阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

旧中川の定点観測地点  一面の雑草の刈込が終わっていた。

2021年07月09日 | 身辺あれこれ

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諏訪の武将活躍 漫画「逃げ上手の若君」人気    長野日報

2021年07月09日 | 諏訪便り

2021年7月9日 6時00分

諏訪(照雲)頼重の供養塔を訪れた石埜さん=茅野市宮川。「逃げ上手の若君」の作者・松井優征さんの取材に協力し、諏訪地方を案内した

鎌倉時代後期から南北朝時代初期に実在した諏訪の武将、諏訪頼重(不明~1335)が主要なキャラクターとして登場し、諏訪地方が物語の大事な舞台として登場する少年漫画が話題を呼んでいる。週刊少年ジャンプに1月から連載中の「逃げ上手の若君」だ。作者は「暗殺教室」などで知られる人気漫画家の松井優征さん。単行本第1巻が発売中だ。

■主要人物に諏訪頼重

漫画の主人公北条時行は、1333年に滅亡した鎌倉幕府執権北条氏の本家筋最期の当主・北条高時の遺児。主要人物として登場する諏訪頼重は諏訪明神の依り代(神霊が宿る対象物)として諏訪社の頂点に位置した神職「大祝」を務めた後、武士となり、時行を助けた。2年後、頼重は時行を擁立して挙兵。東進して建武新政権側の足利直義(足利尊氏の弟)を敗走させ、鎌倉を一時的に奪還する。歴史上では「中先代の乱」と呼ばれている。

少年ジャンプの連載で松井さんが描く頼重は、逃げ上手という天性の才能を持った時行を守り、導く参謀役。時行の生涯を決定付けるキーパーソンとして描かれている。信濃諏訪の国の神官で断片的ながら未来が見通せるという神力を持つ人物で、オーバーなリアクションで笑いを誘いつつも、逃げることで英雄となる時行を育てていく。松井さんは頼重について取材に、「武士で神官で神という特異な立場にあり、さらには強固な忠義を持ち合わせた謎だらけで魅力的な人物」と語る。

■御柱祭にも興味

作者の松井さんは連載開始前の昨年秋、2日がかりで諏訪地方を取材している。案内役は諏訪地方を拠点に活動する信仰史などの研究会「スワニミズム」の石埜三千穂事務局長(56)=下諏訪町上久保=が務めた。松井さん側の希望は諏訪大社4社(上社本宮、前宮、下社秋宮、春宮)や神長官守矢史料館(茅野市)の案内だったが、石埜さんは作品の時代背景や作者側の意図を聞き、中世の雰囲気が感じられる場所を訪問先として提案。八島湿原の南端にある旧御射山社(諏訪市)や乙事諏訪神社(富士見町)などを追加で案内した。乙事諏訪神社は江戸時代初期、1617(元和3)年の建築物で、もともとは「諏訪神社上社本宮」の幣拝殿。「逃げ上手の若君」の中で時行が諏訪に入った際に描かれた諏訪神社はその特徴から「乙事諏訪神社を基に描かれたのでは」と石埜さん。

原村内を移動中には時行が見たであろう八ケ岳連峰の風景などを紹介した。松井さんは神社仏閣や雄大な自然だけでなく、時折、車を降りては森の中の小さな小川など多様な資料用写真を撮り集めた。御柱祭にも興味を持ち「御柱祭に対する氏子の皆さんの情熱は尋常ではない」と振り返った。取材を通じた諏訪の印象について「ごく自然に諏訪大社が諏訪の人たちの精神の中心にあると感じた」とした。

■石埜さん「中世にスポットうれしい」

案内した石埜さんは「諏訪の歴史というと縄文、または戦国~江戸時代に関心を向ける人が多い。そうした中で諏訪の中世にスポットを当ててくれたことがとてもうれしい」と喜び、今後に期待を寄せていた。

