(バーレーンの首都マナーマ 12月16日 デモを解散させるため、治安当局は催涙ガス・空砲を使用 “12月17日 Iran Japanese Radio” http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/33943)
【変革は2年前の焼身自殺から】
中東・北アフリカのアラブ世界で広がっている既存の政治的枠組みへの人々の抵抗運動、いわゆる「アラブの春」が始まったのは、約2年前のチュニジアの街かどで起きた事件でした。
“2010年12月17日、チュニジア中部シディ・ブジド(スィディ・ブーズィード)にて失業中だった26歳の男性モハメド・ブアジジ(ムハンマド・ブーアズィーズィー)が果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、販売の許可がないとして警察が商品を没収。これに抗議するためにガソリン(もしくはシンナー)をかぶり火をつけ、焼身自殺を図った”【ウィキペディア】
以来、チュニジアのベンアリ大統領、エジプトのムバラク大統領、リビアのカダフィ大佐、イエメンのサレハ大統領・・・と、それまで独裁権力を握っていた指導者がその地位から退くことを余儀なくされています。
今現在は、内戦状態にあるシリアのアサド大統領の動向が注目されていることは周知のところです。
【オマーン 政府の民主化アピール】
そうした体制崩壊に至らないものの、変革を求める人々の声で社会がザワザワと揺れている国もいくつかあります。クウェート、バーレーン、オマール、ヨルダンなどです。
当然ながら、各国の宗教的・政治的事情によって、その構図は様々です。体制側の対応も様々です。
共通するのは、従来抑え込まれていた変革を求める声が大きく叫ばれるようになり、体制側もそれを無視できなくなっていることでしょう。
クウェートでは、首長家主導の政府とイスラム系野党勢力が対立を深めており、12月1日にイスラム系(スンニ派)野党勢力がボイコットするなかで議会選挙が行われました。
(12月2日ブログ「クウェート 野党側がボイコットするなかで議会選挙 今後に残る火種」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20121202)
日本のメディアで取り上げられる機会はあまり多くありませんが、アラビア半島の先端に位置しているオマーン“カブース現国王(スルターン)は絶対君主制を維持しつつも、諮問議会(政治的実権を持たない)設置や毎年の地方巡幸を通じて民心の掌握に努め、その政権の基盤は安定している”【ウィキペディア】にも変革の波が押し寄せています。
****オマーン:初の地方選挙 民主化第一歩評価も実効性疑問も****
アラビア半島東端のオマーンで22日、地方議員を選ぶ初の地方評議会選が投開票された。中東での民主化運動「アラブの春」を受け、国民の声を地方行政に届きやすくするとして実施された。「民主化への第一歩」との評価がある一方、実効性を疑問視する指摘もある。
10年末からの「アラブの春」は政情の安定した同国にも波及し、賃上げなどを求める大規模デモが発生。内閣改造や雇用創出策に着手したカブース国王は地方評議会選実施も決めた。
選挙には定員192人に対し1475人(うち女性46人)が立候補。内務省によると、当日有権者数は44万7551人で、即日開票の結果、全議席が決まった。
首都マスカットの会社員、ワッサム・ムーサ・アルナジャールさん(39)は投票後、「インフラ整備や教育と福祉の充実など、地域の発展に住民の意思が反映される」と評価。北部サマイル州の無職、カウラ・ハッサン・アルアームリさん(23)は「女性の地位向上につながってほしい」と期待を寄せた。
ただ地方評議会は各州に助言を行うだけで、立法権はない。専門家は「政府の民主化アピールという見方もできる。ただ18世紀から王朝が続くオマーンでは国民も民主化は求めても体制変換までは望んでいない。急な民主化はかえって危険」と指摘している。【12月24日 毎日】
