日本男道記

ある日本男子の生き様

方丈記(十二)ふもとに一つの柴の庵あり

2024年05月07日 | 方丈記を読む


【原文】 
又、ふもとに一つの柴の庵あり。すなはちこの山守が居る所なり。かしこに小童あり、時々來りてあひとぶらふ。若しつれづれなる時は、これを友として遊行す。かれは十歳、われは六十、その齡ことの外なれど、心を慰むること、これ同じ。或は芽花をぬき、岩梨をとり、ぬかごをもり、芹をつむ。或はすそわの田居にいたりて、落穂を拾ひて穂組を作る。若しうらゝかなれば、嶺によぢのぼりて、はるかにふるさとの空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。勝地は主なければ、心を慰むるにさはりなし。歩み煩らひなく、心遠くいたる時は、これより峯つゞき、炭山を越え、笠取を過ぎて、或は岩間にまうで、或は石山を拝む。若しは粟津の原を分けつつ、蝉丸翁が迹をとぶらひ、田上川を渡りて、猿丸大夫が墓をたづぬ。歸るさには、折につけつゝ櫻を刈り、紅葉を求め、蕨を折り、木の實を拾ひて、かつは佛に奉り、かつは家づととす。
もし夜しづかなれば、窓の月に故人を忍び、猿の聲に袖をうるほす。くさむらの螢は、遠く槙の篝火にまがひ、曉の雨は、おのづから木の葉吹く嵐に似たり。山鳥のほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ、峰のかせきの近くなれたるにつけても、世に遠ざかるほどを知る。或は又、埋み火をかきおこして、老の寐覺の友とす。恐ろしき山ならねば、ふくろふの聲をあはれむにつけても、山中の景氣、折につけて尽くる事なし。いはむや、深く思ひ、深く知れらむ人のためには、これにしも限るべからず。

【現代語訳
また、麓に一つの柴の庵がある。これは、この山守の住処である。そこに小童がいて、時々やって来ては顔を合わせる。もし手持ち無沙汰なときは、この小童を友として遊ぶ。彼は十歳、我は六十、年の差は大きいけれど、心が慰まることでは同じである。あるときは茅花を抜いたり、こけももをとったり、ぬかごをもいだり、芹を摘む。あるときは麓の田んぼに行って、落穂を拾いそれで穂組みを作る。もし天気がうららかなら、峰によじ登って、はるかに故郷の空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を眺めやる。景勝の地には所有主がいないので、心を慰めるのに気兼ねはない。歩くのに不安がなく、心が遠くまで行きたいと願うときは、ここから峰続きに、炭山を越え、笠取山を過ぎて、或は岩間山に詣でたり、或は石山寺を拝んだりする。もしくは粟津の原を分けながら、蝉丸翁の跡を弔い、田上川を渡って、猿丸太夫の墓を訪ねる。帰り際には、季節の折につけて桜狩をしたり、モミジを求めたり、蕨を折ったり、木の実を拾っては、仏に奉ったり、家の土産としたりする。
もし、夜が静かならば、窓越しの月を見ては故人を思い、猿の声に袖をうるおす。草むらの蛍は、遠く宇治川の槙の島の篝火かと見間違え、暁の雨の音は、自ずから木の葉を吹く風の音に似通う。山鳥がほろほろと鳴くのを聴くにつけても、父か母が生まれ変わったかと疑い、峰の鹿が近づいてきて人間に馴れるにつけても、自分が世の中から遠ざかっていることを知る。或はまた、埋み火をかきおこして、老いの寝覚めの友とする。恐ろしい山ではないので、梟の声も哀れに聞こえる、それにつけても山中の趣は、折りにつけ尽きることがない。まして、自分などより深く思い、深く物事を知っている人にとっては、これにとどまらぬ趣があるといえよう。

◆(現代語表記:ほうじょうき、歴史的仮名遣:はうぢやうき)は、賀茂県主氏出身の鴨長明による鎌倉時代の随筆[1]。日本中世文学の代表的な随筆とされ、『徒然草』兼好法師、『枕草子』清少納言とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられる。

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