(ダライ・ラマは9月27日から29日までバンクーバー市で開かれた「世界平和サミット」に出席。29日には、若者たちのパワーで世界を変えていこうと活動している団体「Dalai Lama Center for Peace and Education」および「Free the Children」共催による「We Day 大会」で、ダライ・ラマは会場のGMプレースに集まったバンクーバーの学生約1万6000人から熱烈な歓迎を受けました。“flickr”より By nicholas.blah
http://www.flickr.com/photos/25988617@N07/3973856714/)
【「北京への叩頭外交だ」】
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が台湾訪問で引き起こした騒動については、9月8日ブログ「試練が続く台湾・馬政権 チベット・ウイグル問題に内閣総辞職」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20090908)で取り上げたところですが、このときはダライ・ラマ側の抑制的な大人の対応で、台湾・馬政権は中国との関係をしのぐことができました。
そして、今度はアメリカ訪問でまた騒ぎが起きています。
11月中旬の訪中を控えたオバマ米大統領は中国への配慮から、ワシントンを訪問中のダライ・ラマとの面会を見送りました。
ダライ・ラマがワシントンを訪れた際にアメリカ大統領が面会しないのは、18年ぶりのこととか。
このオバマ大統領の対応が、中国への“弱腰”として、国内の批判を浴びているとのことです。
なお米議会では6日、ダライ・ラマに対し、下院外交委員長を務めた故トム・ラントス氏にちなんで創設された人権賞を贈っています。
****訪中配慮に批判の嵐 米大統領 ダライ・ラマ会談延期****
オバマ米大統領が、訪米中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世との初会談を年末の次回訪米に先送りしたことで、米世論の批判が強まっている。大統領の中国公式訪問を11月中旬に控えての“配慮”だが、議会関係者らは「北京への叩頭外交だ」(ロスレイティネン下院議員)として、ダライ・ラマの10日までのワシントン滞在中に会談するよう迫り始めた。
ダライ・ラマは5日、オバマ政権の発足後、初めてワシントンを訪れた。6日には米議会を訪れ、「ラントス人権賞」を受賞した。
ダライ・ラマへの注目が高まるにつれ、今回の首都訪問で会談を見送ったオバマ政権への風圧は強まる一方だ。ギブズ大統領報道官は6日、「米中の強い関係はチベットの人々の利益でもある」としたうえ、「会談が先送りされたというのは不正確だ」と述べるなど、メディアや議会関係者の批判をはねつけた。
今回の訪米を前に、オバマ政権はジャレット大統領上級顧問らをチベット亡命政府のあるインド・ダラムサラに送り、オバマ大統領との初会談は、年内に改めて実現するとの根回しを終えていた。ダライ・ラマの側も、「(今回は)適切な時期ではない」(ロディ・ギャリ特使)と訪米後に述べるなど、米側への配慮を見せていた。
ところが、いざダライ・ラマがワシントンに姿を現すと、「なぜ大統領は会わないのだ」と批判が吹き出した。ダライ・ラマは1991年から、ワシントンを繰り返し訪れているが、米大統領と会談しないのは初めて。オバマ大統領の対応は中国の顔色を気にする「弱腰」と受け止められた。
人権派の議員らは相次ぎ大統領を批判するコメントを発表。6日の授賞式会場では、「オバマ大統領がこの仏教僧をただちにホワイトハウスに招くよう求める」との文書が出席者全員に配布された。
米紙ウォールストリート・ジャーナルの社説(6日付)は、チャベス・ベネズエラ大統領ら独裁者との接触に応じてきたオバマ大統領が、「平和的な宗教指導者」であるダライ・ラマと会談しない不自然さを指摘。「オバマ大統領の定義する関与政策とは、独裁者との会談には十分な空間を確保し、独裁と戦う人々には配慮しないことが明確になりつつある」と論じた。【10月8日 産経】
*****************************
【正義の主張と外交】
チベットでの人権侵害を批判しながら、なぜその指導者と会わないのか?中国の顔色を窺ってどうする!・・・オバマ大統領の対応への批判は正論ではあります。
正論ではありますが、自分たちの正義を声高に主張すれば、それでその主張がとおるというものでもないでしょう。
相手の国には異なる立場があり、異なる正義があります。
互いが自らの正義を主張して譲らなければ、事態は全く動かないか、あるいは、動かそうと思えば力づくしかなくなります。
ましてや、あまり認めたくない人も多いでしょうが、G4とかG2というようなことが言われるように、政治・経済、あるいは温暖化対策などの問題で、世界は中国の意思を無視しては動かないところにきています。(中国にとっても、国際世論を無視できない関係に組み込まれてきていることは同様ですが)
米中間には、両国だけでなく世界全体の枠組みのために調整すべき課題がたくさんあります。
チベットの問題についても、最初から喧嘩腰では話にもなりません。
相手には異なる立場があること、相手との緊張関係がもたらす影響を斟酌して、いたずらに対立を煽ることなく、妥協点を探すのが外交というものでしょう。
そうした行為を、顔色を窺うとか、叩頭外交だとか、弱腰だとか言ってしまっては外交は成立しません。
一方的な正義の主張が声高になされれば、中国国内でもそれに反発する愛国的主張が大きくなるだけです。
それは両国の政策的な幅を狭め、チベット問題の進展を阻むことにしかならないのでは。
それを承知しているからこそ、ダライ・ラマ側も「(今回は)適切な時期ではない」との考えを示しているのでしょう。
“世論”というものに基盤を置く“民主主義”にあっては、とかく強硬な“正論”が国民受けしやすいところがあります。それだけに、異なる利害がぶつかり合う外交は“民主主義”にとっては難しいものになりがちです。