第1巻に続き、8月4日には第2巻が発売される予定。松井さんは「諏訪の人々が天下を震撼させた無二の大乱を少年漫画らしい熱さを添えて描いていきたい。読んでもらえるとうれしい」とコメントした。

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阿智胡地亭便り⑫  #51  こんな便りを2002年頃からメールで友人知人に発信した。

2021年07月09日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

#47,48,49,50原稿散逸。

#51<庭木の剪定を頼んだら・・> 2004.02.17記

先日、新居浜の旧友から下記のようなメールをもらいました。
 
日本という「近代国家」が持つ多面性・連続性・劇場国家性?などの一端を示す
エピソードかと思い、旧友の了解を得てここにご紹介します。
 
・・・千五百年ほど前に数百年間(あるいはその後も長く)、西国の大和朝廷系部族に
こてんぱんに蹂躙された東国諸国の一部族の末裔の一人としては、これを読んで
ちょっとした感慨を持って「へぇ-、へぇ-」というしかありませんでした。
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阿智胡地亭さん、お宅も知っとる新居浜の某社に旧皇室に連なる方がおられることは
ご存知でしたか?(はよから丁寧語口調になってしもとるわね...)
  「有栖川宮家の詐欺事件」は滑稽な笑い話としてすでに記憶からほとんど
消えていましたが、今回、歴代皇室の本物の末裔にお会いして、家内ともども
しばらくこの話題で盛り上がりました。
 少し前になるけど、庭木の剪定をその某社のOさんにやってもろたんです。
もう10年も前からそこの会社のグリーン部隊に剪定をお願いしているんやが、
このOさんが実は第29代欽明天皇(きんめい)の末裔であることが分かりました。
 しかも百人一首で有名な小野道風や小野小町(美人で有名)とも親類にあたることが
家系図から判明し、我々はただ絶句と言うか、人は見かけとちゃうなーと、聞いてビックリしたんよね。 
ではOさんのお話を下記します。


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その日の剪定が済んで、Oさんが帰りしなに私にこう言うたんが事の発端やわね。
 こないだ、会社から帰ったら家内から、「お父さん、宮内庁から電話があって、歴代天皇大鑑が出来上がりました。無料です。
御入用ですか?と電話あったよ」と言うんで、宮内庁に電話して歴代天皇大鑑を送ってもろたんです。明日また剪定に来るんやけど、
見られるんやったらそのおり持ってきますが。 Oさんからの突然の話でしたが見せてもらいます、と返事した。
 翌日は午前中に剪定が終わり、Oさんの独演会を約1時間あまりお聞きすることになりました。(もう完全に敬語になってしもとるがね)
 桐の箱に丁寧に梱包された、日本皇室図書刊行の【新歴代天皇大鑑】と家系図を見
ながら有難く拝聴させて頂いた内容は、まず日本の天皇の始まりは天照大神(あまてらすおおみかみ)である、からスタートした。
第一代 神武天皇 (御名:神日本盤余彦尊:かんやまといわれひこのみこと)
            在位:76年
            崩御:西暦紀元前585年(御年137歳)
            皇后:媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)
            陵(所在地):畝傍山東北陸(うねびやまうしとらのみささぎ=奈良県)

第二代 すい靖天皇(すいぜん)     84歳
第三代 安寧天皇(あんねい)       57歳
第五代 教昭天皇(こうしょう)      114歳
第六代 教安天皇(こうあん)       137歳



第29代 欽明天皇(きんめい)     63歳
            御名:天国排開広庭尊(あめくにおしひらきひろにわのみこと)
            在位:32年 西暦571年
            皇后:石姫皇女(いしひめのひめみこ)
.

