孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

チベット族焼身自殺、11月だけで24人 

2012-12-05 22:14:38 | チベット

(焼身自殺したジャンフェル・エシさんが暮らしていた、インド・デリーのチベット難民居住区マジュヌ・カ・ティラ “flickr”より By sigill  http://www.flickr.com/photos/sigill/6736099541/

自殺を図った大半が10~20代の若者
中国・チベット族居住区では、中国支配に対する抗議の焼身自殺が異常に頻発しており、中国共産党大会もあった11月は24人もの犠牲者を出しています。

****チベット族の自殺、最悪ペース 11月に24人****
中国のチベット族居住区で11月、共産党の統治に抗議して焼身自殺を図ったチベット族が28人にのぼり、うち24人が死亡したことが3日明らかになった。自殺を図った大半が10~20代の若者で、抗議の焼身自殺が始まった2009年以来、最悪のペースとなった。

焼身自殺は青海、甘粛、四川各省のチベット族居住区で起きた。09年以降、焼身自殺を図ったのは90人、死者は少なくとも70人を超えたとされる。米政府系のラジオ・フリー・アジアなどは、体が炎に包まれた様子が写った現地の写真を相次いで配信している。

青海省海南チベット族自治州などでは、学生による大規模なデモも発生。チベット語を学ぶ自由や、インドに亡命しているチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の帰国などを求めた。

一方、中国政府は焼身自殺について、「ダライ・ラマの祖国分裂グループによる策略だ。チベット族の政治、経済、文化などの権利は保障されている」(中国外務省)との立場を崩していない。【12月4日 朝日】
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“焼身自殺は青海、甘粛、四川各省のチベット族居住区で起きた”とのことですが、ラサのあるチベット自治区ではあまり多くないのは何故でしょうか?単純素朴な疑問です。
当局側の監視体制の問題でしょうか?
チベット自治区はチベット族が93%(2002年)を占めており、一定に安定したチベット族社会が維持されているということでしょうか?それに対し、焼身自殺が多発している青海、甘粛、四川各省のチベット族居住区などでは漢族の比率が高く、漢族との軋轢が大きいということでしょうか?

焼身自殺は、学生らの抗議デモも誘発しています。
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・・・・今月の24件のうち13件が集中した青海省では、焼身自殺したチベット族の友人の僧侶2人が当局に拘束されたことに地元住民が抗議。26日には同省海南チベット族自治州で1千人以上の学生が街頭に繰り出し、「民族の平等を。正義を尊重せよ」と訴えるデモに発展した。
武装警察は催涙弾を使ってデモを鎮圧したとの情報もある。現地の写真には、頭部をけがして病院に運ばれる若者の姿が写っており、約20人がけが、3人が拘束されたという。

RFAによると、デモは地元共産党が、チベット族による焼身自殺は愚かな行為だとあざける内容の冊子を学校に配布したことに反発。チベット語を学んでも現実にはあまり役に立たないとの内容にも怒り、学生が冊子を焼き払った。

焼身自殺は、毎年3月の全国人民代表大会など共産党の重要行事を前に、当局がチベット族を厳しく監視する時期に月10人前後まで増えることはあったが、11月は異常に多い。10年に1度の政権交代がある共産党大会があったこともあるが、当局によるデモの鎮圧や僧侶らの拘束、寺院を治安部隊が取り囲むなどの対応にチベット族の怒りが増幅している可能性がある。【11月29日 朝日】
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中国共産党大会の開かれた11月上旬には、最大約1万人のチベット族学生デモも報じられています。
****中国・青海でチベット族学生デモ 「最大1万人」報道****
中国青海省同仁県で8、9の両日、チベット族の学生を中心としたデモがあり、地元政府庁舎前に最大約1万人が集まってチベットの自由を求めたと、米政府系の放送局ラジオ・フリー・アジア(RFA)や香港各紙が9日伝えた。

青海省など4カ所で7、8日、中国政府に抗議するチベット僧ら6人が焼身自殺を図り3人が死亡しており、チベット族学生がこれに呼応した。治安当局との衝突は無かったという。北京では共産党大会が開催中で、中央政府に不満を示す意図もあったようだ。

