向島百花園は江戸時代から200年ほど維持されてきた歴史のある花園だと聞いていた。
以前から一度行ってみようねといいながら行きそびれていた一番身近な都立庭園で「都立文化財九庭園」の一つだ。
5月某日 亀戸駅北口のバスターミナル6番口で日暮里行きに乗り「百花園」で降りた。
百花園のサイトから一部引用
「江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。
交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。
その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。
「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。
百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。
なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。」
初めて訪ねたが 自然をたっぷり残した園の木々や花々にほれ込んだ。年に何回も訪ねることになりそうだ。
240503向島百花園