阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

小説『火垂るの墓』  著者 野坂昭如さんの あとがき

2024年08月15日 | 音楽・絵画・映画・文芸
 
君たちの生まれる前、戦争があった。
 
たくさんの人が死んだ。
 
そして、日本は、もう二度と戦争をしないと決めた。
 
だが今、戦争を迎え入れつつある。いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない状態なのだ。
 
君たちはこれをどう考える。
 
君たちの周りには食べ物が溢れている。
 
けれど、そのほとんどが、輸入の産物。
 
戦争が起きれば、食べ物は入ってこなくなる。
 
そうなれば、たちまち日本国中、餓死して当然。
 
ぼくが子供の頃、この国は農業が盛んだった。
 
身近に、作る人の努力を感じることができた。
.
物を食べる時、作った人や、その収穫物に感謝する気持ちがあったし、大地の恩、水、天の恵みを有難く思っていた。
 
「いただきます」という言葉には、そういった気持ち、すべてが込められていた。
 
食べ物を大事にしてください。
 
戦争中、そして戦後、餓えて死ぬ人を何人も見た。
 
戦争は嫌だ。戦争は決してしてはいけない。
 
君たちに同じ思いをさせたくいない。
 
君たちが大人になる頃、戦争を経験したぼくたちはもういないだろう。
 
この本を読んで、戦争を考えて下さい。
 
戦争について、語りあって下さい。語り合うことが大事です。
 
そして、ここに書かれなかった戦争の真実を、君たちの力で自分のものにしてください。
 
* 野坂昭如『火垂るの墓』 あとがきより
 
「火垂るの墓を歩く会」に参加しました。その1
「火垂るの墓を歩く会」に参加しました。その2

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2 コメント

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記憶 (忘れ者)
2022-08-15 10:48:27
戦争下 家族が飢え死にすると、愛媛の母の里に疎開したこと思い出しました。あまり遠い昔、近い昔。
福井に疎開していた頃は母の着物は かぼちゃになりました。ある日、着物屋の、衣紋掛けに自分の着物がぶら下がっていた事忘れられないと。
お乳が1滴も出なくて、2番目の子供を死なせてしもうたと言って、大阪吹田に家を立てたとき、一番に作ったのは、お墓でした。忘れてはいけない我が家の歴史でしょた。
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Unknown (こおひいたいむ)
2022-08-15 18:09:51
こんばんは。
終戦の日にふさわしいエントリー。
今の子ども達はこういう映画から戦争を理解しているかもしれませんね。
何度見ても涙が流れます。

庄内由良の写真,またお褒めいただけるよう頑張ります。
コメントありがとうございました。
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