RFAなどによると8日、学生数百人が学校に掲げられた中国国旗を引き降ろしたり、地元政府の庁舎前でチベットの自由を叫んだりした。翌9日はチベット族の住民も参加してデモが拡大。数千人から1万人が庁舎前でチベット仏教最高指導者で亡命中のダライ・ラマ14世の長寿を祈るなどしたという。【11月10日 朝日】
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センゲ首相「非難されるべきものはチベット人を抑圧してきた中国政府だ」】
インド北部ダラムサラに置かれたチベット亡命政府のロブサン・センゲ首相は、焼身自殺が増加していることについて「非難されるべきものはチベット人を抑圧してきた中国政府だ」としたうえで、習近平新指導部への警戒と期待を語っています。

****チベット亡命政府 ロブサン・センゲ首相 新指導部に「警戒と期待****
チベット亡命政府のロブサン・センゲ首相は19日までに、インド北部ダラムサラの首相府で産経新聞のインタビューに応じ、中国チベット自治区でチベット人の焼身自殺が増加していることについて「非難されるべきものはチベット人を抑圧してきた中国政府だ」と述べ、中国・習近平指導部に対し、チベットへの弾圧をやめて、政策を転換するよう訴えた。

センゲ首相はインタビューで、習指導部について、「より保守的なグループだと報じられている」と懸念を示しながらも、「チベットに対する姿勢を判断するには時期尚早だ。過去の強硬政策を考えれば楽観はできないが、新たな対応を取ることを期待している」と表明。「来年3月の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)までには、指導部の政策がわかってくるだろう」と述べた。

中国政府と対話を行うためのチベット亡命政府の特使2人が辞任し、その後、後任人事が決まっていないことについては「われわれは対話を続けるため、新たな任命をする準備ができているが、中国の新指導部の対応を待っている」として、中国政府との対話の糸口が見つかっていないことを示した。

また、チベット問題の解決に向け、国際社会に対し「中国政府にさらなる圧力をかけてほしいし、各国代表団やジャーナリストにチベットに足を運んで現状を見てほしい」と訴えた。
日本に対しては「アジアで指導力を発揮し、民主的にも経済的にも発展した国だ」と称賛し、チベットの自由に対する協力を求め、来年4月までに、今年4月に次ぐ2度目の訪日を行うことを計画していると明らかにした。【11月20日 産経】
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統一促進の原則重視で台湾に圧力を加えた江沢民政権で緊張した台湾との関係が、台湾・馬英九政権成立もあって、「両岸関係の平和的発展」を掲げる胡錦濤政権で大きく改善したように、指導部交代で状況が改善された事例はあります。

副首相を務めた父・習仲勲氏が、ダライ・ラマと親しかったと言われる習近平総書記ですが、就任にあたり、「私は、中華民族の偉大な復興こそ、中華民族が近代以来抱いてきた最も偉大な夢だと思う」と、対外的に強硬姿勢を貫く強国化路線を強調しており、今のところチベット問題での急速な変化は期待できません。

【「これはガソリン? 火をつけるなよ!」・・・ジャシはにっこり笑った
焼身自殺の報道は連日のように目にしますが、自殺した人間がどのように生活し、何を考えて自殺に至ったかを報じた記事はあまり多くありません。
インド、デリーの北はずれにあるチベット難民居住区で焼身自殺した青年を紹介した下記記事は、自殺者の生活の一端を垣間見せてくれます。少し長い記事ですが、全文を引用します。

****チベット人、ジャンフェル・エシの抗議****
中国のチベット族居住区で、中国共産党の高圧的政策に抗議して焼身自殺を図ったチベット族は、2009年以来、80人以上にのぼる。その1人が3月26日、自らに火を放った27歳の男性ジャンフェル・エシ(Jamphel Yeshi)さんだ。

焼身自殺を決意したジャンフェル・エシさんは、インド、デリーの北はずれにあるチベット難民の居住区マジュヌ・カ・ティラ(Majnu ka Tilla)に暮らしていた。居住区ができたのは1963年、最高指導者ダライ・ラマ14世が中国軍の侵攻から逃れてインドに亡命した4年後のことだ。

エシさんは友人たちからジャシ(Jashi)と呼ばれ、窓のないワンルームのアパートにチベット族男性4人と暮らしていた。彼のマットレスは今も、ダライ・ラマなどの高僧のポスターが貼られた一角にある。ほかの4人の寝床とともにU字形に配置され、薄い戸棚には所有していた本の多くが残り、仏教やチベットの政治、歴史の本など、手垢が付くほど読み込まれている。

