阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

半藤一利さんが生まれ育った場所を訪ねて墨田区の東武電鉄・小村井駅で下車して歩いて帰った。

2021年03月12日 | 東京あちこち

某日訪ねた亀戸中央公園はまだ冬模様が続いていた。

公園から出て丸八通りを横切るとすぐ「東武 亀戸水神駅」がある。この路線は亀戸駅と曳舟駅の間をシャトル運転する東武線の短い支線だ。

亀戸―亀戸水神ー東あずまー小村井―曳舟と駅は五つしかない。曳舟で東武スカイツリーライン・伊勢崎線に接続する。

小村井(おむらい)駅で降りた。

向島警察署は駅のすぐ近くにある。駅は明治通りに面していてすぐに丸八通りとつながる。

この交差点の右手をおそらく500mほど歩くと半藤さんの生家跡があるはずだがこの日はここまでとした。

先日は逆に平井橋からこの交差点まで歩いて来て、交差点を左手に丸八通りをいき、東あずま駅で電車にのり亀戸経由総武線で帰ったがこの日は平井橋に向って歩いた。

平井橋のたもと。

1945年3月10日の、アメリカによる焼夷弾絨毯爆撃で2時間半で10万人の東京在住の一般庶民が焼殺されたとき、

半藤一利さんが飛び込んで溺死しそうになったが危うく引き上げてもらい助かった平井橋の上からの風景。

76年前にはこの旧中川に3000体の焼死体が浮いていた。

210306 ウオーキング  歩行数 8504歩 歩行距離  5.3km

 

 

 

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フクシマとコロナが露わにした日本の根本弱点 国民の安全を保障する体制をいまだ作れてない    東洋経済オンライン

2021年03月12日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・

フクシマとコロナの危機は同じことを告げている

2020年春、新型コロナウイルス感染症危機が起こった。

4月上旬、緊急事態宣言が発出された頃、私は日本政府のコロナ対応を追跡することにし、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API=日本再建イニシアティブ(RJIF)が発展的改組したシンクタンク)主宰の研究グループをつくった。そして、7月、対応を調査・検証するため「新型コロナ対応民間臨時調査会」(小林喜光委員長=コロナ対応民間臨調)を設立した。研究グループのコアメンバー中心にワーキング・グループを立ち上げ、検証作業を始め、10月、報告書(「調査・検証報告書」)を発表した。

フクシマとコロナの2つの危機は私たちに同じことを告げていると私は感じる。

もとよりフクシマ危機とコロナ危機を同列に扱うわけにはいかない。福島原発事故は本質的には人災であり、日本の安全規制文化とガバナンスの歪みを露わにした。これに対して、Covid-19の場合、それはウイルスとの戦いであり、全世界が苦闘し、今もしている全人類的挑戦である。しかし、いずれも日本が「備え」(responseとpreparedness)が著しく弱かった点は共通している。

それも、不意を衝かれたのではない。ブラック・スウォンの奇襲を受けたのでもない。いずれの場合も、ありうるシナリオとして指摘され、警告も出され、政府は問題の所在を認識していた。にもかかわらずに、備えを怠った。

それはなぜなのか?

フクシマの場合、それは「安全神話の罠」でかなりの程度、説明できる。原発重大事故のような経営的、政治的にストレスがかかるリスク管理に当たってはそのリスクを「想定外」として遮断し、リスクの評価そのものを変える。「住民に不必要な誤解と不安を与える」可能性のあるものは、津波対策もシナリオも訓練も技術革新も基準・標準も国際協力も「想定内」に封じ込める全文

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