阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

04月14日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年04月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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日本人の人口が昨年の一年間で75万人減った。

2023年04月14日 | SNS・既存メディアからの引用記事

☝2023年4月13日付東京新聞朝刊

総務省統計局 2023年3月20日公表

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ベランダに春が来た。

2023年04月14日 | 花・草・木・生き物

☝ アジュガ チョコレート  ☟黒スミレとジャガイモの葉

アジュガ  シルバー  シソ科 / キランソウ属(アジュガ属)

ステレオスペルマムの新しい枝と葉

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04月13日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年04月14日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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昭和50年代の海外あちこち記  その17  あのころのジャカルタの日本商社では関西弁が共通のビジネス語だった。

2023年04月13日 | 昭和50年代の海外あちこち記

1)ジャカルタの中心にあるホテルの部屋から下を見ると、バトミントンコートが何面も見えます。

毎週日曜日には、朝早くから若い男女が全面で一日中試合をしていました。インドネシアのバドミントンが、オリンピックで何回も連続して、

金メダルを取るほどの国民的スポーツであることを、ジャカルタに行ってはじめて知りました。コートの周りも応援団か見物人か沢山の人が出ていました。

2)昼飯は商社の連中とホテルの中華ランチや、日本人がやっている餃子からウドンや親子丼まである日本めし屋へ行きましたが、

オフィスのOL達は高層ビルの下に、昼時に何台も来る屋台で、広い大きな葉っぱにライスやバナナをヤシ油で揚げたものや、

色んなおかずを載せてもらい、木の下のベンチでうまそうに食べていました。一回やってみたいと言いましたが、

腹を下す覚悟ならどうぞと誰も一緒に付き合ってくれませんでした。(昼飯といえばロンドンやニューヨークで

日本商社に勤務している土地っ子OLが昼にどういう物を食べるのか、見るともなく見ましたが、紙袋からサンドイッチやクッキーを

出して食べている人が殆どで、外に食べに出る人はいないようでした。いずこも女性は堅実だなーと思いました)

3) 商社も単身者用に部屋数の多い、大きな屋敷を借り上げ、日本食を作るインドネシア人の住み込みのコックを何人かおいていました。

また食堂の一隅に大きな本棚があり、帰国時や出張者が置いていくライブラリーめいたものがあるので、

一ヶ月近い出張時には時折晩に日本飯をご馳走になりに行って、本を借りてホテルに帰りました。

 商談ごとに扱いを依頼する商社が違って、結局別々にM物産さん、M商事さん、N・Iwaiさんの3社のお世話になりましたが、それぞれ現地支店の雰囲気が違いました。

ただ、どの商社の支店も日本人は全員が関西弁で喋っており中にはちょっと変な関西弁の方が何人もいたので、

関西のご出身ですかと聞くと、いや私は日本では東京以外知りませんが、東南アジアのどの店でも、昔から関西弁が社内ビジネス語になっているので、

当地へ来て関西弁をいやでも覚えざるを得ませんでしたと、いまいましそうに言う人が何人もいて、思わず笑ってしまいました。

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ところで、欧州やアメリカの駐在員も赴任して数年は、ほとんどの人が任地の土地の悪口を言いますが、

ジャカルタの各社の駐在員もビジネス習慣の違いや国情にいらだつらしく、口を揃えて陰でこう言っていました。

「インドネシアは、人はオラン米はナシ魚はイカン」オランはオランウータンが森の人という意味のように

インドネシア語で「人」という意味です。また、ナシは近頃日本でもインドネシア風焼き飯をナシゴレンと言うように

「お米」のことです。(麺類はミーなので焼きソバはミーゴレンと言います)

おわかりのように「魚」のインドネシア語はイカンです。出張者の分際でそんなことはないでしょうとも言えず、

いつも黙って聞いていました。皆さんインドネシアに溶け込むというよりオフィスと宿舎を往復して

3、4年の任期を過ごす人が大半に見えました。まあ一年中、短パンとTシャツとゴム草履があれば暮らせる土地柄ですから、

高温多湿でクーラーがなければ過ごせず、四季のある日本に早く戻りたいというのが、かなりの人の本音のようでした。

 