焼身自殺する前夜、ジャシは陽気に振る舞っていた。マジュヌ・カ・ティラから500キロ弱離れたダラムサラの友人2人が訪ねてきていたからだ。インドのダラムサラにはダライ・ラマが住み、チベット亡命政府の拠点でもある。
その夜集まった7人の若い男たちの話題は、中国の国家主席、胡錦濤氏のインド訪問、そして翌日に首都デリーの繁華街で行われる中国共産党統治への抗議行動についてだった。

翌朝、ジャシはいつものようにルームメイトたちより早く起きた。まず、マジュヌ・カ・ティラの仏教寺院に行き、参拝者に茶を出す仕事を手伝った。部屋に戻ると、小さなバックパックと大きなチベットの旗を手に取った。そして毛布をきちんと畳み、まるで祭壇に供えるように、ダライ・ラマの本とチベットの歴史の本をのせた後、抗議行動の参加者を運ぶ5台のバスのうち1台に乗り込んだ。

バスには、近所の友人ケルサン・ドルマさんが乗っていた。2011年3月以降、チベットで前例がないほど頻発している焼身自殺について皆が話している。今日の抗議行動でも焼身自殺するチベット族が現れるかどうか、話題は集中する。ドルマさんはジャシが背負うバックパックを軽くたたき、「これはガソリン? 火をつけるなよ!」と冗談を言う。
ジャシはにっこり笑った。

抗議行動の会場まであと数キロの場所でバスは停車した。デモ行進には、チベット族の大義への関心を集める狙いがある。参加者たちには、主催者がペットボトル入りの水を配っている。参加者の多くが付けているピンバッジには、胡錦濤氏の顔と血まみれの手が重なるように描かれていた。

インド人による抗議行動が日常的に行われているジャンタル・マンタルに着く頃には、3000人ものチベット族が集結していた。
その頃、ジャシはこっそり抜け出して1つの門をくぐり、短い私道を通って砂岩でできた古い建物に入った。そして、ガソリンを全身にかぶる。肩から流れ落ちて服に染み込み、靴の中まで入ると、彼は火をつけた。

20歩ほど走り、バンヤンの巨木の下に倒れ込む。そこはまだ門の中で、外にいる群衆のところまでたどり着かなくては。ジャシは立ち上がって再び走り出し、今度は50~60歩進む。門をくぐって群衆の中に入ると、人々は火ダルマになったジャシのために道を開けた。歯をむき出しにするジャシは、満面の笑みを浮かべている。それとも極度の痛みに苦しんでいるのか、今となっては誰もわからない。

地獄が出現した。人々は泣き叫び、ペットボトルの水を炎に向かって必死に振り掛ける。ジャシの友人ソナム・ツェテンさんは、炎を消そうとバックパックをたたきつける。しかし、中には携帯電話が入っており、その重みで友人を傷付けるかもしれない。バックパックを投げ捨てたソナムは、シャツを脱いだ。「彼の上半身をシャツではたくと下半身が燃え上がり、下半身をはたくと上半身の炎が大きくなった」とツェテンさんは当時を振り返る。

一連の抗議行動で最初の焼身自殺は1998年、ハンガーストライキの最中に今回と同じ場所で起きた。炎に包まれたトゥプテン・ゴドゥップさんはジャシと同様、即死を免れ、ラーム・マノーハル・ローヒヤー病院に収容された。翌日、ダライ・ラマが見舞いに訪れ、頭に巻かれたガーゼの上からそっと言葉をかけたという。記録によれば、「心の中に中国政府への憎しみがあるのに、見て見ぬふりはいけない。あなたは勇敢に意思表示した。しかし、憎しみを動機にしてはならない」と話したという。ゴドゥップさんはこの言葉を受け入れた。

ゴドゥップさんの文字通り燃え上がる抗議は一度きりの出来事で終わった。10年以上が経過した2009年2月、再びチベット族が焼身自殺し、2年後の2011年3月にもう1人が続く。その後、後を追う者が急増した。自らに火を放ったチベット族は2012年11月までで80人を超え、近代ではほとんど例を見ないこの抗議行動が続発している。

捨て身の抗議行動が相次ぐ中、「中立な立場を維持しなければならない」とコメントを出すのみで、ダライ・ラマはほぼ沈黙を貫いている。
ダライ・ラマは観音菩薩の化身としてチベットの人々に広く崇められている。しかし、中国共産党に対する“中道的なアプローチ”は成果を上げていない。中国首脳部は現在、チベット亡命政府の主席大臣との面会も拒絶しており、状況はむしろ悪化しているように見える。伝統的にチベット族が暮らす地域に漢民族を大量に移住させ、チベットの宗教に対する弾圧は深刻度を増している。寺院には監視カメラが設置され、ダライ・ラマの肖像画には穴があけられている。遊牧民は定住を強要され、チベット語の授業もままならない。

