(12月6日 死者を出す混乱を受けて、首都カイロ郊外の大統領宮殿周辺に配置された軍の戦車 “flickr”より By DTN News http://www.flickr.com/photos/dtnnews/8251997226/)
【これまでの経緯】
ムバラク独裁政治と決別し、「アラブの春」で示された民主化を実現するための新憲法制定作業が行われているエジプトでは、モルシ大統領が11月22日、「新憲法制定や人民議会(下院に相当)選までの間、自らが発出する法令や決定は、裁判所を含むいかなる機関の干渉も受けない」とする新たな「憲法宣言」を発布しました。
“イスラム原理主義組織ムスリム同胞団出身の同氏が行政、立法、司法の全権を掌握すると宣言したに等しく、世俗主義勢力などは「モルシーは独裁者」「新たなファラオ(古代エジプトの王)だ」と激しく非難、対決姿勢を強めている”【11月24日 産経】ということで、大統領を支持するイスラム主義勢力と反大統領派の世俗派・リベラル派などの間で対立・混乱が続いています。
なお、モルシ大統領は、11月26日、司法判断の対象から除外するのは国家主権に関わる決定に限定するという譲歩を示しています。
モルシ大統領の強権発動は、ムバラク前政権関係者にも近い司法界による諮問評議会(上院に相当)や憲法制定委員会の解散命令といった動きに対し、イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」主導の制憲作業を進める大統領側が先手を打ったものと見られています。
****エジプト大統領、「強権」撤回せず 不穏な司法界に“先手”****
エジプトのモルシー大統領は26日夜、自身への司法の干渉を一切排除するとする憲法宣言を発布したことに反発する司法界の代表者らと会談、宣言撤回には応じず、協議は決裂した。世俗主義勢力を中心とする反モルシー派は27日も首都カイロで抗議デモを続け、数万人が参加した。
また今回のモルシー氏の強権発動をめぐっては、ムバラク前政権関係者にも近い司法界による不穏な動きをモルシー氏が察知し先手を打ったとの見方が浮上している。
モルシー氏が自身に絶対的な権限を付与する憲法宣言の発布に踏み切った舞台裏について、26日付の独立系紙マスリユーンなどは、モルシー氏が今月上旬、公安機関から受け取った1通の報告書がきっかけとなったと報じている。
そこには、12月2日に予定される最高憲法裁判所での裁判で、諮問評議会(上院に相当)と憲法制定委員会の解散が命じられる可能性が高いことが記されていたという。同評議会や憲法制定委は、モルシー氏の出身母体のイスラム原理主義組織ムスリム同胞団が多数派を握るだけに、モルシー氏には大打撃となる。
当時のマハムード検事総長が、裁判所と連動する形で、6月の大統領選での不正などを突破口に選挙結果を無効にすることや、同胞団幹部の訴追を画策していたとの報道もある。
同胞団系ニュースサイトの元編集長シャルヌビ氏によれば、モルシー氏と同胞団指導部は今月17日と22日に対応を協議。モルシー氏は22日夕、検事総長の更迭と憲法宣言の発布を発表した。
一方、モルシー氏と司法界の協議が決裂したことで、憲法裁が12月2日の判決を強行するとの見方も強まっており、同胞団側の態度が硬化し混乱が深まる可能性もある。反モルシー派のエルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長は26日、「モルシー氏は軍部の介入を招きたいのか」と宣言撤回を促した。【11月26日 産経】
*********************
対立が深まるなかで、モルシ大統領は1日、憲法起草委員会で採択された新憲法草案を承認し、今月15日に国民投票を実施すると発表。また、最高憲法裁判所を大統領支持派が取り囲み、その審議は停止しています。
****エジプト:新憲法草案 15日に国民投票を実施へ****
エジプトのモルシ大統領は1日、憲法起草委員会で採択された新憲法草案を承認し、今月15日に国民投票を実施すると発表した。イスラム色の濃い新憲法草案を巡っては、大統領を支持するイスラム勢力と野党の世俗派勢力が鋭く対立しており、国民投票に向けて一層の混乱も予想される。
一方、最高憲法裁判所は2日、大統領派が支配する憲法起草委の正当性などに関するこの日の審議を延期した。AP通信によると、数千人の大統領支持者が裁判官の入廷を阻止するため、憲法裁の建物を取り囲んでいるという。新たな審議日程は不明。
