阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

76743票を取って新杉並区長に当選した新人は二位の現役候補との票差がわずか「187票」だった。

2022年06月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

今度の7月10日の参議院選で 人が多く投票所に行って投票率が上がるのも困るし 女性候補が票を取るのも困る、そういう勢力が

大手新聞テレビにはたらきかけているのかこの票差の事実は ニュースとしてあまり大きく取り上げられない。

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6月21日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年06月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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文京区の白山神社のアジサイを観に集まる人の多さにびっくりした。

2022年06月21日 | 東京あちこち

紹介ブログ⇒こちら

2015年の文京あじさいまつり動画

 東京都文京区白山神社   

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強度計算偽装見逃し事件ーようやく本来の原因追求へ

2022年06月21日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年10月07日(火)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

国交省(旧建設省)は何とか我が身に降りかからないようにと、マスコミ操作を含めてあらゆる手を使って「建築確認申請の強度計算[見逃し]」にライトが当たらないようにしてきた。

 しかし、とうとう法廷の場でこれが論争されることになった。

これまで小嶋進さんが終始一貫、「本件の根本原因は建設省の確認申請の手抜き審査にある」と述べてきたことが表面に浮かんできた。(前回の記事はこちら

強度不足のマンションを買ってしまった国民が、何故そんなマンションを買わざるを得なかったのかと単純に原因をさかのぼれば、

原因は「偽装計算を見逃して」建築事務所からの建築確認申請を合格にしたお役所にあることに行き着いたのだろう。 

「耐震偽装で国を初提訴 マンション住民、建て替え費用など請求


 耐震強度偽装事件に絡み、姉歯秀次・元一級建築士(51)=実刑確定=が偽装した分譲マンション2棟の住民57人が6日、民間検査機関の監督を怠ったとして

、国と自治体などを相手取り、建て替え費用など計約10億4500万円を求める訴えを東京地裁に起こした。被害住民が国を訴えたのは初めて。

 提訴したのは東京都世田谷区の「グランドステージ(GS)千歳烏山」と、川崎市の「GS溝の口」の住民。

 訴状によると、住民側は国の責任について「偽装が容易な構造計算プログラムを認定したり、民間検査機関の監督を厳正に行わなかった」と指摘。

国、世田谷区、川崎市のほか、両マンションの建築確認をした「イーホームズ」(廃業)にも損害賠償を求めた。

 提訴後に会見した原告代表の会社員、西川智さん(38)は「明らかに人災の事件。国の監督責任を明確にしなければ安心してマンションに暮らせない」と訴えた。

(2008年10月06日 23:01) NKKEINETから引用。

♪普通に働いていたクニタミ小嶋進さんがある日逮捕され、保釈を何度申請しても証拠隠滅、逃亡の恐れありと却下された。

そして11ヶ月の長期拘留を受けた。裁判の結果、彼は実刑にならず執行猶予付きの判決が出た。

その11ヶ月の間、ある意味彼は「口封じ」されていたようなものだ。

小嶋さんがマンションの住人に直接働きかけて提訴に持ち込んだわけではないと思うが

小嶋進さん、貴方の11ヶ月の拘置所の中のお上との不撓不屈の戦いがこの提訴に結びついたと思えば、もって瞑すべしではないですか。

それにしても小嶋さん、あなたの人相がもう少し良かったら「某みのもんた」とやらにテレビで悪人、犯罪者と悪罵痛罵されずにすんだものを!

