空から神戸の海陸を楽しみました。
2017.05.14 〜 2017.05.20
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朝の散歩で最近改装された国道2号線に面した「御影公会堂」まで歩いて、そのあとオアシス石屋川店から阪神新在家駅経由JR六 甲道駅まで足を伸ばした。6524歩。
講道館の創立者、嘉納治五郎は当地で生まれ育ちました。 wikipediaから:
1860年12月10日(万延元年10月28日)、摂津国御影村(現・兵庫県神戸市東灘区御影町)で父・嘉納治朗作(希芝)と母・定子の三男として生まれる。 嘉納家は御影に於いて屈指の名家であり、祖父の治作は酒造・廻船にて甚だ高名があった。その長女・定子に婿入りしたのが治五郎の父・治朗作である。初め治作は治朗作に家を継がせようとしていたが治朗作はこれを治作の実子である義弟に譲り、自らは廻船業を行って幕府の廻船方御用達を務め和田岬砲台の建造を請け負い勝海舟のパトロンともなった。柳宗悦の母は治五郎の姉である。ちなみに同じ嘉納家ではあるが嘉納三家と呼ばれる現在の菊正宗酒造・白鶴酒造とは区別される。 1870年(明治3年)、明治政府に招聘された父に付いて上京し、東京にて書道・英語などを学んだ。
御影公会堂と「火垂るの墓」:ロケ地紹介サイトから引用。こちら。
阪神電鉄本線のガード下に避難できなかった清太と節子は、今度は反対方向にある海を目指します。
当時は砂浜が残っていましたが、現在はすっかりコンクリートで覆われています。
(時間:8分55秒)
海に出た清太と節子は、石屋川に沿って公会堂を目指します。
石屋川を境に西側が神戸市灘区で、東側が清太と節子たちが住んでいた武庫郡御影町でした。
御影町は1950年に神戸市に合併し、東灘区の一部になっています。
(時間:9分08秒)
川から土手に上がった清太と節子の前に、焼け野原になった街の光景が広がります。
そんな中、公会堂だけが焼けずに残っていました。
(時間:12分10秒)
この公会堂は現在の神戸市立御影公会堂で、1933年に御影町公会堂として建設されました。
1938年の阪神大水害、1945年の神戸大空襲、1995年の阪神・淡路大震災の3つの大災害を耐え抜いた歴史ある建造物です。
ちなみに、御影公会堂から石屋川と国道2号線を挟んだ斜向かいに「火垂るの墓」の石碑が立っています。
公会堂に向かって歩き出す清太と節子。その直後、空襲で駅舎の鉄骨がむき出しになった阪神電鉄石屋川駅が映ります。絵コンテに「阪神石屋川駅付近」という記述があるので、この駅で間違いないです。
現在も駅舎の一部が石屋川の上に架かっています。
(時間:12分34秒)
石屋川駅の次に国道2号線上で路面電車がストップしているカットが映ります。
当時、国道2号線上を阪神国道線が走っていました。
(12分38秒)
清太と節子は公会堂の近くにある二本松で母と待ち合わせをしていましたが、母はいませんでした。
実際に御影公会堂の近くには松の木がたくさん立っています。
しかし、映画にあるような特徴的な二本松はありませんでした。
(13分04秒)
先週新しくセットした装置の確認がすんで、1か月かかった奥歯の治療がようやく終わった。また歯が一本無くなった。
先生からは80歳になっても自分の歯30本を死守しましょうと言われているが・・
散歩に出るというあいかたと合流し、山手幹線を歩いて「にしむら珈琲店」に入った。
治療のため朝食を抜いていたのでモーニングをオーダー。
私はサラダモーニング
あいかたはフルーツモーニング
いずれも税込み800円。
前に来た時より全部おいしくなったねと言ったらあいかたも、そう思うとのこと。値段を上げて材料をワンランク上げたのだろうか?
パンは自分の所で焼きだしたようでとてもおいしい。そして珈琲は定評通り本当に旨かった。
山手幹線沿いのこの店は駐車場が広いので、神戸と大阪を往来するドライバーが一休みするのによく知られているようだ。
山手幹線
店を出た後、JR住吉駅につながる有馬道商店街まで歩いて、マルヨネ肉店によって、肉屋のコロッケとポテトサラダと豚足のワイン煮を
買って帰った。
コロッケとポテトサラダ。防腐剤が入っていないから味は濃い目だったが、立派な商品で旨かった。
野菜は全て国東半島の平川農園産。
翌日食べた豚足のワイン煮。紫芋焼酎によく合った。
昭和33年の夏、四日市から神戸に引っ越して5年ほど有馬道商店街から脇に50mほど入った所にある家に住んでいた。
肉屋のマルヨネさんや山口豆腐店は亡母が毎日のように買い物をした店だったと思う。
「魚とし」でランチをした後に六甲口であいかたと別れ、浜側へ歩き出した。8000歩ほど歩くつもりだ。
第2阪神国道を渡ったあたりは22年前の大震災の後、集合住宅の街になった。
阪神高速の湾岸線の向こうに広大な製鉄所が広がっている。
神戸製鉄所の正門
六甲アイランドや湾岸線や第2阪神国道へのジャンクション。
湾岸線に乗る前の腹ごしらえに丸亀製麺や東灘食堂がある。いつも駐車している車が多い。
処女塚(おとめ塚)古墳が阪神石屋川駅の近くにある。
酒の道の案内板が石屋川のほとりにあった。
帰りは阪神御影からバスを乗り継いで帰った。この日のトータル歩数は9355歩だった。
弓弦羽神社に病気平癒のお礼の参拝をしてから阪神御影まで歩きました。境内に入ると神社の拝殿から笙・ひちりきのライブらしい妙なる音色が聞こえてきました。
神前結婚式が始まっていました。ライブで聞く雅楽と言うのは何とも耳に心地よいものだと思いました。
参道には桃の花が咲いていました。
JR神戸線のガードまで下りると、和菓子の名店「常盤堂」のウインドウに「香雪美術館」のポスターがありました。
「香雪美術館」は神社の隣にあります。
一年ぶりくらい?の感じで、あるルートを歩いて阪急六甲方面に行きました。途中に大きなクスノキがあるのでクスノキ道と勝手に名をつけているルートです。
クスノキが見えてくるとほっとします。神社の境内に植えられている楠なら当たり前ですが、この大楠は民家の庭先にあるのでいつか何かの変化が起きるのではと
心配して観てきました。今回も陽の光を跳ね返して緑の葉が光っていて嬉しかったです。この木はムムリクさんも掲載するたびにコメントをくれた思い出の木でもあります。