司法への反日売国左翼・在日共の跋扈や、只単に日本の足を引っ張る為だけの裁判を許して来たことが、日本をここまで劣化させたと柿間したが、産経は、政治家の覚悟を問うているようです。
反日売国左翼・在日共の跋扈を許してきたのも政治の怠慢でしょう。つまりは、そんな政治家を選んできた国民にも責任はあるということです。
産経ニュースより 2018.7.5
【主張】大飯原発訴訟 政治の覚悟を問う判決だ
関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを平成26年5月に命じた福井地裁の判決が、名古屋高裁金沢支部によって取り消された。
高裁は、1審を不服として控訴していた関電の主張をほぼ全面的に認めた。上級審として誤りを正したことになる。
住民側が上告しなければ、3・11後の原発の安全性と運転の是非をめぐる裁判で事実上の初の確定判決となる。
これまでの複数の高裁判断は仮処分に対する決定であったので、本訴を扱った今回の名古屋高裁の判決は一段と重い。
第5次エネルギー基本計画で、原発は「重要なベースロード電源」と位置づけられている。
政府は、原子力規制委員会の安全審査に合格した原発の円滑な再稼働に向けて、積極的な調整に汗を流すべきである。
4年前の福井地裁の判決は、極端なゼロリスク論に立つものだった。「地震大国日本で、基準地震動を超える地震が到来しないというのは根拠のない楽観的見通し」として、原発に対する安全対策そのものを否定した。
地裁判決に対し、名古屋高裁は原発の有する危険性は「社会通念上、無視しうる程度にまで管理・統制されているか否かが検討されるべきである」とした。1審判決が軽視した「社会通念」の常識を尊重した、明快な論理である。
また、規制委が大飯原発の安全審査に用いた新規制基準にも不合理な点はないとした。
控訴審では、原発の耐震設計の基礎となる基準地震動の大きさが争点となったが、高裁は関電の取り組みを妥当と認めた。
関電が地震を起こす活断層の規模を、より大きく見積もることで過小評価になることを防いでいる点が是認されたのだ。
判決に、福島事故を踏まえて「わが国のとるべき道として原子力発電そのものを廃止・禁止することは大いに可能であろう」とする文言が含まれていることに注目したい。
その是非は、「もはや司法の役割を超え、国民世論として幅広く議論され、それを背景とした立法府や行政府による政治的な判断に委ねられるべき事柄である」と高裁は指摘した。
つまりは、政治の覚悟が厳しく問われているのだ。
原発を続けるかどうかは政治の判断だと言うことですね。それにしても、今の原発の状態を許しているのは、原因であるアレ(菅)一人さえ裁くこともせず放置してきた政府・自民党の覚悟の無さでしょう。
そんな人達に覚悟を求めても大丈夫でしょうか。結局は、安倍さんの憲法改正を待つしかないのじゃないでしょうか。