阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

蕎麦の「愛知」を楽しんだ後 夜の旧中川「ふれあい橋」からスカイツリーを見た

2022年06月17日 | 身辺あれこれ

「愛知」は親爺さんから息子さんに技術の伝承を日々上手にやっていて 新しい料理人になっても蕎麦もそばつゆも前と同じ味を楽しめるのがありがたい。

店の帰りに渡った「ふれあい橋」はまだ多くの人がアジサイとスカイツリーを楽しんでいた。

 

 

 

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京都先斗町の昼食はぬる燗で              11年前の今日 2011年6月17日に「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年06月17日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

藤沢在住の前田君が京都に身内の応援で滞在していて、昨日は三番目のお孫さんが産院から
家に帰り、命名式があったそうだ。彼が命名の筆を執ったそうでめでたいことだ。
 彼もホッとしたところで、昼食会をやった。先斗町を入ったところにある割烹“いずもや”で、
昼のぬる燗を楽しみながら会話が弾んだ。





ご縁戚の鞍馬の岸本商店の有名な“葉山椒”を頂いた。お店は山門前と鞍馬駅前にあるそうだ。

それにしても50年以上前に、三重県の四日市高校でお互い新入生として出会い、たった一学期だけ同じクラスだった二人が、

京都でともに昼酒を飲んでいるのは不思議なことだなあと思いつつもう一本銚子を追加した。

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モリヤ族とイズモ族   神々の話その1

2022年06月17日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年09月15日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

守屋山と諏訪大社

・・・略・・・東海地方に住む山好きたちにとって、守屋山は昔からなにやら知れぬ奥深い意味を持っていたらしいのである。

守屋山は(麓からすれば)数百メートルの高さかしかない低山である。山容もとりたてて目立った特徴を持たない。ただ山頂からの眺めはすばらしい。

眼下に諏訪湖の全貌が広がり、そのまわりを蓼科の山々が取り囲み、向うには雄大な八ヶ岳がそびえている。

では、頂上からの眺望がすばらしいから、このガイドブックは守屋山を山歩きの源流の位置に据えたのかというと、どうもそうではないらしい。

天竜川流域に住む人々にとって、昔から守屋山はなにか特別な意味を持った山であったらしいということを、その本の著者たちは言外に匂わせようとしているように、私には感じられた。 

守屋山は、諏訪湖の東岸に勢力をはっていた、「モリヤ」という古代部族が聖なる山としてあがめていた山だった。モリヤはおそらくこのあたりに高度な発達をとげた縄文文化の担い手だった人々、または彼らの首長だった家系の名前だろう。ところが古墳時代の末期に、このモリヤの地に、天竜川を遡って、ヤマトの政争に敗れたイズモ族の一派が侵入してきた。

モリヤたちはこの侵入者を食い止めようと全力を尽くしたが及ばず、ついに諏訪の地はイズモの支配するところになった。しかし、イズモは政治の支配者になることは出来たが、この地に暮らす縄文の伝統を保ち続けたいた人々の心まで支配することは出来なかった。この地に諏訪神社を中心とする巨大な信仰圏が形成されるようになっても、その精神的な「奥の院」を握るのは、政治的に敗北したはずのモリヤの系譜につながる人々であり、そのために諏訪の信仰そのものが、中央に発達した神道とはおよそ体質の異なる「縄文的神道」としての野生を保ち続けることになった。

イズモとモリヤはともに敗北したもの同士として共生しながら、この地に独特の諏訪信仰を発達させたのだった。

 このように天竜川の流域には、古代からさまざまなタイプの敗者を呼び寄せる磁力が備わっていた。

天竜川の両脇の急峻な山腹に広がる深い森林に分け入ってしまえば、中央の政治抗争の外に安全にぬけでてしまうことができる。

太平洋に滔々と流れる注いでいく天竜川は、日本人の精神史の中で、そのような一種の「アジール」としての意味も持っていて、守屋山がそのことを象徴する源流の山なのである。

「山へ入る」と言うのは、世俗の力が支配する世界の外にでるということを意味しており、その感覚は近代の登山家たちにもひそかに共有されていて、

どうやらそれが現代の山好きたちの深層にも行き続けている様子なのだ・・・略・・・

中沢新一「折口信夫と天竜川」[ちくま2008.6]から部分引用。

守屋山(もりやさん)は、長野県にある標高1,650mの山。 伊那山地の最北部にあり、山頂からは、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、八ヶ岳連峰といった山々が眺望できる。清流とうたわれる沢川の水源で、もみじ湖(箕輪ダム湖)を経て天竜川に注ぐ。
諏訪大社上社本宮の神体山である。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