 (画像はネットから借用したものでやや古い年代の画像ですが昭和50年代のものではありません。)

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現代テレビ事情 劣化するテレビ番組

2023年04月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2011年3月8日「「阿智胡地亭の非日乗」掲載

♪最近TVを見る時間が減って、CM付の番組を殆ど見なくなった。これまでもTVの番組について書いてきたが、同じ思いの論考があったので引用します。

全文引用・・

「劣化するテレビをまともにするのはスポンサーの力しかない!」

「テレビが劣化しているのは自覚、反省もしているが、ここ最近の番組作りほど酷いものはない。公共の電波を使って国民を愚民化しているようなもので、犯罪じゃないかと思うことがある」

民間放送の幹部ですら、こう嘆くほど、テレビが劣化、報道番組は横並びで海老蔵事件や小向美奈子スキャンダルを追って時間を使い、

ゴールデンタイムは、お笑いタレントやアイドルをひな壇に並べ、クイズもどきで“手軽”に視聴率を稼ぎ、深夜ともなると、名も知らぬタレントの学芸会の場となる。

フェイスブックや携帯が変える中東・イスラム国家の騒動や、それに連動する資源、食料の高騰、爆発的な成長パワーで世界経済を牽引する中国の変化への胎動といった、

伝えるべきこと、伝えなければならないことはヤマほどある。

だが、各局ともなおざりで中東騒動を伝えるものの、事件の本質に迫るものはないし、その熱意も感じられない。それは、国内政治情勢を伝える際の番組作りもそうである。

民主党のコップのなかの騒動を、一大事のように報じるが、結局、日本は、小沢事件は「法務・検察」、事業仕分けや増税アナウンスは財務省、年金・健康保険問題は厚労省と、役人たちによって動かされ、マスコミはただ操られている。

この状況を、マスコミの自覚、自助努力に頼っても無理だろう。

泥沼化する日本テレビの賃金闘争を弊誌はNo.660で伝えたが、日テレ経営陣が、「将来の経営不安」を理由に行なったことは、「賃下げ」だった。(本誌=2月2日号に転載)

新人事制度は、昨年から徹底している成果主義の一環で、年功序列を見直し、残業単価を引き下げ、手当てを改定、定期昇給を廃止、要は生涯賃金の引き下げである。最大で3割引き下げるという。

民放の給与が他の産業と比べ、格段に高いのは周知の事実である。また、そこには正規の給与やボーナスだけでなく、「闇手当」も含まれているなど問題はあるのだが、今回、指摘したいのは、「将来の不安」に賃金カットで臨むという経営陣の姿勢である。

そこにあるのは、数々の既得権を持つ放送局の延命を、「国民向けのいい番組作り」「スポンサーや視聴者の役に立つ番組作り」といった正攻法で立ち向かうのではなく、リストラ、歳出削減で乗り越えようとする姑息な姿である。

では、放送局がだめなら、テレビのくだらなさから逃れるにはどうすればいいか。彼らが最も恐れるスポンサー=広告主を使うことしかない。

2月23日、電通は日本の総広告費と、媒体別・業種別広告費を発表した。驚くのはテレビの微増である。

2010年の総広告費は5兆8427億円で、前年比98.7%と3年連続の減少。衛星メディア広告、インターネット広告が伸びて既存メディアが減少するのは当然ながら、新聞、雑誌、ラジオが5%~10%の落ち込みであるのに比べ、テレビは前年比101.7%と微増の1兆7321億円だった。

