阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

国旗をモチーフにした スピネーカーが 美しい49er級男子二人乗りのレース 。        七里ヶ浜の沖合でオリンピックのセーリング競技(ヨット)

2021年07月31日 | 七里ヶ浜写真館

鎌倉の「七里ヶ浜写真館」館主 田中さんから美しいヨットの写真が届きました。

⇒「現在、七里ヶ浜の沖合では連日オリンピックのセーリングが展開されています。

49er級男子二人乗りのレースだと思いますが、国旗をモチーフにしたスピネーカー(主に追い風から横風までに使用される3枚目の帆)が

美しいですね。江ノ島のヨットハーバーは一般客は立ち入り禁止で、艇や選手を間近に見ることはかないませんが、

海岸から遠目にレース見物をする事は出来ます。  写真はズームで撮影しました。 」

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阿智胡地亭便り㉘ #91<ボンベイから出した手紙>2005年9月6日  こんな便りを2002年頃からメールで友人知人に発信した。

2021年07月31日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

#91<ボンベイから出した手紙> 2005年9月6日 記


自分の子供時代の品物を整理していた長女が、「お父さんがインドから送ってくれた手紙が出てきたよ」と言って、その手紙を私の所へ持ってきました。 
読んでみると、長女の小学校の入学式のことが書いてありました。それからすると昭和55年の4月ごろに、インドのボンベイから、
当時住んでいた茨城県北相馬郡藤代町(現取手市藤代町)の自宅に出した手紙です。(当時のボンベイは今はムンバイという名になっています。)
     泊まったホテルはオベロイホテル。

 
プライベートな手紙なのですが、25年前のことなので「一つの記録」ということでお許しください。
 「Y子へ
 おとうさんは おしごとで たいわんから また べつのひこうきにのって いんどの ぼんべいというところへ きています。
ままに ちづでどこか みせてもらいなさい。いんどの人ひとはいろが みなくろく にほんじんとは ちがっています。

Y子のにゅうがくしき おめでとう。おとうさんが いえへかえってから にゅうがくしきのときの ようすを
 おはなししてください。おとうさんの にゅうがくしきのときは きゅうしゅうの わかまつ ふたじま というところに いました。
がっこうのさくらのはなが まんかいで きれいでした。これから あたらしいことを たくさん べんきょうして よくかんがえるこどもに
 なってください。そしてじぶんのかんがえを はっきり いえるようにしよう。
 M子と なかよくしていますか。ときどきはけんかしてもいいけど(M子がわがまましたりするとき) ままと M子と みなで なかよく
 ぱぱのかえりを まっていてください。では げんきで まいにちがっこうへ かよってください。 ぱぱより。」



    ◎オベロイホテルのロビーで。3回目?くらいのボンベイ出張で。

最近のムンバイの街中。ネットから引用


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国と東電に10億円賠償命令 帰還困難巡る福島原発訴訟の判決 (共同通信)

2021年07月31日 | SNS・既存メディアからの引用記事

2021年7月30日 23時12分   YAHOOニュース

 判決後、福島地裁郡山支部前で「勝訴」などと書かれた垂れ幕を掲げる原告側弁護団=30日午後

 判決後、福島地裁郡山支部前で「勝訴」などと書かれた垂れ幕を掲げる原告側弁護団=30日午後

 東京電力福島第1原発事故で全域が帰還困難区域となった福島県浪江町津島地区の住民640人が、国と東電に放射線量を事故前の水準に戻す原状回復と損害賠償を求めた訴訟の判決で、福島地裁郡山支部(佐々木健二裁判長)は30日、国と東電に対し、原告634人に計約10億円を支払うよう命じた。原状回復の訴えは却下した。
 6人は事故時に居住実態がなかったとして請求を棄却した。
 原告側は国、東電は大津波襲来を予見し、事故を防げたと主張。除染による地区全体の線量低減を求めた。国と東電は原状回復の実現方法が特定されていないと反論。既に十分賠償したとして訴えを退けるよう求めていた。

国、東電に10億円賠償命令 帰還困難巡る原発訴訟

 

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