守屋山と神体山」⇒こちら

「守屋山 諏訪湖の傍らにひっそりと立つ展望の山」⇒こちら

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6月16 日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年06月17日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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印旛郡の里山住人Kさんの 「焼尻島・天売島/北海道の旅」  その2/全3回   「エゾカンゾウの群生」や「高山植物の数々」      

2022年06月16日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町に住む友人のKさんの「焼尻島・天売島/北海道の旅」のツアーレポートその2です。

⇒夏の北海道の花と言えばどうしても利尻島、礼文島を思い浮かんでしまう。
旅行のパンフレットには「貴重な高山植物を観察できる」とあったが期待していなかった。
 
焼尻島を観光タクシーで廻っていてまず目についたのは初夏を告げるエゾカンゾウの群生だった。
黄色の花が青い空、海に映えて綺麗だった。   トップの画像 エゾカンゾウの群生
 
予定変更で昼食の弁当を食べた後2時間ほど自由時間ができたので「オンコ自然林」を
散策した、原生林には5万本ものオンコ(イチイ)の木があるという。
春の花は終わったか終わりかけていたが初夏の花が咲き始めていた。
 
天売島では朝の散歩に出て道端の崖を覗くと「ノビネチドリ」が一株咲いていた。
花は傷んでなく綺麗なチドリで今回の一番の収穫だった。
 
焼尻島の人口は150人ほど、天売島は300人弱で人口の90%は漁業で生活している。
コロナで2年間観光客が来なかったので島にあったお土産屋、売店、食堂は休業しており
まだ再開できていない。あるのは飲み物の自動販売機だけ。
これらの店の経営者、従業員は皆高齢者なので再開をためらっているという。
 
 タイサンボク
 
  ハナウド
 
 クルマバソウ
  クルマバツクバネソウ
 マイヅルソウ
 ハマナス
 
    テンナンショウ 
 
 オドリコソウ
  蝦夷スカシユリ
 郡内フウロ
  ノビネチドリ
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町田市の三輪南谷の田植えが終わりました。        14年前の今日 2008年6月16日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年06月16日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

長年の勤め人生活を還暦の年に打ち切った町田市に住む従弟のK.Hさん。4,5年前から仲間と共に、持ち主が農作業を放棄したため荒れた田んぼを借り、

元の水田に戻して稲作をする活動をしています。今年の田植えの模様を送ってくれました。


⇒「昨年来、休耕田の復元を行い、アサヒタウンズに紹介された三輪南谷の田植えが終わりました。およそ一反の田んぼです。

水苗代もほぼ成功し、6月14日苗取り、15日田植えの日程で終わり一安心です。この広さの田の草取りが心配です。

先週の金、土には従来より耕作していた「寺家ふるさと村」の大池下の田んぼの田植えも終わらせています。2週続けての苗取り、

田植え平日の補植(植えた苗の手直し)とすっかりお百姓さんです。」




K.Hさんに返信しました。
「水と灼熱の大気がなければ熟さない稲を取り入れまでしゃんと面倒をみる。

写真を見ただけで田んぼの作業は重労働そのものだと実感します。

戦前までの人の手だけでやる稲作農耕というのが化学肥料や機械化で多少は楽になったとは言え、日本中で農家の次世代の後継者が

農業から逃げ出した理由の一つに、今の日本人の身体では耐えられない作業の過酷さがあるような気がしますがどうでしょうか?