結局、今も広告で最大の比重を占めるのはテレビであり、スポンサーはテレビの持つ役割に、それほど期待を抱いていないにも関わらず、やはりテレビに広告を打っている。

これまでスポンサーは、広報宣伝以外、自社のスキャンダルを電通、博報堂を通じて止めることしか「スポンサー力」を使うことはなかった。

だが、現在のテレビの劣化は、見逃すことが出来ない。CMの入れ方ひとつとっても、意味のないところで、ニュース番組や報道番組の腰を折る。

そうしたやり方での放映は、かえって視聴者の反感を買うだろう。だから欧米では、CMが興を削ぐ、ということで、見たい番組を後からオンデマンドで見る傾向が広がっている。

CMが飛ばされたのでは高い広告料を払って、出稿する意味がない。それぐらいなら、黙って手をこまねくのではなく、

番組作りも含めたトータルで、スポンサーがテレビに関わってはどうだろうか。

「愚民化策」を推し進めている今のテレビに「ノー」を突きつけるのは、スポンサーしかない。
(会員制経済情報『現代産業情報』3月1日号より転載)

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04月12日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年04月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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沢木耕太郎さんの「天路の旅人」を読みおわったら胸が一杯になった。

2023年04月12日 | 乱読は楽しい

このノンフィクションに描かれている 「西川一三」という人は蒙古人のラマ僧になりきって日本政府の「密偵」として現地情報を集めながら

八年間中国大陸の奥深くを単独で歩き、生き抜いた人である。彼は山口県で生まれ、帰国してからは盛岡で生涯をすごしその地で亡くなった。

 西川さんは自分の体験を3年間の執筆で旅行記の原稿にまとめたあとは、理美容材卸業を営む市井の一商人として生きて盛岡の地で89歳で死んだ。

◎ 500頁を越える厚い本を読みだしてすぐに 人間にはここまで好奇心の強い、気力体力知力に秀でた人がいるのだとただただ驚いた。

勿論西川さんと言う人の存在を今回初めて知ったが、2008年に亡くなった彼とはこの地球上で同じ期間をかなり長い間共有していたことになる。

 人が持つ歩くという能力は本当にすごいものだ。彼は北海道の稚内から九州の南端に至る距離に相当する地をいくつも何度も我が足で渡っていく。

何のために? ただ自分がそうしたいから??

 この本を読み終わった時 何分かの間、理由なく胸がいっぱいになり、涙が出そうになった。

   576ページの本を二晩で読んでしまったのもひさしぶりの経験だった。

阪神淡路大震災を体験したあとからは 「小説ってどうせ作り物の話だよな」と思ってしまうようになってしまった。

  ただ作中にユーモアや諧謔があればなんとか読める。

ノンフィクションは違う。事実の圧倒的な積み重ねの記録は あさはかな自分の想像力をはるかに超える時がある。

 沢木さんありがとう。いい人間の日本人がいたことを教えてくれて。

 余談ながら西川さんが出会った各地の民族や村人の中に日本人そっくりに見える集団がいた描写がいくつか出て来る。

最近の人類学のDNA研究の成果ではある意味当然のことながらそのエビデンスの一つとしてなんか嬉しい。

 また西川さんの新規の場に向かっていく気概と行動力は、ホモサピエンスがアフリカ大陸を出てから日本列島にたどりついた

その過酷な旅もこの西川さんのような人がいて意外とたんたんと実現したのかもと妄想が浮かんだ。

ホモサピエンスの「グレートジャーニー」をおこなった遺伝子が西川さんの体内に強く存在していた。

 

西川一三1918年、山口県に生まれる。1936年、福岡県立中学修猷館卒業後、満鉄大連本社に入社。41年、満鉄を退社し、張家口駐蒙大使館が主宰する興亜義塾に入塾。43年、同塾を卒業後、駐蒙大使館調査部勤務となり、中国西北部潜入を命ぜられ、内蒙古、寧夏、甘粛、青海、チベット、ブータン、西康、シッキム、インド、ネパール各地を潜行。50年、インドより帰国(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
秘境西域八年の潜行 抄 中公文庫BIBLIO』より

