日本男道記

ある日本男子の生き様

方丈記(七):大地震振ること侍りき

2024年04月02日 | 方丈記を読む


【原文】 
又同じころかとよ、大地震振ること侍りき。そのさま、世の常ならず。山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。土さけて水わきいで、巌われて谷にまろびいる。渚漕ぐ船は浪にたゞよひ、道ゆく馬は足の立ちどをまどはす。都のほとりには、在々所々、堂舍廟塔、ひとつとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵灰立ち上りて、盛りなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず。家の中に居れば、忽にひしげなんとす。走り出づれば、地われさく。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、たゞ地震なりけるとこそ覺え侍りしか。
かくおびたゞしく振る事は、しばしにてやみにしかども、そのなごりしばしば絶えず。世の常驚くほどの地震、二三十度振らぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。
四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。むかし齊衡のころとか、大地震振りて、東大寺の佛の御頭落ちなど、いみじき事ども侍りけれど、なほこの度にはしかずとぞ。すなはちは、みなあぢきなき事を述べて、いさゝか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし

【現代語
又、同じ頃のこととか、大地震が起きたことがあった。そのさまは、尋常ではなかった。山は崩れて河を埋め、海は傾いて陸地を浸した。地面が裂けて水が沸き出で、岩が割れて谷にころげ込んだ。渚を漕ぐ船は波に漂い、道行く馬は脚で立っていられない。都のあたりでは、あちらこちらで、堂舍廟塔ひとつとして完全なものはなかった。或は崩れ、或は倒れた。そこから塵灰が立ち上って、勢いの盛んな煙のようであった。地が動き、家が壊れる音は、雷鳴のようであった。家の中にいれば、たちまち押しつぶされそうになる。走り出れば、地面が割れて裂ける。羽のない身には空を飛ぶこともならぬ。龍であれば、雲に乗ることもあろうに。恐ろしいなかでも恐ろしいのは、ただ地震だと思われた次第だった。
このように烈しく揺れることは、しばらくしてやんだけれども、その余震は当分やまなかった。いつもならびっくりするような揺れが二三十回起こらぬ日はなかった。十日二十日過ぎてから、次第に間隔があき、或は一日に四五度、二三度、もしくは一日おき、二三日に一度などと、おおかたその余震は、三ヶ月ばかりも続いただろうか。
仏教で説く四大種の中でも、水火風は常に害をなすが、大地については特に異変をなすことがない。昔、齊衡の頃とか、大地震があって東大寺の大仏の頭が落ちたなどという、大変なこともあったが、それでも今回の地震には及ばないという。その折には、みなこの世は無常だなどと言って、多少は心の煩悩が薄らぐとも見えたが、月日が重なり、年を経るにしたがって、言葉に出して地震の恐ろしさを語る者さえいなくなった。




◆(現代語表記:ほうじょうき、歴史的仮名遣:はうぢやうき)は、賀茂県主氏出身の鴨長明による鎌倉時代の随筆[1]。日本中世文学の代表的な随筆とされ、『徒然草』兼好法師、『枕草子』清少納言とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられる。

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