阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年10月09日(火)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年11月12日 | 東日本大震災ブログ
2012年10月09日(火)
 
原節子の流儀
 
わたくしはどなたにも消極的だと言われますが、生まれつき欲が少ない性格なのかもしれません。

おいしいものが食べたいとか、いいお家に住みたいとか、いい着物を着たいと思わないのです。

ですから損得でものをしゃべったり、行動したことはございません。

自分を卑しくすると、あとでさびしくなるのでそういうことは一切しないようにしています。

そのためにおカユしか食べられなくなっても、いたし方のないことです。

映画でもわたくしのやる役柄は狭く限られておりますが、この役柄を深く掘り下げていって、ただ一人の観客の心にでもほんとうにしみ入ったら、ということがわたくしの願いです。

女優として立派でありたいというのがわたくしのいつわらぬ気持です。

伊奈もと 著 『髪と女優』の一節を、貴田 庄 著 『原節子 あるがままに生きて』に貴田が引用。貴田の同書から管理人が引用。
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今日の一言 |
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沖縄県知事野田首相と会談
オスプレイの配備撤回を 首相に沖縄知事要求
2012年10月9日 11時12分

 沖縄県の仲井真弘多知事は9日午前、野田佳彦首相と官邸で会談し、米軍新型輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場(同県宜野湾市)への配備撤回を求めた。首相は「重く受け止める」と強調、同飛行場の早期移設や沖縄振興に努める考えを示したが、協議は平行線をたどったとみられる。

 知事は「安全対策で決められたことはきちんと守るよう政府から絶えず(米側に)再確認してほしい」と指摘。「(普天間飛行場ではオスプレイが)住民の上空を通らないのは無理がある」との認識を示した。

 首相は「日米両政府で合意した安全運用策が順守されるよう政府として検証する」などと述べ、理解を求めた。

「撤去まで抗議貫く」 野嵩ゲート200人
2012年10月9日 09時48分 沖縄タイムス

米軍普天間飛行場の野嵩ゲート前で、車道に向かってオスプレイ反対をアピールする市民ら=8日、宜野湾市野嵩

 【宜野湾】オスプレイが配備された米軍普天間飛行場の野嵩ゲート前には、公休日の8日も午前7時から市民ら約200人が集まり、「ノーノー、オスプレイ」と抗議の声を上げた。米国も祝日に当たるこの日、オスプレイの飛行は確認されなかったが、1日の初飛来から1週間がたち、本格運用がいつ始まってもおかしくない状況に、参加者は粘り強く反対運動を貫く決意を示した。

 沖縄市の真謝保久さん(68)は「オスプレイがいるから、祝日でも休む気にはなれない。撤去するまでがんばる」と語気を強めた。

 車いすで駆け付けた名護市辺野古の島袋文子さん(82)は「普天間で危ないものは、辺野古でも危ない。オスプレイと一緒に、全ての基地を撤去してほしい」と訴えた。那覇市から参加した女性(72)は「沖縄の未来が懸かっている。本格的に訓練が始まったら高江にも辺野古にも行くつもり。体を張って闘う以外にない」と力を込めた。

 同飛行場周辺の森川公園などでは、市民がたこを揚げて抗議。宜野湾市長田から2人の息子を連れてきた仲間静香さん(38)は「安全な空の下でサッカーをさせたい」と願う。那覇市の会社員、親川奈々子さん(24)は「たこなら、沖縄文化を学びながら非暴力でオスプレイ反対を訴えられる。小さいころに揚げて以来だけど、とても楽しくてはまりそうです」と笑顔で話した。

 野嵩ゲート前の座り込みは、沖縄平和市民連絡会などが9日以降も朝から継続する。
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公募抜け道 世襲延命 自民大物議員続々引退へ  東京新聞
2012年10月9日 朝刊

 次期衆院選を控えて、自民党大物議員の引退表明が相次いでいる。後継は公募かそれに準じた方法で選ぶことになってはいるが、大半は世襲候補に落ち着くとの見方が強い。二〇〇九年衆院選マニフェストで世襲制限を打ち出したにもかかわらず、公募制度の名のもとで世襲が定着する懸念も出ている。 (大杉はるか、上野実輝彦)

 自民党では九月に通常国会が閉会してから武部勤元幹事長、福田康夫元首相、中川秀直元幹事長らが相次ぎ引退表明。後継に子どもが名乗りをあげるケースが目立っている。

 世襲をめぐっては、後援会組織を土台にした「議席継承」に批判が噴出したことを踏まえ、自民党は〇九年衆院選のマニフェストに、次期衆院選から引退する議員の配偶者や三親等以内の親族が同一選挙区内から立候補する場合、公認しない方針を盛り込んだ。

 ところが、野党転落後の一一年三月、谷垣禎一総裁(当時)を議長とする政権構想会議は候補者公募に関して「地縁・血縁のある者も考慮すべきだ」とした勧告をまとめ、世襲制限を事実上、骨抜きにした。