沢木耕太郎インタビュー かっこいい人

 インタビューの中で 印象に残る箇所

──沢木さんご自身は、西川さんの旅のどこがすごいと思いましたか。

沢木 ラマ僧に扮してラクダを引いて中国の奥地を旅するというのは、僕も彼と同じ状況だったらできたかもしれない、と思うんです。絶対に不可能ではないなと。

 でも日本の敗戦を知った後、2つ目の旅が始まるんですよね。密偵という使命から解き放たれて自由になるものの、国家という土台や頼るべきものを失ってしまい、お金もないし、頼る人もいない。そこから彼はまた旅を始めた。その何もない状態で僕は旅を続けただろうかと自問すると、やっぱり帰ることを考えただろうと思うんですね。けれども彼は旅を続けて、現地の人々の中に入り、言葉を覚え、そして最も下層の生活に身を浸して生きていった。それはたぶん僕にはできなかったでしょうね。

──敗戦を知った後も旅を続けたのがすごいと。

沢木 そこからの旅が、彼にとって本当の旅になる気がするんです。どのように生きてもいいという自由を手に入れてから、旅がどんどん純粋なものになっていく。ただ、知らないところ、見たことのないところに行きたいというのが目的になって、純化された豊かな旅を生きていくんですね。そこが本当にすごいと思います。

──敗戦を知ってからの旅は、沢木さんから見て理想的な旅に映りますか。

沢木 彼は、いろいろなものをどんどんそぎ落として移動していきました。人に頼らず、旅に必要なものすべてを自分で手に入れコントロールするというのは素晴らしいと思います。純粋で、理想的な旅の形なのではないでしょうか。

単調な日々を苦痛と思わない人

──『天路の旅人』を読んで、旅と同じぐらいすごいなと思ったのが、西川さんの人生の落差というんでしょうか、旅をしているときの予想外の出来事だらけのドラマチックな日々と、日本に帰国して盛岡で理美容材卸業を営むようになってからの何もなさ過ぎる日々の落差がすごいですよね。

沢木 確かに大きな落差がありますよね。その落差を生み出すキーになるのは、彼が「自己認証」を必要としない人だったということなんですよね。誰かに認めてもらいたいとか、周りからすごい人間だと思われたいとか、そういう欲求をほとんど持っていなかった。外部の目線、視線によって自分を認証してもらい、それを喜びとするようなことがまったくない人だったと思うんです。

──『天路の旅人』には、毎日、毎日、ずっと同じことを繰り返すのがラマ僧の一生だという記述がありました。西川さんの盛岡での生活は、まるで宗教的な修業のようですね。元旦以外364日働き、毎日の行動も食べるものもルーティン通りです。

沢木 確かにお寺で修業しているのとほとんど変わらないですよね。でも彼は、日々の同じことの繰り返しがそんなに嫌いではなかったんじゃないかと思います。無限に繰り返される単調な日々というのが、そんなに苦痛ではない人だったと思う。

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映画「英国王のスピーチ」を観ました。

2023年04月12日 | 音楽・絵画・映画・文芸
2011年03月05日(土)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

