阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

宝塚から丹波篠山へ   篠山シリーズ その1             11年前の今日 2011年11月12日の本ブログに掲載

2022年11月12日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

「世界平和アピール七人委員会」の講演会を聞きに丹波篠山へ行きました。

今回初めて知ったのですが、この七人委員会の発案者である下中弥三郎さんは丹波篠山の出身でした。

彼が亡くなって50年が経過した記念の年に、彼が生まれ育った篠山で講演会が開かれたのです。

下中弥三郎の名前は百科事典の「平凡社」の創業社長ということで名前を知ってはいましたが、

出身地や委員会の発案者であることは知りませんでした。篠山は今はむしろ“河合 隼雄”さんとその兄弟の

出身地であることで知られていると思います。阪急西宮から宝塚へ。宝塚でJR福知山線に乗り換えて約40分で篠山口駅につきます。

ここから篠山の中心へはバスで15分くらいかかります。

 明治の頃、鉄道が敷かれる計画が公になったとき、真っ黒な煙を吐く鋼鉄の化け物を街に通すなという運動が当時の

有力者の間で起こった町が日本には沢山あります。おそらく篠山も城下町であったことで線路を忌避したのでは?

自分がかって住んだ場所の近辺では、常磐線の藤代の奥の龍ヶ崎市は当時、絹織物の産地で隆盛を極めていて

化け物は町を通さないことになり、JRの駅はありません。予讃線の新居浜駅も当時の町の中心からは遠く離れた場所に今も駅があります

 講演会が始まるのは午後一時半からでしたが、十二時頃に町の中心部について篠山城址や商店街をぶらぶらして

とろろ蕎麦をたべてから会場へ向かいました。












 宝塚から丹波篠山へ      連続画像アルバムは画面の左下のをクリックしてスタート。  右下の 拡大アイコンをクリックすると大画面になります。
                       


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