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体制側の変革要求予防策としての地方評議会選のようです。
従ってその権限は限定的ですが、今後の更なる権利要求に繋がっていく可能性もあります。
【バーレーン サウジが介入 欧米も黙殺】
スンニ派中心国でもある地域大国サウジアラビアの対岸に位置するペルシャ湾の小さな島国バーレーンでは、少数派スンニ派王家が多数派シーア派国民を治めるという形にあり、2011年の春という早い段階で多数派シーア派住民の権利拡大要求が表面化しました。
これに対し、王家を支援するサウジアラビアを中心とする湾岸協力会議(GCC)が軍事介入して、反体制活動を力で徹底的に抑え込む対応となっています。
ペルシャ湾の反対側対岸はシーア派中心国である地域大国イランです。イランは当然ながらバーレーンの多数派であるシーア派住民の運動を支援しています。
軍事介入したのがサウジアラビアではなくイランだったら欧米諸国は声高にその非をなじったところですが、サウジアラビアの介入はあまり国際的には大きな問題とはなっていません。
バーレーンの抵抗運動は現在も続いているようですが、あまりメディアで目にする機会がありません。
イランのメディアは次のように伝えています。
****バーレーン各地で、反体制デモ実施 ****
プレスTVの報道によりますと、バーレーンの複数の集落で21日金曜、人々が抗議デモを行い、ハマド国王に反対するスローガンを叫んだということです。
デモ参加者の一部は、車両タイヤに放火し、道路を閉鎖しました。
デモ参加者はまた、デモを弾圧しようとした治安部隊に向け、火炎瓶を投げつけています。
バーレーンでは、昨年2月中旬から国民による抗議運動が始まっており、同国の人々は独裁政権の打倒を求めています。
バーレーンでは、これまでに抗議デモが弾圧される中で、数十名の人々が死亡しており、また政治活動家や医師、看護士などを含めた数百名の人々が治安部隊によって身柄を拘束されています。【12月22日 IRAN JAPANESE RADIO】
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バーレーンにはアメリカの第5艦隊司令部が置かれていることから、周辺スンニ派諸国同様に、“民主化運動の守護神”アメリカもバーレーンの混乱は望んでいません。
結局は自国の利害にどのように関わるか・・・という点で対応が決まるのは、当然と言えば極めて当然な現実です。
ただ、当局側の強硬策には苦言を呈してはいるようです。
****欧米冷ややか 隣国は飛び火懸念*****
「アラブの春」で民衆を支持した欧米諸国も、今回は反政府側に冷ややかだ。
同じスンニ派王室が統治するサウジアラビアなど湾岸諸国はバーレーン王室を支持し、昨年3月にはサウジ軍を中心とした約1500人を進駐させた。バーレーンでシーア派が伸長すれば、自国のシーア派や民主化を求める勢力を刺激しかねないためだ。
また、米第5艦隊司令部がある戦略拠点バーレーンの政治的混乱を避けたい点で欧米諸国と湾岸諸国の利害は一致する。
孤立感を深める反政府側は「二重基準」として不満の矛先を米国にも向け始めている。ただ、米国は最近、治安部隊の強行策に繰り返し懸念を表明しており、王室は米国への不満を強めているという。【5月2日 朝日】
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【ヨルダン 変革を求めるムスリム同胞団】
立憲君主制のヨルダンではイスラム主義勢力のムスリム同胞団を中心に政治経済改革を求めるデモが断続的に発生。アブドラ国王は「政治改革」をアピールするため10月に下院を解散し来年1月23日の総選挙を行う方針ですが、同胞団はボイコットを決めています。【12月24日 毎日より】
****ヨルダン:改革訴え最大級デモ 国王批判も*****
立憲君主制のヨルダンの首都アンマンで、中東の民主化要求運動「アラブの春」に触発された、政治・経済改革を求めるデモが昨年から、毎週のように続いている。