シネコンで映画を観だしてから、立ち見が出るという体験を初めてしました。

☆ 人が人に思いを伝える「言葉-母国語」をこれほど大切にしている国があるのかと思いました。

一国のリーダーがその国の全ての階層の老若男女にヒトラードイツとのやむを得ない開戦の詔をラジオで語りかける。

その言葉は特別な王室語ではなく、普通の国語でした。

耳で聞いても子供でもわかる国語。そこには難しい漢文調(ラテン語)は一切なく、初めて耳にする難しい語彙は全くありません。

使う用語で権威を保ち、特別な人と思わせるのではなく、喋る中身で「戦争に勝つべく」国をまとめる。

それが王の役割だと王自身も知り、まわりの高官もそう思っている。

  この連中はやはり恐ろしい。

 人前で喋らないといけない・・と思うだけでもう喉がつまり息苦しくなる。

しかも必死でやろうとすればするほど事態は悪化する一方だ。

強い父親は怒り、我が子をなじり倒す。

なんという情けない息子だ、しっかり演説せんかい、と。

ったく他人ごとではない映画だ。

本人も苦しいが奥さんはもっと苦しい。
そしてその苦しいスピーチを聞かされる国民もやるせなく辛い。

 ここからの奥さん、と言っても現在のエリザベス女王のお母さんの働きが大きくて凄い。

彼女が見捨てていたら現在のエリザベス女王の父親である英国王ジョージ六世は誕生していなかったと思える勢いだ。

ロンドンの町中に住むオーストラリア人の舞台俳優崩れの一くにたみ。
当然彼はただの平民に過ぎない。

彼がいなかったらやはり英国王ジョージ六世は誕生していなかった。

 王家の人間と平民が治療の場で向き合うまでのプロセスも、
ユーラシア大陸の東側の島国ではありえないプロセスだ。

1対1で向き合う二人。息詰まる互いの応酬。こいつは本当にオレを助けてくれる力量のあるタマか。

この皇太子は自分を人間扱いする度量があり、本当に自分で直したいと思っているのか。それはまさに真剣勝負だ。

そして互いに理解できる相手に巡り合った。それでも紆余曲折は多々あり、それがこの映画のホンセンだ。

 イギリスの高貴な身分に対する概念と日本の高貴な身分の概念の違いがわかるのも面白い。

父の英国王が息子にこう言う。

「我々はこの国で一番卑しい職業についているのだ。我々王室の者は役者だ。役者としてしっかり王を演じるしかないのだ」

王もそう思い、くにたみも王様、あなた様は王の役割をしっかり我々が尊敬できるように演じてくださいと。

う~ん! 日本とイギリスはユーラシア大陸の両サイドの同じ島国で同じように王室、皇室制度を持っているのに、

どうして向こうの王さんはここまで現実の世界を生身で生きているのか。

 最初の自信なさげな皇太子は最後のシーンでは、威厳ある完全なる王に変身していた。思わずジーンときた。この俳優の力量を痛感するシーンだった。

義務を果たすために渾身の努力をする男。そして渾身の努力でその手助けをする男。これはそういう二人の男が作った物語でもある。

 これまでアカデミー賞は結構いい加減なもんだと思っていたがこの映画自身は、主演男優賞、脚本賞、監督賞、作品賞をもらって当然かもと思った。

  映画「クイーン」を観たときに感じたことを今回も思った。
つまり、次の英国を担うチャールス皇太子はん、しっかり修行してエリザベス女王の後を継いでや・・そういう大英帝国の全臣民の思いがこの映画を作らせたと。