モルシ大統領は1日夜、新憲法草案の承認後、「我々は対立と相違の時代を乗り越え、実りのある仕事を成し遂げなければならない」と賛否両派に和解を呼びかけ、国民投票への参加を求めた。野党の若者グループ「4月6日運動」は2日、毎日新聞の取材に対し、投票参加の可能性などについて「協議中」と答えた。(後略)【12月2日 毎日】
***********************
モルシ大統領の強権的な政治手法に反対する裁判官や検察官はストライキを行っており、司法機能の著しい低下を招いています。
“昨年初めの民衆革命以来急増している犯罪事件をはじめ、離婚調停や経済事案などの審理にも重大な影響を及ぼす恐れが指摘されている”“裁判官らのストライキは、新憲法草案の是非を問う15日の国民投票にも影響を及ぼしかねない。裁判官による監視無しに公正な国民投票は期待できないため、早くも国民投票の有効性を疑問視する声が上がっている”【12月3日 毎日】
モルシ大統領は国民に和解を呼びかけていますが、大統領宮殿前では5日夜、イスラム勢力中心の親大統領派と世俗派中心の野党勢力が衝突し、死者7人、負傷者300人余り(数字は【12月8日 毎日】より)を出しました。
大統領宮殿周辺には戦車も配備され、混乱回避を呼び掛ける軍部の動向も注目される事態となっています。
****エジプト:大統領宮殿周辺に戦車など配備 カイロ郊外****
エジプト軍は6日、首都カイロ郊外の大統領宮殿周辺に戦車や兵員輸送用装甲車などを配置するとともに、宮殿周辺に居座るデモ参加者に退去を命じた。イスラム主義勢力中心の大統領支持派と世俗派中心の野党勢力による衝突で多数の死傷者が出る中、国営通信は戦車配置の狙いについて、大統領宮殿の安全を確保するためと伝えた。モルシ大統領は6日にも国民向けの緊急演説を行い、事態の沈静化を図る見通しだ。
国営テレビなどによると、大統領宮殿前では5日夜から6日未明にかけて、モルシ大統領支持派と反支持派の住民計数万人が衝突。6人が死亡し、670人以上が負傷する事態に発展し、混乱が拡大した。
ロイター通信によると、事態の沈静化に向け、少なくとも共和国防衛隊などの戦車5台や装甲車9台を配備。共和国防衛隊は「デモ参加者に圧力をかけるためではない」としており、政治的意図がないことを強調している。
イスラム色の濃い新憲法案を巡る与野党対立が激化する中、軍の動向は重要な焦点。ムバラク前政権時代まで軍は比較的世俗的で、モルシ大統領の支持母体であるムスリム同胞団を弾圧してきた経緯がある。今春の大統領選以降はモルシ大統領との対立を避けてきたが、社会的不安の増大に伴ってますます存在感を増している。デモ参加者からも「市民と国軍は一つだ」とのかけ声がわき上がるなど、軍の動向を意識した行動が目立った。【12月6日 毎日】
*******************
こうした緊迫した事態を受けて、メッキ副大統領は7日、「法的な問題を解消できるなら、モルシ大統領には国民投票を延期する準備がある」と、新憲法案の是非を問う15日の国民投票を延期する可能性に言及しました。
しかし、モルシ大統領は8日、大統領権限を拡大する「憲法宣言」(暫定憲法)を撤回すると発表しましたが、国民投票については予定通り15日に決行することを発表しています。
****エジプト:大統領、権限拡大を撤回…国民投票は決行****
新憲法の策定などを巡り混乱が続くエジプトのモルシ大統領は8日夜、大統領権限を拡大する「憲法宣言」(暫定憲法)を撤回すると発表した。反大統領デモを続ける野党勢力に大幅な譲歩を示したものだが、イスラム色の濃い新憲法案の是非を巡る15日の国民投票は予定通り決行する。
一方、野党連合「国民救済戦線」は9日夜、大統領の対応が不十分だとして「国民投票拒否」の方針を発表。抗議行動の継続を確認した。
モルシ大統領は8日、野党を含む全ての政治勢力に参加を呼びかけた「国民対話」を開催した後、憲法宣言の撤回を決めた。国民救済戦線など主な野党は国民対話をボイコットしていた。先月22日に発令された憲法宣言には、新憲法の策定を急ぐ大統領が、対立関係にある裁判所の判断を一時的に無効化する狙いがあった。このため、野党は「独裁制につながるものだ」として反発、大規模な抗議デモを繰り広げてきた。
政権側は、メッキ副大統領が国民投票延期の可能性を示唆していたが、8日の国民対話を経て「現行法上、国民投票の延期は不可能」との結論に至った。これに対し、憲法宣言の撤回とともに、国民投票の延期や憲法起案のやり直しなどを求める国民救済戦線は「さらなる分裂と暴動を招く国民投票は拒否する」との声明を発表。11日に新たな大規模デモを実施する方針も明らかにした。
