一部引用・・・
日本は、他のいわゆる「先進国」と比較し、多くの人々があまり幸福と感じていない社会である。国連の関係団体「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク」(Sustainable Development Solutions Network)の「世界幸福度報告書」(World Happiness Report 2020)によると、日本の幸福度は153カ国中、62位であった。これは、専門家グループが複数の指標について各国を比較したもので、各国の改善状況を見ることに主眼がある。
幸福の観点からすると、日本の大きな課題は、社会にある。本報告の指標の要素で、経済や制度、健康においては、1位のフィンランドと62位の日本を比較しても、ほぼ同じである。大きな差が出ているのは、寛容さや日々の充実等の社会に関する要素である。要素の多くがアンケートによる主観によって導かれ、文化等によっても左右されるため、本報告の順位は絶対的でない。それでも、経済力や寿命が同じような国々と比較することで、課題の一端が見えてくる。
こうした日本の人々の幸福感や自己肯定感の低さは、しばしば指摘される。例えば、国連児童基金(ユニセフ)による「子どもの幸福度」に関する報告でも、日本の順位は健康面でトップであるが、精神面で最低レベルとなっている(朝日新聞「日本の子の幸福度 健康は1位、「精神」はワースト2位」2020年9月3日)。これらの指摘は、多くの人々の実感にも沿っているのではなかろうか。
国家方針がもたらす人々の「生きづらさ」
人々の幸福感の低さは「生きづらさ」という言葉に置き換えられる。固定観念の鋳型に自らを押し込んだり、様々な場面でハラスメントに遭遇したり、自分や家族の将来に対して不安を抱いたり、いわゆる「ガラスの天井」に人生を阻まれたり、信頼できる人が身近にいなかったりと、それぞれ異なる状況であるにしても、何らかの生きづらさを抱えている人が多いと考えられる。
この生きづらさの原因は、個人的な理由の場合もあると思われるが、少なくとも「国家重視・自己責任」の国家方針による面は社会の問題となる。そうした生きづらさは、原因を本人や家族に求めても、個人レベルでは解決できない。人々が協力して国家方針を転換し、社会の課題として解決しなければならない。
現在の国家方針は、「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」に代表されるとおり、国家目標(経済成長)に資すると見なせば、個人の抑圧を是認する。
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