(今年4月、アルナチャル・プラデシュ州タワンのチベット僧院を訪問し、歓迎をうけるインド大統領(プラティバ・デーヴィーシン・パティル) “flickr”より By ahinsajain
http://www.flickr.com/photos/ahinsajain/3420757008/)
【インドで高まる中国脅威論】
インドとパキスタンが建国以来犬猿の仲で、カシミール地方の帰属をめぐって三度に及ぶ戦火を交えていること、現在でも事あるたびに核保有国同士の印パ関係が緊張することは周知のところですが、インドは中国とも国境紛争を抱えています。
インド統治下の北東部山岳地帯(アルナチャル・プラデシュ州)はかつてチベットの領土あるいは支配下にあった土地も多く、チベットは中国の一部という位置づけから、中国はこうした地域に対する領有権を主張しています。
62年には両国間で大規模な軍事衝突が起こり、このときは中国側が圧倒的勝利を収めました。
このときの停戦ラインが、現在「実効支配線(LAC)」と呼ばれる事実上の国境線になっています。【10月28日号 Newsweek日本版より】
ただ、正式な国境ではなく、互いに相手が自国領土を不当に支配していると考えていますので、「国境侵犯」(他方から見れば本来の自国領土に対する通常の「国境警備活動」になります)が多発しています。
特に、08年の中国による「国境侵犯」は過去最多の270回におよび、07年の2倍近く、06年の3倍以上になっているそうです。【同上】
こうした情勢を受けて、インドのマスメディアに中国脅威論がにわかに高まっていること、しかし、一方で中国はいまやインドにとって最大の貿易相手国でもあることや、国際社会にあっては“新興国”して両国は利害を共有することもあって、両国政府は事態の沈静化を図っている・・・という話は、9月22日ブログ「インド マスメディアで高まる「中国脅威論」」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20090922)でも取り上げました。
両国は、ビザ発給でも強硬な姿勢を見せており、緊張が更に高まっています。
****中印、ビザで応酬 カシミール、領土からみ新たな緊張*****
国境問題でインド国内の反中国感情が高まるなか、今度はビザ(査証)の発給をめぐって両国間に新たな緊張が生じている。
在印中国大使館が、今年の夏以降、北部ジャム・カシミール州の住民に発給したビザを、パスポートと別の紙に張(は)り付けていたことが明らかになったためだ。これは、同州をインド領と認めない行為に等しいことから、インド政府は1日、中国政府に抗議した。インドは最近、中国人労働者向けのビザ発給を厳格化しており、中国側の措置はこれへの報復との見方も出ている。(中略)
中国側は、今回の対応の根拠を、同州が“紛争地”である点に置く。中国は、インドと国境問題を抱える北東部アルナチャル・プラデシュ州の住民へのビザ発給でも、数年前から同様の対応を取っている。インドはこれについても不満だが、ジャム・カシミール州はパキスタンとの領有権争いも絡むだけに、中国の対応を見過ごすことはできない。
ジャム・カシミール州の住民を対象にした中国の対応は、インド政府による中国人労働者向けのビザ発給の厳格化と無関係ではなさそうだ。
インドでは、インフラ建設、電力、鉄鋼などの分野でインド企業と合弁した中国企業が自国から連れてくる中国人労働者の大量流入が問題化。インド人労働者の雇用の機会が奪われているとして、国内では「インドにも非熟練・半熟練労働者はたくさんいる」と強い反発が噴出した。
このため、政府は夏に中国人労働者へのビザ発給を厳格化した。具体的には、商用ビザで国内に滞在する2万5000人の中国人労働者に、9月末までに労働ビザへ切り替えるよう求めた。しかし、実際に切り替えができたのはわずかだった。インド政府は中国側の要請を受け、切り替えの期限を10月末まで延長したものの、大半の労働者は帰国せざるを得ない事態になっている。
11月にはチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世のアルナチャル・プラデシュ州への訪問も予定されており、両国関係は微妙な時期にある。【10月6日 産経】
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【中印領土問題はチベット問題】
そこで、問題はダライ・ラマです。
9月22日ブログも、上記産経記事も、ダライ・ラマ14世のアルナチャル・プラデシュ州への訪問への懸念で締めくくられています。
台湾訪問では馬英九政権を中国との板ばさみ状態にし、アメリカ訪問では大統領との会談がセットされなかったことでオバマ大統領への国内批判を高めるなど、行く先々で問題を巻き起こしている(別に彼が悪い訳ではありませんが)ダライ・ラマですが、今度のインドのアルナチャル・プラデシュ州訪問は更に厄介です。
インドと中国が領土で揉めているのは、その地域がかつてのチベットと一体になった土地だったことが根幹にあります。
また、最近中国の「国境侵犯」が増加しているのも、08年春のチベット暴動を受けてのことです。
中国にとっては、インドとの領土問題は、領土拡張主義云々というより、“チベットは中国の一部”というチベット問題です。チベットを譲れば、新彊のウイグルや、更にはモンゴルにも波及し、国家の解体にもつながるという危機意識が中国側にはあります。
実際、国境地帯のチベット仏教僧院は、チベット人の反中国運動の拠点ともなっています。
また、若い亡命チベット人の間では、ダライ・ラマの自治権拡大に不満足な、完全独立を目指す戦闘的武闘派が増加しています。
その、チベット関連の紛争地に、チベット指導者のダライ・ラマ14世が足を踏み入れるという訳ですから、中国にとっては座視できない問題です。
【妥協を困難にする世論】
****ダライ・ラマが中印国境訪問計画 両国間の火種に*****
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が、中国が領有を主張するインド北東部の国境地域への訪問を計画し、両国間の火種となっている。ロイター通信は22日、ダライ・ラマ側近の話として、来月8日から訪問すると伝えた。インドは訪問を認める構えだが、中国は強く反発している。
ダライ・ラマが訪問を計画しているのは、チベット仏教寺院があるアルナチャル・プラデシュ州タワン。59年のチベット動乱でダライ・ラマがインドへ亡命する際、最初に立ち寄った町として知られる。
同地域では、インドを植民地支配していた英国と中国併合前のチベットが20世紀初頭に国境として定めたマクマホン・ラインを、インド側は国境線として主張。中国はこれを認めず、62年の中印国境紛争では中国軍が同ラインを越え、タワンを含む同州全域を一時占領し、兵を引いた現在も領有を主張している。
タワン訪問計画は昨年も浮上したが、中国の反発にインド側が配慮し、実現しなかった経緯がある。今年9月に再び計画が報じられると、中国外務省の姜瑜副報道局長が「訪問に断固反対する。ダライ集団の反中・分裂の本質を暴露するものだ」と激しく批判した。
一方、インドのクリシュナ外相は地元テレビに「同州はインドの一部であり、ダライ・ラマは国内どこへでも行くことができる」と述べ、容認する考えを示していた。【10月23日 朝日】
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中国とのトラブルを避けたいインド政府は、本音としてはダライ・ラマのタワン訪問を差し止めたいところでしょうが、マスメディアで中国脅威論が高まっている昨今、インド政府も曖昧な対応は難しい状況です。
問題が表面化するほど、妥協の余地が少なくなって、国内世論向けに強硬な姿勢をとらざるを得なくなります。
どういう形になるにせよ、「誰かがどこかで冷静さを失い間違った方向に向かうかもしれない」なんてことのないように、冷静さ保ってほしいものです。