新憲法案はモルシ大統領の支持母体、ムスリム同胞団などイスラム勢力の支配下にある憲法起草委員会が策定。イスラム法やイスラム聖職者による政治介入の恐れや、イスラムの価値観に反する「表現の自由」や「女性の権利」の侵害を懸念する声が上がっている。だが、最高憲法裁判所はムスリム同胞団などの圧力によって、合憲性に関する審議ができない状況にある。【12月10日 毎日】
*********************
エジプト主要野党の連合体「国民救済戦線」はイスラム勢力主導の新憲法制定に反対し、新憲法案の賛否を問う15日の国民投票を拒否すると発表し、反モルシ大統領の大規模デモを11日に開催するとしています。
一方、大統領の出身母体であるイスラム原理主義組織ムスリム同胞団を含むイスラム勢力も対抗して同じ日に、大統領支持デモを行うと表明しており、新たな衝突が起きる可能性も懸念されています。
【革命派の若者たちと、旧政権下の富裕層が、「同胞団政府反対」で共闘】
以上が、これまでの対立・混乱の経緯ですが、大統領に反対している「世俗派・リベラル勢力」の実態について、朝日新聞国際報道部の川上泰徳氏は次のように旧政権下の富裕層の存在を指摘しています。
****エジプト ムルシ大統領に対する反発の背景****
・・・・今回のタハリール広場を埋めた群衆は、これまでとは明らかに異なる印象だった。
「大統領令撤廃」「ムスリム同胞団政府撤廃」とマイクで叫んでいるのは、アラブ民族派のナセル主義者や社会主義者など、革命的若者たちであるのは、これまでと余り変わらない。
しかし、異なるのは、広場に集まっている人々である。サングラスをかけ、外国製の服をきた身なりのよい、見るからに金持ちが多い。女性は着飾るためか一層貴奢になる。カイロでは一般にはイスラム式のベールは8割から9割になるが、ベールをしていない女性の割合もかなり多い。裕福なキリスト教徒もかなり集まっているのだろうが、ベールをしているイスラム教徒も、富裕層である。
(中略)
ムルシ大統領の大統領権限強化の大統領令に反対している「世俗派・リベラル勢力」の中心は、身なりは「世俗派」で、考え方は「リベラル」であるが、強権で腐敗した旧政権与党の国民民主党を支えていた富裕層である。モルシ大統領の強権手法に反対しているから「世俗派・リベラル勢力=民主主義勢力」と考えるならば、間違いだろう。
(中略)
今回の大統領令では、革命派の若者たちと、旧政権下の富裕層が、「同胞団政府反対」で共闘することになった。旧政権与党の旧NDP支持者が、政治の表舞台に出ることは、裏で、旧公安警察や軍とつながるよりも、健全なことである。
逆に言えば、軍はムルシ大統領に抑えこまれ、さらに旧公安警察もムルシ体制の元で秩序維持の機能を果たしつつあることで、旧NDP支持者が「同胞団独裁反対」というスローガンを上げて、「世俗派・リベラル派」として表に出ざるをえなかったということだろう。
(中略)
多くのエジプト人の中には、ムルシ大統領の目標は、「同胞団国家」をつくることだという見方が強い。国民の利益を達成するのではなく、同胞団の利益を達成することが目標だという強い疑念である。指導部の号令一下で動く同胞団という組織が、それだけ閉鎖的ということも、一般のエジプト人の中の同胞団への不信感を生み出している。
ムルシ大統領も同胞団も、今回のような政治勢力の反発を受け、危機に直面しながら、他の政治勢力と妥協しつつ、さらに対話の機会を持ち、危機を回避するプロセスの中で、民主的な手続きを実践していく方向に動いていくのかもしれない。しかし、そうならずに、同胞団を大動員して力で民衆を抑えこむことができると錯覚すれば、次に打倒されるのは「同胞団支配」ということになるだろう。【12月1日】
*********************
先の大統領選挙で、ムバラク前大統領がエジプト革命の最中に任命した政府の首相をつとめた軍将校出身のシャフィク氏が第一回投票で515万で2位(首位はモルシ氏の555万票)となり、決選投票でも1230万票(当選したモルシ氏は1320万票)を獲得したように、ムバラク時代の与党であった国民民主党(NDP)の支持者は、これまでの「アラブの春」では表に出ることはありませんでしたが、かなりの数で存在しています。
こうした旧NDP支持の富裕層が、大統領決選投票ではモルシ氏側に流れた革命派の若者たちと、今回“反ムスリム同胞団”で共闘しているとの指摘です。
【「イスラム主義者が、アズハルと歩調を合わせて、イスラム的な社会づくりが進むだろう」】
問題となっているムスリム同胞団などイスラム勢力の支配下にある憲法起草委員会が策定した新憲法草案の中身について、川上泰徳氏は以下のように指摘しています。
****エジプト 新憲法案をめぐるイスラム派と世俗派の攻防を読む****
・・・・・
