(ベルファストでは、カトリック系住民とプロテスタント系住民の居住区域は“平和の壁”とも呼ばれる壁で隔てられています。抗争の激化を防ぐために造られた壁で、相互の往来は可能ですが、壁越しに火炎瓶や石が投げ込まれることもあるとか。 “flickr”より By KP! http://www.flickr.com/photos/gokp/216169148/)
【和平プロセスの進展】
プロテスタント系住民の希望するイギリスとの連合維持か、カトリック系住民の希望する南部アイルランドとの統一かで激しい対立があり、繰り返されたテロにより約40年間で3600人もの犠牲者を出した「北アイルランド問題」については、政治的枠組みとしては一応の合意がなされており、テロ活動も収束しています。
そのあたりの話については、エリザベス女王が元首としてはほぼ100年ぶりに隣国アイルランドを公式訪問することを発表した際に、ブログでも取り上げました。
(2011年3月6日ブログ 「近くて遠い国」アイルランド 英エリザベス女王、初訪問 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20110306)
政治的合意内容について、再録すると以下のようなものです。
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1998年4月10日のベルファスト合意により、イギリスとの連合維持のプロテスタント系ユニオニストとアイルランドとの統一を目指すカトリック系ナショナリストの双方が北アイルランド政府に参加することとなり、一応の終息に向かっています。感情的な“しこり”は別問題ですが。
1998年の和平合意では、南北の統一は北アイルランドの住民が合意しない限り実現できないこと、アイルランド共和国が憲法を修正し、北アイルランドの領有権を訴えている部分を取り除くことが定められています。
これを元にアイルランド共和国では憲法修正を行い、領有権の主張を放棄しています。
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エリザベス女王は11年5月にアイルランドを訪問し、一定の成果を収めました。
“同女王の訪問前夜にはバスから爆発物が見つかり、数百人の抗議活動も行われたが、独立戦争の犠牲者に弔意を表した女王に対し、最後の訪問先、南部コークの市場では歓声が上がったほどだ。
アイルランド紙は「未来への希望でしかなかったことが今、目の前を通り過ぎた」と感激を表した。IRAの政治組織シン・フェイン党のアダムズ党首も英紙への寄稿で「今回の訪問はわれわれを悩ませるものだったが、新しい関係の可能性を示した」と述べた”【11年5月22日 産経】
また、今年6月には北アイルランドのベルファストで、エリザベス女王がIRA元指導者と握手を交わすセレモニーも行われました。
****英女王、元IRA司令官と握手=和平プロセス進展象徴****
エリザベス英女王は27日、北アイルランドのベルファストで、反英テロ活動を繰り広げたカトリック系過激組織アイルランド共和軍(IRA)の元司令官で現在は北アイルランド自治政府の副首相を務めるマクギネス氏と握手した。
IRAは「英国による北アイルランド支配」を終わらせるため1970年代からテロ活動を本格化させ、79年には女王の夫フィリップ殿下の叔父マウントバッテン卿も爆弾テロで殺害した。
北アイルランドでは98年のプロテスタントとカトリック双方の政党による和平合意後、和解プロセスが進展。今回の女王と元IRA司令官の握手はこれを象徴する出来事と位置付けられている。【6月27日 時事】
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【根深い“感情的しこり”】
前回ブログで“いろいろな紆余曲折はあるものの、概ね和平定着の方向に進んでいるものと思われます”と書いたように、政治的枠組みとしては“和平定着の方向”にあります。
ただ、これも前回ブログで取り上げたように、“感情的しこり”はまた別問題です。
前回ブログで紹介した下記記事が、そのあたりの“しこり”を表しています。
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それでも、北アイルランドの約170万人の人口をほぼ2分するプロテスタント系(53%)とカトリック系(43%)の住民がそれぞれ一定の地域に住み、交流をしない傾向は強まっていると指摘する。「一言で言うと、アパルトヘイトだ」。