(映画「クイーン」の感想文)。


この映画のロンドンの街には当然ながら、黒人やうちらアジア人などの有色人種はただの一人も登場しない。現代のロンドンの街を歩けば、

わずか70年ほど前は、そんな時代だったととても想像も出来ない。

想像も出来ないことが起こりうるんですね、きっとこれからも。

この映画も笑ってしまうシーンが本当に多い。この「お笑い」を自然に映画に入れる彼らの余裕は、日本やアジア映画にはなかなかない。

       やはり彼らは恐ろしい。

 余談ながら、満席の観客は4,5人を除いてエンドクレジットが終わって場内が明るくなるまで誰も席を立たなかった。みな余韻を楽しんでいるようでもあり、

製作したスタッフ、キャストへリスペクトの気持ちを表しているようにも思った。

いつものようにエンドロールを見ていくと、スタッフの中に「ローグ家の描写コンサルタント」という文字があった。


コンサルの名前を見るとローグという苗字だった。正確を期すために矯正士(彼は後に騎士号を授与された)の子孫を雇ったようだ。 



 ☆ 王と平民が真剣勝負でサシで渡り合う。

その全ては、豪州人(ロンドンで暮らしている)の吃音矯正者の息子が、皇太子のラジオ放送を聞いて、そのあまりの吃音の凄さに、

「お父さん、あの人を何とかしてあげて」と言ったことから始まった。

 こんな王様とクニタミの関わり合いの映画を作ることが許される英国という社会集団。

アングロサクソンが作った英国の社会は、カタチだけではない血の通った、弱くて強い生身の人間が国を率いている(いた)。

アングロサクソンと言う人間集団が、地球の土地の半分以上を制覇した理由の一端がわかる映画でもありました。

  この連中はやはり恐ろしい。

いずれにせよ、この映画ほど近頃いろんな考えるネタを
くれた映画はありません。

  ☆14時10分開演に間に合うように13時40分に三宮のシネ・リーブルについたら映画館が人であふれていました。

もう立見席しか残っていないというので止む無く次の16時半のチケットを買いました。


 開演20分前に列に並んでいたら、京都から来たんやけどエライ仰山なお人ですなと言う声が聞こえました。もう京都・大阪では上映が終わったのでしょうか。

2時間以上空き時間が出来たので、ジュンク堂へ行き、買おうと思っていた「新潮45 3月号--原節子特集号」、「組織の思考が止まるとき--郷原信郎」、「雑文集--村上春樹」を購入。

・原節子さんの15歳の映像がDVDでついている!


これを買いそびれると悔いが残るので買えて良かったです。

・元検事の郷原さんは民間企業に勤務したあと検事任官し、花の特捜にも在籍した経歴のあるご仁。

彼の書いている著作は下手なミステリーより面白い。まさに事実は小説より奇なりをいつも実感する。

 つまり、いくら権威を装ったところで検察や警察も普通のクニタミがやっていることがわかるのと、だからこそ組織は透明性とチエックが働かないと、

野放図に腐っていく恐ろしさを書き、彼なりの改良改善の具体策を提案していると期待して購入。

・村上春樹の小説は一回も面白いと思ったことがないが、彼のエッセイは週刊朝日に連載された30年ほど前から熱烈なフアンです。

この人は、阪神間の空気とTokio無国籍ゾーンが作ったシティボーイそのものだと思う。

地方都市を渡り歩いて育った自分とは、っとも遠いところにあるから、遊びの余裕がエッセイ中の諧謔に醸し出される彼に憧れるのだと思います。

 

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04月11日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年04月12日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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内神田から神田美土代町を歩いて小川町へ

2023年04月11日 | 東京あちこち

おいしく稲庭うどんを食べてから 帰りは総武線ではなく都営新宿線にして、東大島駅で桜を見てから都営バスで帰宅することにした。

昭和49年の12月から昭和62年の7月まで ほぼ13年間このあたりで会社生活を送っていた。

 思わず、「年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず」というフレーズが頭に浮かぶ。

 

 

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トム・ジョードの亡霊

2023年04月11日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2011年03月01日(火)「阿智胡地亭の非日乗」掲載


ム・ジョードは、大恐慌時代を描いたジョン・スタインベック著「怒りの葡萄」の主人公。

「トム・ジョードの亡霊」は1995年にリリースされたブルー ス・スプリングスティーンの11番目のアルバムに収録されているタイトル・トラック。

下のユーチューブ・ビデオを見ながら、この作品の重みと深さを鑑賞していただきたい。アメリカにもまだ魂がある。


鉄道にそって男が歩いていく
どこかへ行くんだ、もう戻れない
ハイウェイ・パトロールのヘリが尾根を越えてやってくる
橋の下、男は焚き火のそばで眠っている
避難所の行列がそこの角まで延びている
新世界秩序体制へようこそ
南西部じゃ家族が車の中で寝起きする
家もなく、職もなく、平和もなく、休息もない

ハイウェイは今夜賑やかだ
誰もふざけちゃいない、どうなるか誰ぞ知る
おいらは焚き火のそばに座ってる
トム・ジョードの亡霊を探してるんだ

奴は寝袋からお祈りの本を取り出した
説教者は吸殻に火をつけて煙を吸う
先にいる者が最後になり、最後にいる者が先になる日が来るのを待っている[*]
高速道の下の段ボール箱の中で
奴は約束の地行きの片道切符を持って
腹にあいた穴と握った拳銃
硬い石の枕を探し
街の水道管で沐浴する