アブドラ国王が下院議会の解散を命じた翌日の(10月)5日のデモは、穏健派イスラム原理主義組織ムスリム同胞団など野党勢力が呼びかけ、これまでで最大規模となった。国王が打つ手を誤れば、国民の不信が一気に高まりそうな不安定な政治状況だ。
AP通信によると5日のデモには約1万5000人が参加。平和的に行われたが、参加者からは「我々が欲しいのは自由であり、王室の好意ではない」などと、珍しく国王を批判する声も上がった。
アンマンでは昨年1月、食料高騰や高失業率への抗議デモが発生。今年も5%近いインフレが続き、デモは毎週のように数百人規模で行われてきた。国家元首の国王は先月、政府の決めたガソリン値上げを凍結するなど対応に追われている。
ヨルダンでは、首相任命や議会解散などの権力が国王に集中し、首相や議会の実権は小さい。デモ隊は、より民主的な政治運営を要求しており、経済への不満が政治改革を求める声に広がっている。議会による首相指名や、国王支持派が多い非都市部の議席を減らすことなどを求めているが、王制廃止など急進的な改革は求めていない。
国王は昨年2月から首相を3度代え、議会選で比例代表制も導入するなどして「政治改革」をアピール。4日に議会解散を命じ、総選挙は今年末か来年初めに行われる見通しだ。
ムスリム同胞団は5日のデモで、改革が「不十分」だとして、10年の前回選挙に続きボイコットを呼びかけた。11月にも、大規模なデモを呼びかけると報道されている。【10月9日 毎日】
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【エジプト 政策と行動力に勝るムスリム同胞団】
エジプトなど体制変革を実現した国では、独裁権力が崩壊した結果、それまで政治的に抑圧されていたイスラム主義勢力が台頭する現象が起きています。
エジプトでは、新憲法制定をめぐり、政権を掌握して体制固めを図るムスリム同胞団と、「新たな独裁」としてこれに反発する勢力が激しく対立していることは連日報じられているところです。
****エジプト:新憲法案の国民投票 対立の根深さを露呈****
エジプト新憲法案は15、22両日の国民投票の結果、モルシ大統領の支持母体である穏健派イスラム原理主義組織ムスリム同胞団を支持する「改憲派」が、世俗派など野党勢力を推す「反対派」を抑え、承認が確実となった。
国論は大きく分裂し、「国民的合意」にはほど遠い結果で、対立の根深さを露呈した。一方、民主化要求運動「アラブの春」が広がった中東諸国でも穏健派イスラム系組織が勢いを増しそうだ。
地元メディアが報道した非公式集計によると、賛成は64%と6割台で、投票率も30%超にとどまった。民主化の今後を占う国民投票だが、大規模な市民によるデモが繰り返される政情不安が解消されるかは見通せない。
国民投票の結果は中東に波紋を広げそうだ。2年前に「アラブの春」の出発点となったチュニジアでは、ムスリム同胞団に近いアンナハダ党が憲法制定議会で議席の約4割を占める第1党。来年2月の憲法制定を目指しているが、エジプト同様シャリア(イスラム法)の位置づけや女性の権利などの規定が争点だ。
アンナハダのガンヌーシ党首側近のシュフーディ氏は23日、毎日新聞の取材に「新憲法案の承認は前向きな動きだ」と歓迎した。(中略)
チュニジアやエジプトなどでは、組織化されていなかった世俗派の若者がインターネットなどを活用してデモへの参加を呼びかけ民衆革命に発展。政権が崩壊すると、組織化されていたイスラム系組織が台頭した。エジプトでは反モルシ派が国民投票実施を「新たな独裁」として反発しており、民主化への道のりはなお険しい。【12月24日 毎日】
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エジプトにおけるムスリム同胞団と世俗リベラル派の主導権争い、政策と行動力に勝るムスリム同胞団について、川上泰徳氏は次のように論じています。
****エジプト新憲法案を読む(2) イスラム的国づくりと女性の権利 川上泰徳****
エジプトの新憲法案は、15日と22日の2回に分けて行われた国民投票で、現地紙などの非公式集計によると60%以上の賛成で承認される見込みだ。
