【原文】
二十三日。日照りて、曇りぬ。
このわたり、海賊の恐りあり、といへば、神仏を祈る。
二十四日。昨日の同じところなり。
二十五日。梶取らの、「北風悪し」といへば、船出ださず。
海賊追ひ来、といふこと、絶えず聞こゆ。
二十六日。まことにやあらむ、海賊追ふ、といへば、夜中ばかりより船を出だして漕ぎ来る。
途に、手向けするところあり。
梶取して、幣奉らするに、幣の東へ散れば、梶取の申して奉る言は、、「この幣の散る方に、御船すみやかに漕がしめたまへ」と申して奉る。これを聞きて、ある女の童のよめる、
わたつみのちふりの神に手向けする幣の追風やまず吹かなむ
とぞよめる。
【現代語訳】
二十三日。日が照って、その後曇った。 このあたりは海賊襲来の恐れがあるということなので、神仏に祈る。 二十四日。昨日と同じところにいる。 二十五日。船頭たちが「北風が吹いて船を出すのに具合が悪い」と言うので、船を出さない。 海賊が追いかけてくる、と言うことが絶えず聞えてくる。 二十六日。ほんとうだろうか。海賊が追って来る、と言うので、夜中ほどから船を出して漕いで来る。 その途中に航路安全を祈願するところがある。 梶取に命じて、幣をささげたところ、(幣は神に祈る時の捧げ物。アサ、木綿、帛(きぬ)、又代わりに紙も用いた)幣が東の方に散るので、梶取が祈願して申し上げる祝詞には、「この幣の散る方角に、御船をすみやかに漕がせてください」とお願い申し上げる。 これを聞いて、ある女の子が詠んだ歌は、 わたつみのちふりの神に… (海路をお守りくださる道触(ちふり)の神様に手向けした幣を、東になびかせる追風よ、どうかやまずに吹き続けておくれ) こう詠んだことです |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。
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