プーチンの回りから側近が逃げ出しているようです。これも政権末期に起きる普通の現象でしょうか。
それにしても、権力の回りに集まった奴等はあっさりと離反しますね。元々、利益だけで集まっているからと言えば言い過ぎでしょうか。
そんな動きを宮崎さんが報告してくれています。これが人間の性というものでしょうか。何だか哀れですね。
「宮崎正弘の国際情勢解題より 令和四年(2022)5月6日(金曜日)弐
通巻第7323号
チュバイス(ロシア元副首相)、イスラエルへ到着
プーチン最側近の一人だったが、四月下旬に姿を消していた
5月4日、イスラエルのベングリオン国際空港にアナトリー・チュバイスがアヴァドーチア・スミルノフ夫人を伴って到着し た。
チュバイスはウクライナ侵攻に反対し、突然姿をくらまし、トルコのイスタンブールで銀行のATMから現金を引き出すところ を目撃されて以来、消息が不明だった。
プーチンは4月25日、チュバイスの気象大使の解任を発表していた
チュバイスはベラルーシ系ユダや人である。ソ連崩壊後、エリツィン政権下の大統領府長官、第一副首相兼財務大臣を歴任し た。
米国流資本主義を目指して大胆な民営化政策を推進し、エリツィン政権後期にはボリス・ベレゾフスキー、ロマン・アブラモ ヴィッチらとロシア政治、経済界に甚大な影響力を発揮した。プーチンの政敵となってシベリアに九年もぶちこまれてユコス社長 のミハイル・ホドルコフスキーも仲間だった。
一時は政権から離れ、「統一エネルギーシステム(UES)」会長として企業経営。オルガルヒの一翼をになった。
チュバイスは母方がユダヤ人で、レニングラード技術経済大学を卒業。1980年にソ連共産党入党。1990年からレニング ラード市執行委員会副議長、第一副議長、サンクトペテルブルク市長首席顧問を歴任した。まさにこの履歴はプーチンと並んでい たことを表している。
1992年6月にロシア連邦政府、民営化担当副首相に就任。ガイダル首相代行と組んで市場経済改革を実施した。
チュバイスらの経済改革は、ロシア経済にハイパーインフレをもたらし、不透明な民営化政策はペテン師のような新興財閥を産ん だ。その殆どがユダヤ人だった。
1996年ロシア連邦大統領選挙で、チュバイスはエリツィン陣営の選挙対策本部長。エリツィン再選後、大統領府長官。「エリ ツィン政権の『摂政』」とも言われた。その後、第一副首相兼蔵相をつとめた。
プーチンとは朋友関係にあったが、やがて対立をはじめ、プーチン陣営を批判する立場に変わった。銃撃による暗殺未遂に遭遇 し、プーチンとは完全に袂を別っていた。
さて、このチュバイス、いったいイスラエルで何をするのか?
こういう動きはChinaでも起きるのでしょう。と言うかまだ起きてないのでしょうか。
いずれにしても、権力や金に集まる亡者共は離反も早いのじゃないでしょうか。そんな奴等の集まる独裁者とは気の毒な人達です。