第2条は新憲法草案も旧憲法も一字も変わらず同じである。「イスラムは国家の宗教であり、アラビア語は公式な言語である。イスラム法の原則は、立法の主要な源泉である」
サダト時代に制定された旧憲法でも、すでにイスラム法を主な法源として規定されていたことで、イスラムに基づく国作りをすることは宣言されていた。新憲法案の起草に参加したイスラム主義者の中核であるムスリム同胞団は、第2条には一切手をつけない方針だったとみられる。
サラフィと呼ばれるイスラム厳格派からは「イスラム法による統治」を求める文言を入れるような要求があったとされるが、起草委員会では却下されたという。
第2条が全く変わっていないということは、様々に条文が追加され、変更されているのは、第2条で宣言されているイスラム法に基づく統治の基本的なあり方を、より具体的に成文化し、実現するために必要な追加や補足と説明することができる。
新憲法案第3条はまさにそうで、旧憲法にはなかった「エジプトのキリスト教徒とユダヤ教徒の宗教規範は彼らの社会身分法、宗教問題、精神的指導部の選定に関わる主要な法源である」という規定が出てくる。この新規定は、イスラムでは「経典の民」と呼ばれるキリスト教徒やユダヤ教徒の信仰や宗教生活は保障されるというイスラム法の規定を具体的に成文化したものだ。イスラム法を規定した第2条の規定のすぐ後に、宗教少数派の権利を明記したことは、少数派の警戒感を解く目的もあろうが、第2条を具体的に実現するために必要な補完要素を付け加えたことになる。
さらに新憲法第4条でカイロにあるイスラム教権威機関のアズハル(モスク、大学、研究アカデミー)を規定している。「独立したイスラム宗教機関であり、事業、運営全般に外の干渉を排して独自に行う。アズハルの高位イスラム法学者の委員会がイスラム法に関わる問題に意見を述べる」。さらに第4条は、「アズハル総長の職は独立したもので、罷免はできない。アズハルの高位イスラム法学者による総長の選定の方法については法律で定める」と続く。
ムバラク時代にも、立法権のある人民議会で新しい法律案を議論、採択する場合も、アズハルの宗教見解を得て、イスラムに反しないことを確認するのは手続きのひとつとなっている。ただし、アズハルのトップであるアズハルの総長は、かつてはローマ法王のように、高位の宗教者による選任だったが、ナセル時代以降、政府によるアズハルへの支配が強まり、総長は大統領が任命する形になった。さらにムバラク時代の後半には、大統領の政策のイエスマンの総長を任命し、アズハルの内部で批判や分裂が生まれるなど、政治による宗教利用が問題になった。
第4条にきたアズハル規定は、宗教判断に対する政治干渉を排する狙いだろう。
新憲法案の第4条でアズハルが「独立機関」として規定されたことで、新憲法案が承認されれば、アズハルの影響力が強まることは必至である。(中略)新憲法案の第4条にアズハル規定が出てくるのは、アズハルが憲法で独立機関として位置づけ、「イスラム法の実施」で重要な役割を担うことを明確にしたものだ。
ただし、アズハルは保守的、伝統的なイスラムの牙城である(中略)政治を主導するイスラム主義者が、アズハルと歩調を合わせて、イスラム的な社会づくりが進むだろう。それは文化的には、かなり復古的なものになるだろう。例えば、教育現場での男女の隔離や、公共の場での飲酒の禁止、宗教教育の強化、風紀の取り締まりなど、イスラム的なルールを実施する傾向が強まるのではないかと想像する。(後略)【12月5日 朝日】
**********************
“世俗派・リベラル勢力は、新憲法がイスラム主義多数で起草されたと批判し、途中でキリスト教や世俗派委員が起草委員会から離脱した。しかし、「イスラム色が強い」ということは、敬虔なエジプト国民全体にとっては決してマイナスではない。憲法の内容に踏み込んで「反対」を唱える議論は、ほとんど聞かれない。革命継続派は「我々はイスラム化に反対しているのではなく、ムルシの強権的な手法に反対しているのだ」というような説明に終始している”【同上】
「我々はイスラム化に反対しているのではなく、ムルシの強権的な手法に反対しているのだ」ということであれば、モルシ大統領が強権を撤回した今となっては、運動の広がりが限定されることも考えられます。
また、エジプト主要野党の連合体「国民救済戦線」や若者主体の政治集団「4月6日運動」は国民投票を拒否するとしていますが、そうなると30~40%程度の投票率で、圧倒的多数が賛成・・・という結果にもなりそうです。
投票率次第では、国民投票の有効性をめぐる対立が続く状況もあり得ます。