阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ブルーインパルスが来た!  美しい空中演技を家族で楽しんだ。

2021年07月24日 | 身辺あれこれ

 

方向を変えて再び飛んできた。

Shot by SM©   全て中学一年生撮影。

 

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阿智胡地亭便り㉒   #62<風が吹く>  東山魁夷展で            こんな便りを2002年頃からメールで友人知人に発信した。

2021年07月24日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

#62  風が吹く 2004.06.初め頃

兵庫県立美術館に東山魁夷展を観に行った。

1、なんか何とも言えない懐かしい風景だなあと思ってその絵の方へ寄っていった。

やわらかい緑の色調の中に山並と小川と農地が広がっている。

 九州若松市二島にいた時代の小学校への通学路で見たような茨城県北相馬郡藤代町に住んでいた時代の家族サイクリングの途上で見たような、そんな風景だった。


「郷愁」昭和23年、(信州茅野の郊外、ふと通りがかりにしておいた簡単な スケッチから構想を得ました・・)と掲示された説明文にあった。


そうか、信州の茅野なんだと思った。子供の頃夏休みに母の里の信州茅野に行っていた頃の あのあたりの風がこの絵の中から流れてきたのだと思った。☝


2、柳の木が湖の側に何本も何本も、遠くにも近くにも長い枝と葉を垂らして風に吹かれている。  

 長い長い襖絵だ。こんなに大きな墨絵の連なりははじめて見た。


  美術館という建物の中なのに、あたりにそよ風がふいて首筋をやわらかい風が流れていく。 柳の葉のハズレの音が聞こえる。


先に歩いていた相方もまた戻ってきて二人ともこの襖絵の前に長くいた。 唐招提寺障壁画のうち「揚州薫風」という作品だった。
鑑真和上は揚州に長くおられて 当地から苦労されて日本に来られた。


3、兵庫県立美術館は前は王子公園の近くにあったが、今は川鉄葺合工場や 神戸製鋼が移転した跡地が再開発されそこに移った。

移転後はじめて行ったが小学校、中学校も新設された新しい大住宅ゾーンの 中に美術館はあった。 今回の東山魁夷展は彼に縁が深い横浜と神戸で開かれ、

信州の東山魁夷美術館をはじめ 日本各地にある作品が集められ展示された。

彼の作品の集大成という触れ込みで暫らく これだけの作品を集める事は出来ないだろうと新聞広告にも出た。

そして一番の目玉は唐招提寺の障壁画が全て展示されていたことだ。

そのせいか会場は平日でも込み合っていた。他県ナンバーの観光バスも来ていた。



(インタネット上でコピー。会場には障壁画を取り外し持ってきていた。)

唐招提寺では画の近くには寄れないし、照明が暗いので今回はじめて良く観賞できたという声が隣で聞こえたが、

精密で壮大な、これが一人の人の人間技かと思うものを見せてもらえた。

50日ほどの会期のうち前期、後期で17枚ほどが展示替えされたので家から車で20分ほどで 行けることもあり結局2回行った。

不思議なもので展示替えされた画は、これは前期にはなかった とすぐわかる。


 後期に一緒に行った娘が「お父さん、こんなに沢山 画があるのに この画は入れ替わった画だって良くわかるね」 と何年かぶりで褒めてくれた。


後期は終了2日前の金曜日に行ったが閉館時間が夜の8:30に 延長されていても人で一杯だった。

4、東山魁夷は横浜で生まれ、海具商の父親が神戸に引越したので3歳から神戸に移り、 神戸二中(現在の県立兵庫高校)を出て東京美術学校(現東京芸大)に
入学するまで神戸に住んだ。 そしてドイツに留学したりして風景画家として世にでたが、信州の風景が好きで 信州を良く歩き題材にした。

今常設館として東山魁夷美術館が長野の善光寺の隣にあるそうだ。

  会場に東山魁夷の写真が何枚か展示されていた。そのうちの一枚に神戸市立入江小学校を後年訪ねた写真があるのを見て相方が、

「ああ、思い出した、一番上の伯父さんが当時の 東山新吉さんと入江小学校一年から中学校までずっと同級の友達だったって。

家にも遊びに来て紙があったら なんか書いていた。一枚でも取って置いたらよかったってよく言っていた」と話した。

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電通・博報堂の価値観のままで、オリパラを乗り切れるか    BLOGOS

2021年07月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・

開閉会式のプロデューサーチームを統括する日置貴之氏は博報堂の出身だ。今回のオリパラでは、電通・博報堂などの広告代理店が運営に深く食い込んでいる様子が目立っている。https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202107140001278.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=nikkansports_ogp オリンピックが延期になって電通などに巨額の損失が発生していると指摘された昨年から、さらにいっそう広告代理店に新規契約が回っている印象を受けざるをえない。その結果、広告代理店が取り仕切る人事で、開閉会式を構成する人物たちが、総入れ替えになった。そして、次々と価値観をめぐるスキャンダルが発生するようになった。

この背景に「複数形のWorlds」があるように思えてならない。日本の広告代理店の見込みでは、世界中の人々はバラバラだが、なぜかわからず何となくオリンピックの「感情(emotion)」だけで結びつく、ということらしい。「複数形のWorlds」の背景には、深刻にいがみ合っている人たちもオリンピックを見れば仲良くなる、といった超楽観主義的な考え方があるようだ。

現在進行形の価値観をめぐる騒動をみると、この日本の広告代理店が突きつける考え方に、果たして根拠があったのか、甚だ疑わしい画像クリックで全文に飛びます

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