ハイウェイは今夜賑やかだ
誰もふざけちゃいない、どうなるか誰ぞ知る
おいらは焚き火のそばに座ってる
トム・ジョードの亡霊を待っている

<ソロ部分>

で、トムがこう言う
かあちゃん、ポリ公が誰かをぶん殴るの見たら
生まれたばかりの赤ん坊が腹をすかして泣いていたら
黒人たちを襲う喧嘩や憎しみの気配があったら
おいらをさがしてくれよ、かあちゃん
そこにおいらがいる
誰かが自分の場所を得るために苦しんでいたら
まともな仕事や助けをもとめていたら
誰かが自由になろうと苦しんでいたら
やつらの目を見てくれよ、かあちゃん
そこにおいらを見るだろう

ハイウェイは今夜賑やかだ
誰もふざけちゃいない、どうなるか誰ぞ知る
おいらは焚き火のそばに座ってる
トム・ジョードの亡霊と一緒に

ハイウェイは今夜賑やかだ
誰もふざけちゃいない、どうなるか誰ぞ知る
おいらは焚き火のそばに座ってる
トム・ジョードの亡霊と一緒に
トム・ジョードの亡霊と一緒に
トム・ジョードの亡霊と一緒に


[*訳注:新約聖書マタイによる福音書20章16節。スタインベック著「怒りの葡萄」の一場面で引用されている。]


前書き・訳詞:宮前ゆかり/TUP
========================

全文の引用元はこちら

Bruce Springsteen The Ghost of Tom Joad live in Studio

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04月10日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年04月11日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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内神田3丁目の「最上 楽農園 」で本場の稲庭うどんを堪能した。

2023年04月10日 | 食べる飲む

3月某日 山菜の天ぷらを目指して神田にランチに行った。山形から仕入れる山菜はこの時点では未入荷だったが

稲庭うどんのうまさを実感した。

 山形の出汁の塩味の濃さは私には凄かったので ちょっとだけづつ つけるようにして食べた。

 

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国税庁の400億円のムダ使いを記事の中で問題にせずに、責めない大手メディア。

2023年04月10日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2011-02-20

サラ金を経営していた一族の一人が、相続税を過剰に納めさせられたと訴えていた裁判の最高裁の判決が出た。

課税処分の取り消しが確定した武富士の元専務の武井俊樹氏には、納付済みの追徴税や延滞税以外に、国から“利子”にあたる還付加算金約400億円が上乗せして支払われる」のだそうだ。


(お国の規定で滞納年利は約4%で計算される。国は滞納税金を自分が徴収する時の年利しか考えておらず、逆のケースがあることは前提にしていない?

まさかお上に歯向かうやからがいるなんて考えもせずに来たのだろう)

額が大きいことにびっくりするが、裏を返せば日本では法務大臣などがよく言うように、裁判を「法と証拠に基づいて適切にやっております」ことの証明だ。

このことでも隣の大国と違い、日本が法治国家であることがよくわかる。

ところで、下の産経新聞の記事を読んでやっぱりなあと持った。

400億円も国民の税金を支払う羽目になった国税庁の行為と責任について記事の中で、一切触れられていない。

こんなヘタを打って、400億円も現金を損金で出したら、民間企業なら即つぶれる。


つまり新聞は訴訟で正当に勝った民間人を非難がましく表現し、400億の税金を国庫から吐き出すようにした官の人間・お役人衆の責任についての記載は一切ない。


国家公務員は自らの不適切な業務遂行の結果責任を一切咎められなくてすむのだろうか?