エジプト革命後初めて行われた人民議会選挙や諮問評議会選挙で、ムスリム同胞団やイスラム厳格派のヌール(光)党などイスラム主義の議員が3分の2を占めた結果を反映して、憲法起草委員会もイスラム主義の政治家、法律家で占められていた。
結果的に、イスラム色の強い憲法案が出来たが、その憲法案が国民投票で60%以上の賛成で承認されるのは、この流れの中では順当なところといわざるをえない。
新憲法案の承認は、エジプト革命後の国が進む方向性を決める民主主義的な政治闘争でのムスリム同胞団が勝利を確実なものとし、逆に世俗リベラル派や革命継続派の敗北を決定づける。
強権を打倒した革命は世俗リベラル派が行ったが、その後、イスラム派に乗っ取られたという主張があるが、それは全く事実とは異なる。革命自体は、世俗リベラルであれ、同胞団であれ、ムバラク政権に抑えこまれていた既存の政治勢力が主導したものではなく、既存の政治勢力が予測もしない形で、若者たちが一斉にデモに繰り出すという「若者たちの反乱」状況が生まれたことで実現した。
ムバラク政権に批判的だったエルバラダイやアムル・ムーサら世俗リベラル派は、若者たちの動きに乗って表に出た。より慎重な同胞団は「同胞団の標語を表に出すな」という指導部の指令を受けて、若者たちの反乱を支えた。
エジプト革命での世俗リベラル派の功績は、欧米からの支持を革命に向けさせたことである。エジプト革命で連日、世界の注目があつまったタハリール広場のデモで、同胞団色やイスラム色が強く出ていたら、「イスラム革命を阻止する」という名目で、ムバラク政権が軍を使ってデモを鎮圧する口実を与えていただろう。
しかし、タハリール広場で広場に入るためのチェック体制や、広場周辺の野戦病院などを維持したのは同胞団の若者であり、医師たちだった。同胞団の政治力、組織力、大衆動員力がなければ、革命が成就しなかったことは、「4月6日運動」などタハリール広場に集まり、革命に参加した者たちにとっては自明のことである。
強権が倒れた後の国作りで、ムスリム同胞団と世俗リベラル派のどちらが主導権を握るかという政治的せめぎ合いが始まった。世俗リベラル派と言っても、保守派やアラブ民族主義派、左派、イスラム派など分裂していた。一方の同胞団も保守派とリベラル派に分裂した。
しかし、政治的な分裂というならば、世俗リベラル派には、ムバラク時代の野党勢力など既存の政治勢力と、革命継続派の若者たちとの間には大きな溝があった。
既存の政治勢力はムスリム同胞団に対抗するために軍を頼りにし、一方、4月6日運動や左派などの革命継続派の若者たちは「反軍政」を掲げて、より強硬なデモに出ようとした。
当初、革命継続派の若者たちに担がれていたエルバラダイが、大統領選を前にして、立候補しないことを宣言したことには、若者たちの暴走に荷担しているように見られることや、それでは民衆の支持が広がらないという計算があっただろう。
結果的には、独自のイスラム的な世直しを掲げて選挙プログラムを選挙に参加してきた同胞団は、革命後の民主主義的な政治闘争でも、ムバラク政権の下でも、国民に訴える政策と行動力があった。
世俗リベラル派はムバラク体制下では、常に強権に取り込まれがちで、プログラムも明確ではなかった。世俗リベラル派の主要な指導者の一人と見なされるハムディン・サバーヒ氏が率いるナセル主義(アラブ社会主義)のカラマ党は、人民議会選挙では、思想的にも全く異なる同胞団が主導する選挙リストに参加していた。
そのことは、世俗リベラル派が、革命後に独自の国作りのプログラムを国民に対して打ち出すことが出来なかったことを象徴している。(後略)【12月24日 朝日「中東マガジン」】
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なお、川上泰徳氏の上記レポートは表題にもあるように“女性の権利”に関するもので、大変参考になります。
ただ、話が長くなるので、その部分は明日以降にまた取り上げます。