第122代 明治天皇    在位45年、 61歳
第123代 大正天皇    在位15年  48歳
第124代 昭和天皇(裕仁)        87歳
第125代 今上天皇(きんじょう)(明仁)  皇后:正田美智子

と現在に至るまでのまさに天皇家の歴史が記載された厚さ10㎝もある
御肖像、皇統譜を見せて頂いた。
Oさんは第29代 欽明天皇の末裔にあたり、鼻から上にかけては、見れば見るほど
欽明天皇の御肖像とそっくりであった。
 また、滅多に人には見せない家系図をOさんは手を合わせて一礼しながら
巻物(長さ6から7mはあった)をユルリと開帳させながら拝見させてくれた、もとい、下さったが、
系図の中には小野道風や小野小町も記されており、まさに本物と信じるに足る証拠となるもので、
有栖川なんとかとは対照的ではあった。
 Oさん自身は植木職もやってるという仕事柄、真っ黒に日焼けして
お見かけはお世辞にも皇室関係とは...。
 ビックリはしたが、そやけど後で考えてみるとかなりの時間、自慢話を聞かされたような
印象しか残っていないのはなんでやろ?
いずれにしても摂政関白政治からより武家政治中心で天皇の政治力が落ちながらも時代、時代に適応しながら
形式的儀礼的であるが永く存続してきた秘訣はまさに驚異と想像するものです。
昔の天皇が100歳を越しているのは粗食が要因だとOさんは言っておりました。
 しかし、Oさんをはじめ皇族の末裔の方々は近代社会とはいえ、現在もかなりの自覚を持って庶民には理解できない
ご苦労な生活がされておられるように感じました。
 ちなみに新居浜市役所の東に立派な小野神社(今は名前は違うが)があり、境内の長さは大変立派で今も実在しています。
 チョット浮世離れした経験でしたがアーァおもろかった。
 
*******************************
 
解釈、分析はいかようにも出来ると思いますが、この話自体はまごうかたなき現実のやりとりです。
 これを読んだとき、私が知ってる新居浜の何人かのOさんたちのお顔が浮かび、
みなさん全員がお公卿顔だったような気がしてきたのも面白いことでした。
 
  かしこみかしこみまおしました。

#51の②<庭木の剪定を頼んだら・・>続き 2004.02.19記

西からメールを頂けば、東からも便りを頂く。似非椅子徒としては嬉しい限りです。
 前回の阿智胡地亭便りの内容の真偽を、いささかなりとも問うものではないとの
但し書付きで、東の方から下記のような彼の総務部門責任者時代の経験談を頂きました、
これまたへぇ-へぇ-と面白く読ませてもらいましたのでご紹介します。
 
*********************************
 
新居浜のOさんなる方が、何と第29代欽明天皇の末裔! 
しかも家系図付きでお顔立ちもそれなりに尊い由、あなかしこ。
俄かには信じられんが、なかなかにロマンもある実話かなと思いました。
 小生、京都時代、職業柄怪しげな人名録商法とか家系図作成商法という
のにちょくちょくお目に掛かりましたもんです。
 最初は無料奉仕と言いながら、実際には、なんだかんだと数10万円を
ふんだくられた方々や脅され途上で困り果て、相談を受けた身近なヤクインや
カンリショクが存外に大勢居ました。
 さて、このお話は、そんなことは無いと思いますものの、桐箱入りで10cm厚の
貴き御本や巻物系図などは、宮内庁関連を標榜する出版社(右翼系の方々が多い)
サン達が最もお得意とする題材(商品)でして、特に、褒章や叙勲をもらった後に
「丁重なお祝いと共に売込まれるモノ」に 酷似しているようにも感じます。
 今後、かのやんごとなきお方に、法外な金額の請求書が来ないことを祈りつつ、
興味深く 拝読させて頂きました次第です。  
 信じる 信じないとは別次元のコメントですんません。
 
                                                  以上  
**************************************
 
追伸;将来、褒章や叙勲を受けられる方へ。
 
宮内庁が関係し、発行される正規の書籍・文献類は全て「宮内庁書陵部」編修と
なっているそうですのでご参考まで。

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