2021年7月18日付 東京新聞朝刊から
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メモを読むお地蔵さん 成毛真さんのFacebookから。
★「世間」と「社会」
佐藤: キリスト教などでは、言葉というのは基本的に神様との関係から生まれる。
自分が言ったことに対して責任をとるか、とらないかというのは、神様に対して罪になるか、ならないかというという問題で判断するわけです。
ところが日本の場合、どことの関係で判断するかというと「世間」の空気です。空気が変われば、自分が変わってもいい。p103
鴻上: 犯罪というものが持つ意味も違っていますか。
佐藤: 日本で犯罪はどのように捉えられるかというと、「法のルール」に反した行為であると同時に、もっと大きいのは共同体を毀損する行為だということです。
つまり「世間」という共同体を壊す、そうした行為なんです。p114
鴻上: 個人が確立していなければ、個人の尊厳に関わる権利と言う概念も成立しませんよね。
佐藤: 個人がいない日本では福祉が権利だとは誰も思っていないわけです。だから捕捉率も低くなる。p126
佐藤: 海外で自己肯定感が高いというのは、あくまでも「個人」がベースですから、常に何か主張していないと人間扱いされないという事情があります。
日本人はそもそもそんなことをしなくたって生きていけるから、逆に目立ってしまうとハブられる。それが怖いんですよ。自己肯定感が低くて当然です。p167
鴻上尚史・佐藤直樹 『同調圧力─日本社会はなぜ息苦しいのか』 2020年 講談社現代新書から引用。
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究極の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、それに対する善人の沈黙である。 マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