2001年の国勢調査を見ると、ベルファーストのアルドイン地区には圧倒的にカトリック系住民が多く、プロテスタント系は1%だけ、逆にプロテスタント系が多いシャンキル地区ではカトリック系は3%のみとなっている。ベルファーストだけに限らず、北アイルランドの大部分の地域ではいずれかの住民が宗派ごとに固まって住む傾向がある。多くの人が自分が所属する宗派同士で住んだほうが安全だと考えるからだ。ある地域で少数派となれば、いじめや暴力行為の対象になりやすく、それぞれの宗派の自警民兵組織(実際は「暴力団」と言ったほうが近いのだが)に、出て行けと様々な脅しを受けることも珍しくない。(10年6月18日 日刊ベリタ 「北アイルランドは今」(http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201006180042035)
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【容易に再燃する憎しみ・不信感】
エリザベス女王のアイルランド訪問後の11年6月にも、宗派間の衝突が報じられています。
****北アイルランド・ベルファストで宗派間衝突、ここ数年で最悪****
北アイルランド・ベルファスト東部で20日、プロテスタント勢力とカトリック勢力の大規模な衝突が起きた。暴徒化した人々は警官隊とも衝突を繰り返し、21日には取材中のカメラマンが銃撃され負傷。3日目の22日夜は武装警察が展開し大きな衝突はなかったが、にらみ合った200人ほどが石や瓶などを投げ合うなど、ここ数年で最悪の宗派間抗争が続いている。
衝突が起きているのは、ベルファスト東部のプロテスタント地区にはさまれたカトリック地区、ショートストランド付近。地元当局によると衝突は、プロテスタント系とみられる一団が同地区の住宅を襲撃したことがきっかけで始まった。北アイルランド警察は、英国による統治存続を望み和平プロセスに反対しているプロテスタント系武装組織、アルスター義勇軍(UVF)の東ベルファストのグループが衝突の発端だと非難している。
21日夜の衝突では、暴徒らが警官隊に向けて火炎瓶などを投げ、警官隊が放水で応酬するなか、現場で取材していた英通信社プレス・アソシエーション(PA)のカメラマン1人が足を撃たれ病院に運ばれた。現場にいたAFPカメラマンによると、レンガ塀の向こうに銃を持った手が見えた直後に4、5発の銃声が聞こえた。銃撃はカトリック地区側から無差別にあったという。
北アイルランドでは、プロテスタント勢力が毎年7月、1690年にプロテスタント英国王ウィリアム3世(オレンジ公ウィリアム)がカトリックのスコットランド王ジェームズ2世を破ったボイン川の戦い(Battle of the Boyne)の勝利を祝う大行進を行い、しばしばカトリック勢力と衝突を繰り返している。【2011年6月23日 AFP】
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そして、今回は市庁舎での英国旗(ユニオンジャック)の掲揚をめぐって衝突が再燃しています。
****英国旗掲揚めぐり紛争再燃 北アイルランド過激派が暴動*****
英国・北アイルランドで「紛争」が再燃している。主要都市ベルファストの市庁舎での英国旗(ユニオンジャック)の掲揚をめぐる衝突で、警察車両などへの放火が連日続く。来夏に主要8カ国(G8)首脳会議を北アイルランドで開く英国は、火種を抱え込んだ。
発端は北アイルランド自治議会の決定。カトリック系の政党が英国旗の掲揚廃止を求めたが、プロテスタント系の政党が反対した。中間派の政党が、エリザベス女王の誕生日など年20日に限って掲揚する妥協案を提出し、3日、成立した。
これに反発したプロテスタント系の過激派が放火や暴動を繰り広げ、警官や報道のカメラマンら30人以上が負傷している。
10日夜にはベルファスト市内でパトカーの窓ガラスが割られ、火炎ビンが投げ込まれた。乗っていた警官は逃げて無事だった。攻撃の矛先はとりわけ、中間派政党に向かっており、パトカーは、殺害予告を受けた同党の議員の事務所を警備中だった。
北アイルランドは、1937年のアイルランド独立後も英国に残った。アイルランドへの併合を求めるカトリック系住民と英国統治の継続を望むプロテスタント系住民の対立が激化し、60年代からのテロで3千人以上が死亡。98年に和平合意が成立し、07年に自治政府ができて紛争は落ち着きを見せていた。【12月13日 朝日】
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“感情的しこり”、もっと端的に言えば、“憎しみ”“不信感”が癒されるまでには、どれだけの時間が必要なのでしょうか?数十年でしょうか?数百年でしょうか?
自分たちだけの正義を振りかざし、ことさらに対立を煽る者の存在、社会的・経済的問題の原因を対立するグループのせいにする風潮・・・そうしたことによって再燃し、なかなか容易には解決しない問題です。
中国・韓国の反日感情、日本国内の嫌中・嫌韓感情などもその類でしょう。
“十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理詎能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。”
このようにありたいものです。