 惨敗した〇九年の衆院選で、勝ち上がった半数近くが世襲議員。党側にとっては「勝ちやすさ」を重視して、世襲候補が公募に参加できるように道を開いたといえる。

 これに対して、中堅・若手議員らは「自民党は変わった」とアピールするため、抜本改革を求めている。先の総裁選をめぐっては、立候補した五人全員が世襲議員で、党の閉鎖的な体質を浮き彫りにしただけに、こうした声は強まりつつある。

 党の公募制度は、安倍晋三総裁が幹事長時代の〇四年、衆院埼玉8区の補欠選挙で初めて導入した。安倍氏は「公募制導入で能力のある人たちを抜てきしてきた」と主張する。

 非世襲の公募一期生として当選した柴山昌彦衆院議員は「外の血を入れないと、活力のない時代遅れの組織になってしまう」と指摘。「公正な形で競わせるため、世襲候補が出馬する際は(引退する親族と)別の選挙区から出てもらうことなどを当面の内規として定めるべきだ」と訴えている。

 一方、民主党も配偶者や三親等以内の親族が同一選挙区から連続して立候補することは認めないとしている。ただ、今期限りで引退を表明している羽田孜元首相の後継問題(衆院長野3区)では、長男で参院議員の羽田雄一郎国土交通相が候補に取りざたされている。

☆現代日本の貴族階級である保守政治家層は貴族の世襲を廃止する気はまったくない。また周囲も世襲を強く望む。彼らがこれまで築き上げてきたグループの既得権益を手放そうとは思わないからだ。

同じく現代日本の貴族階級になったエリート官僚社会も、むしろそのことは歓迎すべきことだ。シナリオ通りに動いてくれる大物政治家の子どもたちは、彼らにとって間違いなく愛い奴でしかない。

東京新聞などと違って、記者クラブ系大手メディア在籍から国会議員になった自民党の中川秀直さんや石原伸晃さんなどを見ても、これらエリート層は大手メディア業界をもその一員として、日本の支配権を持ち回りで強化していく。

それにしても武部、中川さんまでも我が子を跡継ぎにするか。

あるとき乗ったタクシーの運転手が言った言葉を思い出す。

『お客さん、政治屋さんちゅう家業はよっぽど楽で、おいしい稼業なんやろね。わたしらこの仕事しんどうて、とても息子に継がそうと思いませんワ』
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山中教授にノーベル賞
 
山中教授夫妻、京大で会見 「学生、仲間に恵まれた」
2012/10/09 11:40 共同通信

 ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった京都大の山中伸弥教授(50)は、一夜明けた9日午前、妻で医師の知佳さん(50)とともに京大で記者会見し「学生や仲間に恵まれたことが、受賞につながった」とあらためて感謝の言葉を述べた。

 知佳さんは「こんなにたくさんの方に喜んでいただけることがうれしい。連絡を受けてから、ぼうぜんとしている。ありがとうございました」と話した。

 山中教授は会見冒頭で、受賞の感想について「昨日も感謝と責任と申し上げたが、二つの気持ちを強く持っている」と話した。

「日本が取った賞だ」 山中教授にノーベル賞
2012年10月08日 23時39分 京都新聞

 現代医療に革新をもたらす可能性を秘めたiPS(人工多能性幹)細胞を生み出した京都大の山中伸弥教授(50)が8日、ノーベル医学生理学賞に決まった。

マウスiPS細胞の作製の論文を発表してからわずか6年。京大の関係者や市民、患者団体からは「社会の大きな期待の表れ。実用化への弾みになってほしい」と喜びの声が上がった。午後8時から京都市左京区の京大で会見した山中教授は「みなさんのおかげ」と感謝の言葉を繰り返し、「研究を続け、社会貢献、医学応用の実現を」と力強く語った。

 山中教授はこの日は休日で、大阪市内の自宅で受賞の一報を受けた。会見で、「洗濯機がガタガタいっているのを直そうとしていた」ときだった、と明かし、約100人の報道陣を笑わせた。「既に実用化されている仕事もたくさんある。まさか自分が受賞するとは思っていなかった」と驚きを隠さず、「研究メンバーに恵まれた。支えてくれたみんなのおかげ」と続けた。

 山中教授は午後7時半ごろに、タクシーで京大に到着し、取り囲む報道陣に「ありがとうございます」と答えながら、足早に会見場に向かった。直前に野田佳彦首相の祝いの電話を受け、会見の冒頭では「受賞できたのは日本という国に研究を支えてもらったからだと心の底から思った。日本という国が受賞した賞だ」とまず感謝の意を表した。

 一緒にいた家族の反応について聞かれると、「伝えてもなかなかぴんとこない。ぼうぜんとしていた」と語り、母親について「電話で『よかったなあ』と言ってくれた」と表情を崩した。

 ジョン・ガードン博士との共同受賞については「一番うれしいことと言っても過言ではない。私たちの研究分野を切り開いてくれた。ガードン先生の仕事がないと受賞できなかった」と語った。

 iPS細胞の医療応用を待つ患者に対しては「今日あしたに病気を治せるというのではなく、実用化には時間がかかる。しかし、世界での研究は一歩ずつ前に進んでおり、希望を捨てずに見守ってほしい」と呼びかけた。
2012年10月9日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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