Chinaの現ナマ攻勢で台湾との国交断絶をする国が多い中、素晴らしい国が出現したようです。
何と、日本でも杉原千畝で有名なリトアニアがやってくれたようです。
宮崎さんが実際に訪れた経験も含めて詳しく書いてくれています。それにしても、こんな気骨のある国が出てきてくれたことは大歓迎です。
もしかしたら、世界の流れが変るきっかけになるのでしょうか。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和三年(2021)7月21日(水曜日) 弐 通巻第6989号
正義と博愛と友情を示したリトアニア
台湾の名前を冠した代表処を首都ビリニュスに設置
「台湾代表処」がリトアニアの首都にデビューする。中国は猛烈に抗議したが、リトアニアの決断に揺るぎはなかった。
7月20日、リトアニア政府は台湾の事実上の大使館のビリニュス設置を認めた。直前にもリトアニア政府は、中国主導の 「17 プラス 1」から脱退を声明した。ダムの決壊のように、中国主導のBRI(一帯一路)プロジェクトの一角が崩れた。
三月の「17プラス1」の首脳会議にリトアニアは欠席した。エストニア、ラトビア、ブルガリア、ルーマニア、スロベニアは 下級官僚を派遣するにとどめ、間もなく脱退を準備していると観測される。
いずれの国々もソ連に痛めつけられ、弾圧されて自由を剥奪されてきたため全体主義に対する憎悪が燃えており、近年の中国の人 権弾圧に強い抗議と不快感を示してきた。中国はナチという認識が拡がっている。
五月には欧米英につづき、リトアニア国会は、中国のウィグル自治区における人権弾圧を「ジェノサイド」として非難決議を 行った。中国との関係に大きな亀裂が入っていたことは誰もが認めるところだった。
まして中国のリトアニア投資で目立つ案件は殆どなく、貿易関係も微々たる額でしかない。
リトアニアは人口280万人。北がラトビア、東がベラルーシ、南にポーランド、西がロシアの飛び地カリニングラードであり、 海の出口はクライベタ港(ちなみにこのクライベタと、岩手県久慈市は姉妹都市。琥珀が結んだ友好関係がある)。
筆者は二回、リトアニアを訪問したことがあるが、首都ビリニュスはこじんまりとまとまった美しい都市で意外に人々の表情は 明るい。古都のカウナスは杉原千畝記念館があり、ユダヤ人を助けた人道主義の象徴として、日本人ツアーのメッカとなってい る。
記念館へ行くと「杉原チョコレート」を売っているのはご愛敬。コロナ禍以前には年間三万人近い日本人が訪れていた。
このリトアニアはバルト三国と旧東欧諸国のなかで、つねに自由化、民主化への先駆的な役割を果たしてきた。
ソ連に併呑される前にはパルチザンと組織して勇敢に戦い、合計80万人近い犠牲がでた。
▲地下運動で反ソ活動は活発だった歴史がある
ソ連に併呑された期間中も、地下では抵抗運動が続き、反ソ運動の母体だったサユディスが表面化したのはゴルビーのペレスト ロイカ以後。ソ連はKGB特殊部隊をおくって弾圧したが、国民の抵抗運動は強く、人間の鎖などがあって、90年にははやくも 独立を宣言した。
この直後に筆者はリトアニアに入ったのだが、国会から市民広場周辺にはソ連製の装甲車が配備されており、KGB特殊部隊の 覆面がまだ残留していた。
1993年にソ連軍が撤収するや、いなやリトアニアはNATOに加盟申請した。2004年にNATO、EU加盟を果たし、 2015年にはユーロに加入した。
2016年にリトアニアを再訪した。宗教画の天使がユーロを運び、手にはドルという風刺的な絵画がレストランに飾られてい た(拙著『日本が全体主義に陥る日』、ビジネス社参照)。
リトアニアが灯した自由化への道、そして台湾代表部の設置。旧東欧の中国政策も大きく変わろうとしている。
ここで、日本がChinaを切って台湾との国交回復すれば最高ですが、政・官・財・マスメディアのお偉いさん達にその気概は無いでしょう。何とも、情けない。