また民間企業なら、事前にある組織行為に出るかどうかは関係部門の論議を経て、責任者を定めてから実行し結果責任を取る。

今回の国税庁の400億円支出に対する国民に対する責任は誰も取らないし、ましてや大手マスコミは言及すらしない。

北海道の弱小食肉メーカーの偽装事件の追及では何か月もあんなにハッスルしたのに。まさに弱きを挫き強きを助けるの感ひとしおなり。


 それが大手新聞の本当の姿といへばまあそうなんやけど・・

いや、しばらくすれば責任者のお詫び会見があるかもしれない。

 記者クラブは偽装食品メーカーへの謝罪会見要求のように、今回もお詫び要求をするだろうか。ようせんやろな、官僚を追い詰めるようなことは。

 しかし、せめて武井氏に課税すると決定した当時の国税庁長官と担当お役人衆の名前と顔写真を新聞に出して欲しいなあ、私は一言でいえば「責任者出てこい」と言いたい。

 新聞は嫉妬心を煽る論調で、卑しい心根で読者の方を向きこそすれ、本当の意味では読者の、つまりは、くにたみのお役に立っていない。

やはりお上あっての自分たちと思っている、まさに役所と新聞の馴れ合いを示すサンプルだ。

新聞から引用・・

武富士、追徴取り消し “利子”400億円上乗せ還付
産経新聞 2月19日(土)7時56分配信

 課税処分の取り消しが確定した武富士の元専務の武井俊樹氏には、納付済みの追徴税や延滞税以外に、国から“利子”にあたる還付加算金約400億円が上乗せして支払われる。贈与資産が膨れあがった格好だが、その一方で、武富士への過払い利息の返還を求める利用者は少なくなく、税務関係者からは「加算金全額を救済基金に充てるべきだ」といった声も上がっている。

 俊樹氏は平成17年3月、追徴課税処分を受け、延滞税などを含め約1585億円を納付した上で、国に対し課税処分取り消しを求める訴訟を起こした。今回の勝訴確定で、追徴分など以外に、国側から新たに還付加算金も支払われる。年利は4~5%の範囲で、還付加算金だけで約400億円に上る。時期は不明だが、還付額を確定させた上で、速やかに手続きが行われる見通しだ。

 最高裁の判断について、都内の税理士は「実務現場から見れば妥当」と指摘。ただその一方で、「一般の納税者からすれば、グレーゾーン金利で荒稼ぎした武井家による巨額の租税回避が、結果として容認された今回の判断は理解に苦しむところだろう」と話す。

 還付加算金は雑所得として課税されるため、「400億円のうち、半分ぐらいは税金で持っていかれる」(国税OB)という。最高裁で傍聴した税理士は「社会的イメージを悪化させないためにも、俊樹氏は加算金分を過払い金返還の基金として寄付すべきではないか」と話した。 引用終わり。

☆ ところで、税務署の上級職員はある勤務期間があれば、筆記試験科目免除であの超難関の「税理士」の資格を取ることができる。恵まれた身分制度がこの分野でも公務員身分に保障されている。

その上で、各地の税務署は、個人や中小企業に先輩OBの税理士事務所を紹介している。基本的にこの紹介をムゲには出来ないらしい。これもまた、税務公務員が築き、自民党が目をつぶってきたお役人さまの既得権益の一つだろう。

参考:(引用はこちらから)

国税従事者の税理士試験科目免除制度

◆官公署における事務のうち国税(所得税・法人税など)の賦課、又これら法律の立案に関する事務に従事した期間が通算して10年以上になる者、又はそれ以外の国税の事務に従事した期間が通算して15年以上になる者には、国税科目が免除となります。

◆国税職員として23年以上、地方公務員として28年以上事務に従事した者で、官公署における国税、若しくは地方税に関する事務を管理、若しくは監督することを職務とする職、又は国税、若しくは地方税に関する高度な知識、若しくは経験を必要とする事務を処理することを職務とする職として財務省令で定めるもの(係長以上の職・国税調査官・国税徴収官など)に在職した期間が通算して5年以上になる者のうち、税理士審査会の指定した研修を修了した者は、会計学科目が免除となります。

◆官公署における事務のうち地方税(道府県民税・事業税など)の賦課、又は法律立案に関する事務に従事した期間が通算して10年以上になる者、又はそれ以外の地方税の事務に従事した期間が通算して15年以上になる者は、地方税科目が免除となります。引用終わり.

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