勿論、総体的には長期的な休耕田政策など國の農業政策が影響したのでしょうが。結局は人任せで文句だけ言ってきた我々のツケが象徴的に

里や里山に現われているような気がします。

しかし、そんなことを分析したり、なんだかんだ言っていても、里は荒廃していくだけと、

こうして身体を動かして、荒れた田を元に戻す人らがいることを知りました。 」

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日本列島人のルーツ DNAでたどる10万年の旅    | 日本列島人の系譜 |   

2022年06月16日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年09月17日(水)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

幕末にはシーボルトやアーネスト・サトウなど多数の欧米人が日本にやってきた。飛行機のない時代、彼らは船で喜望峰をまわり

インド洋を通りマラッカ海峡を通過してその間の多くの国の港に入港し、それぞれの現地の人間に接した上で日本にやってきた。

その彼らが日本人に接した第一印象は「この土地の人たちは同じ民族に属しているのだろうか」ということだった。

同じ日本語という言語を用いているのでお互い同国人意識はあるようだが、どう見ても顔相や体のフィジカルな特徴からすれば、

多様性に富んでいて同一民族とは思えないと。

 その彼ら外国人の観察を裏付ける科学的なツールが現れ、その分析結果が公刊された。 


岡田先輩に教えて頂いた「DNAでたどる日本人10万年の旅」崎谷満著作・昭和堂発行2008年、がその本だ。

副題「多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?」とあるこの研究の基本ツールは「Y染色体によるDNA多型分析」である。

『約10万年ほど前に生まれた現生人類は、誕生の地アフリカを後にして全世界へと冒険を重ねて広がっていった。

その人類の移動の流れがユーラシア大陸東部に位置する日本列島にも数次にわたって押し寄せてきた。

このアフリカから日本列島へいたる長きにわたる人類の移動の歴史について、DNA多型分析という強力な方法により、

かつDNA中に宿されている歴史の直接証拠でもって、今ではその再現がほぼ可能となった。

そして日本列島においてルーツを異にする多様なヒト集団が現在でも共存していることが明らかになった』

§ユーラシア大陸の西側には日本と同じような島嶼国家イギリスがある。

イギリス諸島へのヒトの移住は有史以来判明している限りでも、紀元前9世紀ころから紀元前5世紀ころにかけてのケルト系民族、

紀元前55年ローマのユリウス・カエサルのグレートブリテン島への侵攻、次にゲルマン人のアングロ・サクソン諸部族がブリタニアへ侵入し、

また1066年にフランスのノルマンディー公ギヨームによって征服されている。イギリス人はこれらの歴史から自らを単一民族と規定することはない。

明治政府が江戸幕府の支配原理に代わる統一国家意識の醸成のため、各地にあった多様な自然宗教である神道を「国家神道」に統一しようとしたときまで、

日本人にも「単一民族」の意識はなかったと思われる。

イギリスからはじまりアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、などアングロサクソンを主体にしたイギリス列島人は

ここ百五十年ほど地球各地をコントロールしているが、かれらの強みはハイブリッド文化の多様性にあるように思える。

DNA多型分析から、世界の各地の中で日本列島に住むヒトのルーツに最も多様性があることが判明した!

出アフリカの三大グループのDNAが全て日本列島に今も生きている。 

長年この島の住人は全て大陸各地からのボートピープルの末裔だと思ってきたが、それはどうも当たりらしい。
(続く)



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6月15 日に目に留まったSNS・メディアの記事

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浅草橋の街をぶらぶら   「マレ」でビーフカツレツを楽しむ

2022年06月15日 | 食べる飲む

                                      サイト「浅草橋を歩く」⇒こちら

40年ほど前 茨城県の当時北相馬郡藤代町(現取手市藤代町)に7年間住んでいた。

 そこから相方が総武線浅草橋駅に手芸の材料を購入するためによく通っていたので彼女は浅草橋の街に土地勘がある。

浅草橋は今も人形の「吉徳」や「久月」の本店やその関連の店もあり、手芸のビーズなどアクセサリーの材料をそろえたお店も多い。

 某日、ビフカツの旨い店が浅草橋にあるというので 出かけて 街のぶらぶら歩きを楽しんだ。

2008年の正月に「あさだ」と言う蕎麦屋に入ったがその店は今もやっていた。現在の店。

2008年に入った時撮影した店

2008年1月12日ブログから⇒今年の蕎麦初めは浅草橋の「あさだ」の「おろしせいろ」でした。酒は昼間だったのでグラスビール一杯で我慢しました。

味も良かったけれど、店の女性連の客あしらいが素敵だった。店内の客の動きの全体をふんわりと見て、先手先手で女の子に指示する女将さん。

それに答えてハイ、とすぐ動く店員さん。彼女ら店員ももそれぞれがさりげない目配りをして、過不足なくお茶も足してくれる。

次回は夕刻に行って銚子を並べ、豊富な肴の一品をオーダーしてみたい。

今回入った店は「マレ」

 

