阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

1995年、オウム事件を生んだ平成の「災害史観」とは何か   ニューズウイーク日本版

2019年07月28日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・<平成を総括した保坂正康の『平成史』は、平成は実質的に平成7年(1995年)から始まったと解釈する。その年、3つの出来事により昭和が清算された>

『平成史』(保阪正康著、平凡社新書)は、政治、社会問題、天災、人災などについて振り返ることを通じて、「平成」を総括した新書。昭和との因果関係を踏まえながら、深い考察がなされている。

平成の天皇が成し得たことから小選挙区制の欠陥まで、それぞれが興味深い内容だ。私の世代には実感しにくい、戦中派としての考え方も参考になった。

そんな中、最初に引きつけられたのは「災害史観」についての記述だ。著者の言葉を借りるなら、災害史観とは「災害によって起こる社会現象や人心の変化や推移をふまえた歴史の味方」。つまり、平成の災害史観がどのようなかたちで年譜に刻まれているのかを確認すれば、いくつかのことが分かってくるというのだ。


阪神・淡路大震災のほぼ二ヵ月後に、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしている。これは単なる偶然か。むろんそうではあるまい。
 オウム事件は災害史観の結果であり、事件の実行者には阪神・淡路大震災とどのような形であれ、心理的動揺の結びつきがあるように思う。
 平成二十三年三月十一日に起こった東日本大震災は二つの面から成り立っている。ひとつは天災であり、強度の地震と津波である。もうひとつは人災であり、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故である。この天災と人災を組みあわせた大震災により、私たちはそれ以後、多くの災害史観の影響ともいうべき史実を生みだしているように思う。(「序章 天皇の生前譲位と『災害史観』」より)

こうした前提は、第四章「〈一九九五年〉という転換点」で深掘りされている。特に注視されているのは、わずか二ヵ月ほどの間に起こった阪神・淡路大震災とオウム事件である。これらについての史観が、平成という空間を支配していた軸であるというのだ。

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