昨日で中村さんの話題は止めるつもりだったの ですが、又しても興味深い記事を見つけてしまいました。昨日までの記事で考えても、中村さんと会社のどちらが正しいのか 私には判断がつきません。
当然、どちらにもそれなりの言い分があるでしょうし、当事者でない者にとって、どちらが本当のことを言っているのか も分かりませんし、両方とも正しい主張をしているとも言えそうです。所詮、第三者には本当のことは分からないと言えば身 も蓋もないことになりそうです。
そんな私の混乱をより一層煽ってくれそうな記事です。結構長いのですが、経過が良く分かるので省かずに全文を取り上 げさせて頂いています。
Business Journal より 10月13日(月)
中 村修二氏と日亜化学、なぜ泥沼抗争?日亜が「無価値」とした技術、ノーベル賞受賞
青色発光ダイオード(LED)開 発への功績が認められ、中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授がノーベル物理学賞を受賞し、日本中が 祝福ムードに包まれる中、図らずもクローズアップされているのが、中村氏の元勤務先である日亜化学工業(徳島県阿南 市)である。
中村氏は受賞後の会見で日亜化学に対する好悪相半ばする感情を吐露した。感謝した い人物の筆頭として、中村氏が同社在籍中に青色LED研究への投資を決断 した同社創業者、小川信雄氏(故人)の名前を挙げ、「私が開発したいという提案を5秒 で決断し、支援してくれた。私が知る最高のベンチャー投資家だ。小川社長に500万 ドル必要だというと、彼はそれもOKだと言った」と語った。
その一方で、「研究の原動力はアンガー(怒り)だ」と日亜化学に対する憎しみを隠 さなかった。発明特許を会社が独占し、中村氏へは発明の対価として「ボーナス程度」の2万 円のしか支払われなかったず。中村氏は退職後も技術情報を日亜化学のライバル企業に流出させたとして同社から訴訟を 起こされ、「さらに怒りを募らせた」といい、会見で中村氏は次のように語っている。
「日亜化学から企業秘密漏洩で訴えられ頭にきたので、日本で原告になって日亜化学 を訴えた。裁判なんかやったらノーベル賞をもらえないと言われたが、やりたいようにやってきた。こうしてノーベル賞 をもらってうれしい」
これに対して日亜化学は、「日本人がノーベル賞を受賞し、受賞理由が中村氏を含む 多くの日亜化学社員と企業努力によって実現した青色LEDであることは日亜化 学としても誇らしい」とコメントしており、同社の中村氏に対する複雑な心情が読み取れる。
中村氏の異能を買った日亜化学創業社長の決断
中村氏は徳島大学大学院工学研究科修士課程を修了後、京セラへ就職が内定していた が、すでに結婚しており家族の養育の関係から、1979年、地元の日亜化 学に入社し一貫して商品開発に携わった。中村氏は会議には出席せず電話にも出ず、社内では「変人」として知られてい たが、赤色LEDの製品化などに成功。しかし、赤色LEDは すでに他の大手企業が製造していたため、売り上げにあまり貢献できず社内で「無駄飯食い」と批判された。
「会社の上司たちは、私を見るたびに、まだ辞めていないのか、と聞いてきた。私は 怒りに震えた」(中村氏。受賞後の会見より)
入社から8年過ぎた1987年。 怒りが頂点に達した。辞職覚悟で当時社長を務めていた前出の小川氏に直訴し、当時不可能といわれていた青色LEDの 開発許可を求めた。中村氏の「異能・異才」を日亜化学の中で唯一評価していた小川氏は、「オーケー。やっていい」と 即答。「開発費はいくらかかる?」との質問に「500万ドルが必要だ」と 答える中村氏に対し、「ええわ、やれ」と一言で返答したという。当時、為替レートは急激な円高が進んでおり、500万 ドルは8億円に相当する。中小企業の日亜化学には大変な 金額だ。これにより500万ドルの研究費支出と米国留学が認められ、 青色LEDが陽の目を見ることになる。
88年9月 までの1年間、中村氏は青色LEDの 技術を学ぶため米フロリダ大学工学部に留学した。留学中に米国では博士号が一番重要視されると知り、「自分のような 大組織の支援のない人間には博士号の取得しかない」と決意し、帰国後、働きながら徳島大学大学院で指導を受け、94年 に工学博士の学位を取得した。