時々来るだろう店になった。

 

 

 

 

 

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アゲハの青虫はモリモリ食べる            15年前の今日 2007年6月15日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年06月15日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

目立たないように置いていた山椒の鉢植えにアゲハが飛んできて卵を産み付けました。

2年前に家でサナギから美しい成蝶に孵ったことがあるので、今回もこの山椒は餌に諦めて青虫を見守ることにしました。










これはまごうことなく「モスラ」ですが、アゲハの青虫は他のと違ってなんとなく威厳が感じられるのが凄いです。鳥にやられずに孵ってほしいです。

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詩「台所から」      堀口すみれ子 作       「かまくら春秋 6月号」

2022年06月15日 | 音楽・絵画・映画・文芸

から引用。

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「訴状を見ていないのでコメント出来ない」という記事。  それ以上の取材をしない・出来ない 大手新聞テレビの品質劣化がひどい。   

2022年06月15日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ


2008年08月28日(木)「阿智胡地亭の非日乗掲載」

民事訴訟に関するニュースが流れると、報道では原告側の情報と合わせて被告側のコメントも取材される。

その内容は間違いなくハンで押したように同じだ。「まだ訴状を見ていないのでコメント出来ない」。

確かにその日の取材では訴状は見ていないかもしれない。それなら何故見た頃を見計らって再度取材に行かないのだろうと、単純に思ってしまう。

営業を30数年やっていた身としては、こんな中途半端な仕事でメシが食えるというか、カネを払ってもらう商品にしているというのが不思議で仕方がない。

まあ例え、後日取材に行っても「係争中でありコメント出来ない」と木で鼻をくくったような回答が出るだけだとは思う。

毎回毎回、新聞の記事やテレビの画面は同じような締めくくりで終わっている。

こんな仕事に従事しているマスコミの前線はフラストレーションがたまらないのだろうかと思う。

こんなテンプレート化したような報道なら、パソコンの前に座って、ネットで類似記事を探し地名や件名人名などの固有名詞だけ

その事件に合わせてあとはコピー&ペーストで仕事はすむ。

汗もかかず知恵も出さずカビの生えた儀式を見ているような記事や画面が商品?

日本で最後に残った護衛船団方式のマスコミ業界。

例えば談合で料金を決めていた大手保険会社も外資系に侵食されて、新規保険契約数は年々落ちているが、

島国という言語国境にまもられた日本のマスコミ業界に外資系の外圧はない。

いまや世界標準語になった英語とは別の、現地語人口一億二千万人の視聴者や読者を相手に、どこまでも頑張りはるとは思うけど、

競争のないところに、品質劣化はつきものであることも日々実証している。

今や ルパート・マードックがASAHIやYOMIURIを買収して儲け主義まるだしの経営になるのを待つのか、

品質劣化の現状をやむをえないとするのか、それとも新聞の宅配を断り、テレビのニュースやワイドショーは見ないとするのか

自分で決めるしかないようだ。

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6月14 日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年06月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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旧中川にかかる『ふれあい橋』付近は隠れたアジサイの名所  びっくりするほど人が沢山 出ていた。

2022年06月14日 | 身辺あれこれ

亀戸七丁目にある蕎麦の店「愛知」へ歩いて行く途中にふれあい橋を渡った。久しぶりだった。

 

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居酒家“ふうてん”は西宮市松原町の商店街の入口近くにある        11年前の今日 2011年6月14日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年06月14日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

3M+α会は5M会と名前を変えた。この5人の集まりの日は間違いなく雨になる。
この日は「ふうてん」に向かう途中から雨脚が激しくなった。

金曜日の晩のせいか、近所の若いカップルでカウンターは満席だった。普段は会社帰りのサラリーマンが多いそうだ。
マスターの料理の手際のいいことに驚く。オーダーから皿が出てくるまでのタイミングが気持ちいい。
事前の仕込が完璧にできているのだろう。メニューは和韓中と、居酒屋とは思えない幅の広いラインナップに驚く。












 

味はどのオーダーもおいしい。3時間超5人で飲んで食べて一人3000円ほど。
量はいらないが品数が多いのが嬉しいオヤジたち(紅一点サンすみません)にはホント有難い店だ。
テーブルには目玉おやじも登場して話題を提供してくれた。

最後の画像三枚はwebから借用。

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