼     秦夕美

   夕焼けのしっぽをちょっと折っておく  遅足

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漸くの梅花藻   鳥野

2013年07月09日 | Weblog
「梅花藻が咲いているかも」そんなひと言に誘
われて、姫川源流へ。
柿田川湧水でも、滋賀県の地蔵川でも見はぐれ
て、今度こそはとの思いはしきりです。

案内役は友人。山の景に惹かれて信濃大町に住
み替えた人。四輪駆動でどこへでもという行動
派です。

姫川は北アルプス山麓から北へ流れ、糸魚川で
日本海へ注ぎ全長は約60キロ。時に暴れ川と
なって、災害が心配されたりもしますが、流れ
の源は優しい湧水群。

冷たくて、清らかで、人の気配に遠くって、・・
そんな条件の中、梅花藻は湧き水に揺れていました。
梅の花に似た、純白の5弁。小粒で地味で、絶滅
が危惧されているのも、うなづける可憐さです。

初夏から夏の終わりまで、まるで清流の妖精のよ
うに揺れる「梅花藻」
探しても、季語にない?のは残念です。
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夏祭り誘う電話の声とぎれ    麗子

2013年07月08日 | Weblog
まだケータイもスマホもなかった時代。家には電話機は一台。
誰が受話器を取るのか?
思う人が受話器を取ってくれるだろうか?
ドキドキしながらダイヤルを回します。

こんな時代が、つい先ごろまで実在したとは・・・、
今の若者には想像もできないことでしょうね。

受話器を取ったのは思う人だったようですが・・・
返事は?
お話も、途切れて・・・
ほろ苦い恋の想い出でしょうか。

もっと昔は手紙。平安時代は和歌のやりとり。
これは、また歌心を試される時代。

恋は障害があったほうが美しい。
スマホでは、どうなんでしょう?     遅足


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指の先人恋しさを満たすごと   智恵

2013年07月07日 | Weblog
指先の冷たさ。だからよけいに心の熱さが伝わってきましたと、えみさん。
すぐ絵柄が想像できます。今時の女性にあるのかな?
女性方には、すみませんと、結宇さん。

私は最初、畳に「ほ」の字を描く昔の女性かな?と思いました。
しかし、これは現代の指を詠んだ句でした。

携帯、スマホの、常にいじられ続ける理由は、そんなにも人恋しい?と、作者。

誰も彼も四六時中、指先で触り続ける姿・・・
確かに現代人が満たされない心を癒そうとしているように感じられます。
昔、東京砂漠という言葉がありましたが、今では列島砂漠なのかも・・・
スマホやケータイは手軽なオアシスなのでしょうか。

                           遅足
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七歳の七夕       遅足

2013年07月07日 | Weblog
今日は七夕。
先日のNHKニュースで、名古屋には「七歳の七夕」という行事が
あると知りました。

子どもが七歳になった年(小学校に入学する年)に、
笹竹に短冊や飾りを付けるほかに、祖父母など親しい人から
贈られた提灯や灯籠などを飾り、子どもの成長を祝うというもの。
このような盛大な「七歳の七夕」は、名古屋の周辺に限られた
珍しい行事だそうです。

岐阜市教育委員会の本によれば、岐阜市周辺では、
やはり、初めての子が7歳になると、母親の実家から贈られた
切子灯籠や提灯を縁側に飾り、軒下に立てた笹竹2本に渡した横竹に
ナス、キュウリ、などの野菜を草紐で結んで吊す、とあるそうです。
(日本七夕文化研究会)

私の3年生の時、名古屋へ引越しましたが、
このような七歳の七夕は見たことがありません。
どなたか、経験された方はいらしゃるでしょうか?

今日は、朝から暑い日が差しています。
これなら夜の天の川も大丈夫でしょうね。


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やわらかく霧の育てしフウロかな     遅足

2013年07月06日 | Weblog
先日、長野県の入笠山(にゅうがさやま)に登ってきました。
この山は、赤石山脈(南アルプス)の北端にあり、標高は2000m。
冬はスキー、夏はトレッキングの楽しめる山です。

登るといっても、麓からゴンドラに。
目指すは、八ヶ岳の展望とお花畑。
この日は雨こそ降りませんでしたが、一面の霧。
展望台からの展望は全くダメ・・・。残念。

スズランはすでに花の時期が終っていましたが、
アヤメ、ハクサンフウロ、ニッコウキスゲ、オダマキなど、
とりどりに花を咲かせていました。
(写真はハクサンフウロです。)

ここはマウンテン・バイクも楽しめる山。
ゴンドラの駅から麓まで、3つのコースがあり、
若者や中年のオジサンたちが、颯爽(?)と駆け下りていきます。
子供の頃、自転車で自宅近くの丘を走りまわったことを思い出しました。
もう少し若かったら、チャレンジしてみたかったな・・・

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つれもなき人の心は不如帰(ホトトギス)   狗子

2013年07月06日 | Weblog
   ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる

              後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)

平安時代の貴族にとって、ホトトギスは、夏の訪れを象徴する鳥。
ウグイスと同じように、ホトトギスの声にも詩を感じていたとのこと。
つまり、ホトトギスの初音を聴くのは詩人の条件とみなされていたわけです。

朝一番に鳴くといわれるホトトギスの声をなんとか聴くために、
夜を明かして待っていました。
後徳大寺左大臣「初音だ」と声のほうを見た瞬間、
もうホトトギスはそこにはいない・・・月だけが空に残っている。

この歌、背景に後朝の風習もありそうです。
そんな和歌の世界を本歌取りにして詠んだ句でしょうか。

                           遅足


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