 以下余談ながら(司馬遼太郎風に)、江戸時代には市中引き回しの刑というのがあったらしいが、現今はテレビのワイドショーというのが、

判決が出る以前に被害者や加害者、その家族も含めて全て「全国引き回しの刑」に処してくれる。

アメリカ建国時代の西部で、他所者が犯罪者と見なされると、巡回判事が回って来る前に、住民が町外れの木に彼を吊す西部劇を何本か見た。

その木は「ハンギングツリー(首吊りの木)」と呼ばれた。

「私刑ーリンチ」と言うのは、自分に降りかからない限り、今も昔も見世物や娯楽としては最高だ。

視聴率を稼ぎたいテレビ局の役員さんたちは誰も「ハンギングテレビショー」を止めない。

テレビ会社の社長や役員の奥さん方も、番組スポンサー会社のエライさんの奥方たちも、夫の会社の製品愛用ということで、

毎日「ハンギングワイドショー」を楽しんでいるのでしょうね

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6月20日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年06月21日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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文京区白山にある「小石川植物園」は広大な面積に植物の香気が満ちていた。

2022年06月20日 | 東京あちこち

ひさしぶりの「散歩会」は本当に1万歩を歩くウオーキングになった。 まず白山神社のアジサイを見てから 近くの「小石川植物園」に向った。

園内には桜の大木も多く 来春のお散歩会は 桜を見に小石川植物園を再訪しようと衆議一決した

植物園のサイトから引用

植物園の概要

植物園航空写真

東京大学大学院理学系研究科附属植物園は、一般には「小石川植物園」の名で呼ばれ親しまれており、植物学の研究・教育を目的とする東京大学の教育実習施設です。 この植物園は日本でもっとも古い植物園であるだけでなく、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つです。 約320年前の貞享元年(1684)に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」がこの植物園の遠い前身で、明治10年、東京大学が設立された直後に附属植物園となり一般にも公開されてきました。 面積は161,588m2(48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、泉水地などの地形を利用して様々な植物が配置されています。 この植物園は日本の近代植物学発祥の地でもあり、現在も自然誌を中心とした植物学の研究・教育の場となっており、特に東アジアの植物研究の世界的センターとして機能しています。 植物園本館には植物標本約80万点(植物標本は、東京大学総合研究博物館と一体に運営されており、全体で約190万点収蔵されています)、植物学関連図書約2万冊があり、内外からの多くの植物研究者に活用されています。 園内には長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物や遺構が今も残されており、国の史跡および名勝に指定されています。

 

 

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こちらから話しかけ 喋り合うと、ヒトは心を開く

2022年06月20日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年10月18日(土)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

1日ごとにはリセットせず、万歩計を4日間通しで計って見たら53691歩になっていた。

その間よく飲み、よく食べ、よく喋ったせいか、残念ながら腹周りはしっかりそのままサイズを維持している。しかしこれだけ歩けば全身の細胞の活性化には悪くはないはず。

 あちこち行った土地でその場所の記憶が残るのは、もちろん美しい海岸や山々、高山植物、おいしい魚介料理などアイテムは数々あるが、

それはそれとして泊まった「ヤド」で働いている人たちと、なんとはない会話をした場所は意外に覚えているものだ。

今回泊まった三島のビジネスホテルは、ハード的には普通のビジネスホテルと変わりないが、フロントのおやじさん達とのチエックイン時の喋りや、

送り迎えの時の会話、食堂で働く女性軍との朝食時の自然体のお喋りのお陰で、これから先も同行の皆さんとの思い出話しに出てくるだろう宿になった。

土地の人と宿でこうして話をするのもタビの楽しみの一つだ。

三島は江戸時代には東海道五十三次の宿場町で、三島女郎衆の歌が残るほど繁栄したスポットだ。おそらく当時は東西の商人が宿泊する「諸国商人御宿」も沢山あったに違いない

私も現役時代、その土地の人から見れば他国の商人として、土地土地の「むかし商人宿、いまビジネスホテル」に宿泊した。

ビジネスホテルには全国チエーン化したホテルも多く、今回宿泊した「昭明館」の部屋の窓からも、北陸の富山から発した「αー1ホテルチエーン」のホテルαー1三島も見えていた。