ジャシは12時45分にラーム・マノーハル・ローヒヤー病院に到着、13時19分に正式に収容された。友人たちが病院の入り口で引き渡すとき、ジャシは最後の言葉を口にした。「なぜ連れてきた?」。
この短い言葉を発するだけでも大変な努力を要したに違いない。医師の診察によると、内臓が焼け焦げていることがわかった。有害な煙や炎を吸い込んだためだろう。やけどは体表の98%以上に及んでいた。

身分証明書などの書類が入っている赤い布袋の中から、チベット語で手書きされた手紙が見つかった。まずダライ・ラマのチベット帰還を求めた後、忠誠心と“精神的な指導者”の必要性、自由について語る彼の言葉を引用しよう。「失われた自由、600万のチベット族は風に吹かれたバターランプのようにさまよう」。

「目標に向けて最後の行動を決断するとき、財産があればそれを使い、教育を受けていればその成果を出すべきなのだ。自分の人生はだれにも左右されないと心に決めたなら、命を惜しむ必要がどこにあるだろう」。
“世界の人々”に向けて“チベットのために立ち上がる”よう求める言葉で手紙は締めくくられている。

ジャシは手紙のほかにも、ごく短い文章を2つ残していた。1つは感傷的な母親への賛歌だ。もう1つは“さまよう少年”と題されている。

「愛する母の子宮からこの世に生まれた瞬間、私は基本的人権も思想の自由も持たず、外国の支配下に置かれていた。だから私は祖国と決別し、インドに亡命するしかなかった。現在はデリーの小さな部屋で昼も夜も過ごしている。朝起きて東を向くと、涙が止めどなく流れてくる。これは決して朝露のようなかりそめの想いではない」。

病院に収容されてから43時間後、ジャシは息を引き取った。体の98%に火傷を負って生き延びた者はいない。

マジュヌ・カ・ティラに暮らすジャシのルームメイトたちは、以前とほとんど変わりない生活を送っている。白い壁には、亡き友“ヒーロー、ジャンフェル・エシ”の小さなポスターが2枚貼られている。しかし、感情の高ぶりは終わった。仕事を探す努力はしているが、チベット難民には賃金労働の資格がない。真昼の暑さの中、マットレスでうとうとしながら、太陽が沈むのを待つ日々だ。

ジャシの死から数カ月後、ダラムサラの友人が再びアパートを訪れ、ジャシの生前にも口にした同じ残酷な冗談を言う。「またここに来てみたら、相変わらず誰にも彼女がいないし、仕事もしていない。ただ死を待っているだけの役立たずめ!」。1人がこう切り返す。「君は次の焼身自殺を煽りに来たのか? 次は僕の番だ。でも、心配はいらない。僕は万全の準備を整えるから!」。ジャシ以降はまるで通らない冗談になってしまった。誰が次の番なのか皆わからない、それがチベット族の現実だ。 【12月4日 ナショナルジオグラフィック】
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11月に来日したダライ・ラマ14世は、焼身自殺が頻発する事態に中国当局の対応を批判しています。
****焼身自殺で現地視察を=国会内で講演-ダライ・ラマ****
来日中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は13日、参院議員会館で国会議員らに向けて講演し、「現在たくさんの(チベット族の)焼身自殺が起きているが、そのような地域を訪問し、実際に何が起きているかを報告してほしい」と訴えた。ダライ・ラマが国会の施設で講演するのは初めて。

ダライ・ラマはこの中で、中国でチベット族の焼身自殺が相次いでいることについて「中国政府は理由を調べるべきなのに、地域の役人はおそらく政府高官に現状を報告していない」と指摘した。 

また、「チベット文化を保存しても、チベットが分裂、独立する危険性は一切ない。それにもかかわらず中国高官は人権侵害、弾圧を繰り返している」と中国当局のチベット政策を批判した。講演には国会議員ら約230人が出席した。【11月13日 時事】
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ただ、ダライ・ラマ14世自身の口から焼身自殺を強く諌める発言もないことから、現在の状況を黙認しているとも考えられます。
中国及び国際社会にアピールする手段が他にない・・・という現実ではありますが・・・。
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