高岡や鳥取、新居浜などでよく利用したチエーンだ。

広島で勤務した3年間の記録を見ると、毎年約100日は山口、島根、岡山、鳥取の各県のそういう「諸国商人宿ービジネスホテル」に泊まっていた。

全国展開のホテルのサービスレベルはマニュアル化されているのか、大きな違いはないので、安心感がある。しかし、それはそれだけでもある。

今は上司と出張してもホテルはシングルで別々の部屋になるが、私の若いときは出張宿泊は旅館の和室で課長と相部屋が普通だった。

各地の地元のビジネスホテルの中には、昔ながらの「諸国商人御宿」からの客扱いを引き継いで、形態だけは旅館からホテルに転換したというのも多い。

そこでは各種各様の扱いを受ける。殆どは事務的な応対で終るが中には、昔ながらのヤドヤの雰囲気があるビジネスホテルも多い。

若い連中の中には他人から喋りかけられるのは鬱陶しいと思う人も多いようだが、裏を返せば彼らは他者と普通にハナシが出来ない小心者のコドモちゃんとも言える。

折角よその土地にいるのに勿体ないと思うけど。

 何を話したかはともかく、二日間楽しく安心して滞在出来たのは三島のお宿の皆さんの❝あきんど❞スピリットのお陰だった。

ホテル商売の差別化には、容れ物というハードももちろん大事だが、相手を個別に満足させる客扱い(しかもへりくだらず、慇懃無礼でない)というソフトが効くなあと実感した。

同行の仲間は全員、来年の宿泊もこのホテルを予約してねと言っている。

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6月19日に目に留まったSNS・メディアの記事

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臥龍山荘は数奇者が作った名邸  大洲その2。          13年前の今日 2009年6月19日「Shot日乗」に掲載

2022年06月19日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

明治時代の貿易商が、工期4年をかけて金に糸目をつけずに作ったという、肱川の臥龍淵を見下ろす崖に作られた山荘に行きました。
 一言でいえば、当時の日本人として河内寅次郎という人は、家作という贅沢の中でも最高の贅沢を享受したという感じを受けました。

にしても欧州の石造りの豪華絢爛な大建築ではなく、このような自然のなかに紛れてしまうような(西洋の建築から見れば桂離宮と同じく、

小屋にすぎないという概念のもの)建物が、日本の大金持ちが目指す最終の別荘のカタチというのも、極東の列島に住む人間らしくていいもんだと思いました。
 ただ、侘び?寂び?   それが何か?とも、半分くらい思ったのも事実です。

建物の内部は撮影禁止でしたが、こちらのサイトには詳しい画像が多数ありますのでご参考まで。山荘からの見晴らしです。




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おはなはん通り  大洲その3                 13年前の今日 2009年6月19日「Shot日乗」に掲載

2022年06月19日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

大洲市内を歩きました。臥龍山荘から10分も歩くと「おはなはん通り」に出ます。短い通りは綺麗に整備されていました。

NHKの朝ドラ「おはなはん」の舞台は大洲で 主演した樫山文枝という女優さんが、当時のアパレルブランド「オンワード樫山」の社長の姪ということで記憶に残っています。

昭和41年の4月から一年間の番組だったそうです。




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6月18 日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年06月19日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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印旛郡の里山住人Kさんの 「焼尻島・天売島/北海道の旅」  その3/完     ウトリとウミネコ

2022年06月18日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人のKさんの「焼尻島・天売島/北海道の旅」のツアーレポートその3です。

⇒ 天売島の夕焼け

 
 天売島より利尻富士を望む
 

 天売島は「ウトウ」の世界最大の繁殖地です。

その数40万つがい、80万羽が一斉に帰巣する様子は圧巻です。鳩ほどの大きさのウトウが目の前を高速で巣に降りてきます。
また道端の一部をLEDで明るくして餌を加えたウトウを身近で観察できるように配慮されています。
 
 ウトウの帰巣
 
 
 LEDの下でウトウ観察
 
ウトウは警戒心が強いので子育て中は日の出前に巣を出て100Km先の海域まで餌となる
カタクチイワシを採りに行き日没後に帰巣します。夜しか観察できないのでこの時間となる。
 
 
翌朝は昨晩行った赤岩展望台付近へ、今度はウミネコ等の観察となる。
ウミネコは道端や崖の草むらに2,3個の卵を産み、ヒナは7月に巣立ちのピークを迎える。
草むらの中の卵、孵ったばかりのヒナ、親鳥と成長したヒナなど観察した。
また近くにはすごい数の親鳥が飛び交っていた。
 
 ウミネコ
 
 
 ウミネコの卵
 ウミネコのヒナ
 ウミネコ親子
 赤岩付近
 
 
赤岩展望台へ降りていくと赤岩と青い海が見える、すぐ横の崖を見ると小さな黒い鳥が
数羽いる。写真を撮って拡大してみると「ケイマフリ」だった。
天売島は陸からも海からも近くでケイマフリを観察できる世界でも絶好のポイントで、
世界中からバードウォッチャーが訪れるとのこと。
 ケイマフリ
 
花と海鳥、海鮮料理、離島のんびり旅は天気にも恵まれ最高だった。
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大洲城(伊予の国)は檜の香りがかぐわしい。 大洲その1             13年前の今日 2009年6月18日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年06月18日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

もう長年楽しませて頂いているブログ「retireman」さんは、京都にお住まいで大洲ご出身のhinoGさんが運営されています。

旅に出る前にhinoGさんから大洲の見所やお土産のアドバイスを頂いたお陰で、楽しく大洲の街を巡る事ができました。

 大洲城は大洲市民が再建計画に全面的に参加し、市民が物心両面で支えて2004年に完成した伝統工法の大型木造構造物です。

城の中はかぐわしい檜の香りに満ちていました。係りの人に聞くと、殆どの材は近郷の森林から切り出されたが、心柱などの太い材は入手できずに

林野庁に頼み 木曾の国有林の檜の大木をわけてもらったそうです。思わず、そうですか信州の木材も使われているのですかと、大きな声を出してしまいました。

また建て方工事は富山県井波町の宮大工と地元の大工のコラボで木組みを完成させたそうです。

大洲城(クリック)。

急な階段を上って天守閣の上に出て大洲の街の四方を見ました。

肱川には沢山の鵜飼船が浮かんでいました。柔らかな物言いのタクシーの若い運転手さんに聞くと、6月からシーズンに入っているんだそうです。




近江聖人と言われた「中江藤樹」の像が城郭公園にありました。中江藤樹は養子となった祖父の家を継いで大洲藩主に仕えましたが、

近江に残した老母の孝養のために大洲藩を脱藩して、故郷近江に蟄居したのだそうです。脱藩と聞くと当時は大罪のような気がしますが、

「母を捨て置けない」という彼の気持ちに免じて、当時の大洲藩の重臣たちは「彼をそのまま捨て置く」というおおらかな処置をとったのでしょうか。

初めて訪ねた大洲の町の店のひとたちや、駅の窓口の女性、城や山荘の受付の女性など、出会った人みなが志風君と私の二人に、たおやかな応対をしてくれました。

ゆったりと時が流れ、しかも時代に遅れず・・。当地出身で大阪勤務時代よく一緒に卓戦を楽しんだ池上君は、いま甲府勤務と聞きます。

肱川を山から海へ流れる霧の流れの話は彼から聞き、その後テレビで見てスケールの大きさに驚きました。

(「肱川嵐」:大洲盆地に蓄えられた霧(冷気塊)が肱川を下り、河口にある長浜の町を覆いつくすという気象現象。)


 この地からシャープな彼は東京に進学し、今は甲府で暮らす。甲府もいいところですよと年賀状に書いてきた。

大洲も甲府も山に囲まれた盆地という点では同じ。彼と彼の家族にとっては住みやすいのかも知れない。

池上君もまた、気性の激しさは表には出さないが、腰の据わった南四国人の1人のような気がします。
 
 矢野の「いりこみそ」には沢山の種類がありました。胡瓜につけてもそのままご飯に載せても旨い。もっと沢山買ってくれば良かったのにと相方に言われました。


志ぐれもち。もち粉と上用粉が主材料で全国各地にある菓子で土地によってはウイロウなどと呼ばれる。

これも沢山の製造元があって種類が多いので驚きました。口に入れるとよもぎの香りが広がって美味しい。


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日本の政党にあってアメリカの政党にはない「党議拘束」の話      組の掟が日本の組織行動の原型?

2022年06月18日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年10月01日(水)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

アメリカの下院が29日、不良債権の買取を柱にした金融安定化法案を否決した。共和、民主の与野党の議会幹部が可決を合意していたにも関わらずである。

否決されたことが原因でアメリカの株式市場は大暴落し、順次世界に連鎖して金融システムの混乱が増している。

日本では与野党の議会幹部の合意は即法案成立を意味する。

なぜ成立しなかったのかと思って、新聞を読んでいくと、「党議拘束の有無」に両国の大きな差異があることを知った。 

「アメリカ議会では、個々の議員の判断と意見を尊重するという原則から政党による『党議拘束』の慣習がない。

日本では政党の決定に反する投票行動をとれば党規則で処罰の対象になる。だが米国では逆に、議員の『投票履歴』は有権者にとっての重要な評価基準となる。

特に、細かい小選挙区で支持を集めて当選してきた下院議員の場合は地元の声を反映した投票行動をとる傾向が顕著で、

そこに下院(定数435人)の11月4日改選という日程に絡んだのが今回の構図だった」日経夕刊9月30日2面コラム

♪党議拘束がないとは!

なにしろ昔からこの列島で暮らしていこうと思えば、侍は藩の決まりに、百姓は村の決まりに、時代が下ってお役所は省や部局の利益に、

サラリーマンは会社、というそれぞれの集団や組織の暗黙の決まりに、拘束されて生きてきた。

 国法を守って これらの暗黙のムラの拘束に反すると どういう目に会うかは、つい最近も三菱重工の神戸造船所で、

「大規模工事の現場を統括する「監理技術者」資格の不正取得を内部告発し、報復人事(社宅の掃除担当の子会社へ飛ばされた)を受けたとして、

三菱重工業社員の西村茂さん」が、訴えているし、

 愛媛県警の裏金を告発した仙波巡査部長のケースには従来の警察がヘタを打ったときの常識的な対応アクションが素直に出ている。

(数日前の判決で県警側が報復人事を行ったことを認める2審判決がでた。警察庁も昔ならこんな判決が出るとは思ってもいなかっただろう。

つまり自分で実名証言する警察官が出ることなど、警察幹部は想定もしていなかっただろう。)

 国会議員も個別法案を是是非非の個人判断で投票できない。

そしてそれは当然だと思って何も不思議に思っていなかった阿智胡地亭。

この列島ではかなり昔から、善悪を超えてどんなことがあろうとも 自分のムラを守る行動をしてこそ、ムラの一員であることが出来た。

例えば公害企業と言われた会社の社員も身体を張って、本社に抗議行動に来た被害者の地元住民を力で押し返してこそ、

その会社の社員だった。それは当時としても、おそらく今も、当然のことだろう。

党議拘束というシバリをつける発想がないアングロサクソン主体の国の組織運営システムと、

本質的にはやくざの組のオキテと変わらない拘束を持つ自民党、民主党、公明党などを持つ北東アジア人の国の組織運営システムの差は大きいが

組織の中に入り込み、組織に守られ、上の言うことを聞いてさえいれば、我が身の安泰な日本式システムは、組織内の人間にとってはチョー居心地がいいからまだまだ続くだろう。

しかしこの日本システムは 法律に基づく 善悪の判断より、個別組織の損得の判断が優先されるから国全体の損得の判断が出にくいし、

個別組織の中でいったん上に立った連中や階層が、いつまでも既得権を握ることが出来るという側面もある。

(小泉、安倍、福田、麻生と4代続いて政治が家業になった階層から首相が出るのは、部族の酋長階層が権力を握る中東の部族国家と同じだ。

こんどだけは新酋長の麻生さんに仲間内で酋長職をたらいまわししないで欲しいが)

今の日本の閉塞状況にはなんとも年期の入った「やくざの掟」という通奏低音が流れているような気がする。

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6月17 日に目に留まったSNS・メディアの記事

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