89年3月、 中村氏の最大の後ろ盾である小川氏が不治の病に倒れ、娘婿の英治氏が2代目社長 に就任した。英治氏は製品化の見込みがないと判断し、青色LEDの開 発の中止を命じた。中村氏は青色LEDの開発がダメなら会社を辞めてもよいと腹を くくって会社の命令を無視し、上司から届けられた開発計画変更書をゴミ箱に捨て続けた。
そして中村氏は周囲の反対に背を向けるかたちで開発を進め、92年3月、 青色LEDの製造装置に関する技術を確立し、日亜化学 が特許出願した。「404特許」と呼ばれるもので、その後この特許を めぐって中村氏と同社が対立することになる。日亜化学は93年11月、 今世紀中は困難といわれていた青色LEDの製品化に成功したが、中村氏が手にした会 社からの報奨金はわずか2万円だった。
訴訟合戦
中村氏は青色LEDの開発で国際的な技 術賞を多数受賞するが、日亜化学は命令を無視した中村氏に社内で居場所を与えず、99年12月、 中村氏は同社を退社。そして、「君はノーベル賞をとるべきだ」と評価する米カリフォルニア大学サンタバーバラ校総長 の招きで同校工学部教授に就任した。
米国に移住した中村氏に日亜化学は追い打ちをかけた。特許技術をライバル企業に流 出させたとして、企業秘密漏洩の疑いで中村氏を提訴。発明の対価がわずか2万 円と聞いた米国の研究者仲間から「スレイヴ(奴隷)」と呼ばれていた中村氏は、同社に反撃を開始する。404特 許の特許権帰属確認と200億円の譲渡対価請求を求めて同社を提訴した のだ。
04年1月、 東京地裁は発明の対価を604億円と算定し、日亜化学に対して200億 円を中村氏に支払うよう命じた。日亜化学は直ちに控訴。東京高裁は和解を勧告し、05年1月、 日亜化学が遅延損害金を含めて8億4000万 円を中村氏に支払うことで和解が成立した。中村氏は帰国の可能性について「それはない。仕事はこちら(米国)でと決 めている。裁判も決め手になった。大勝 したら日本に残ろうと思っていたが、そうならなかったので米国に移った。この選択は間違っていなかった」と語ってい る。
この裁判は、実は日亜化学の作戦勝ちだったといわれている。同社は裁判で404特 許は無価値だとする法廷戦術を採った。404特許に200億 円の特許価値がないとすることで、職務発明の対価を減額させる作戦だ。この作戦が成功し、一審の東京地裁は日亜化学 に200億 円を支払うように命じたが、二審の東京高裁での和解金額はこれを大きく下回った。「和解額にはまったく納得していな いが、弁護士の助言に従って勧告を受け 入れることにした。職務発明の譲渡対価問題のバトンを後続のランナーに引き継ぎ、本来の研究開発の世界に戻る」(中 村氏)。中村氏は最高裁まで争い200億円を勝ち取るつもりでいたが、升永英俊弁 護士の説得に従い矛を収めた。当時会見で中村氏は「日本の司法は腐っている」と感情を露わにし日本を離れ、米国の市 民権を得た。
一方の日亜化学は、「当社の主張をほぼ裁判所に理解していただけた。特に青色LED発 明が一人ではなく、多くの人々の努力・工夫の賜物である事を理解していただけた点は、大きな成果と考える」とするコ メントを発表。同社は訴訟終了後に無価値だと主張した特許権を中村氏に譲渡することなく放棄している。
そして今回、日亜化学が「無価値」だと主張した中村氏の発明が、ノーベル賞を受賞 した。(文=編集部)
これは、どちらかと言えば中村さん側に立った主張でしょう。
今度は会社側に立った主張です。この中のリンクに社長と中村さんの主張へのリンク があります。下にリンクしています。
BLOGOS(ブロゴス) 2014年10月11日 10:30
ノーベル賞・中村氏の「怒 り」は正当なもの? 日本はそんなにクソなのか
青色発光ダイオードの実用化に成功した中村修二氏が、日本人科学者2名 とともにノーベル物理学賞を受賞した。米カリフォルニアで取材を受けた中村氏は、「ここまで自分を突き動かしてきた のは怒りだ」と答えている。
このコメントを受け、ネットには「日本のシステムが天才のやる気を失わせた」「日 本はクソ」と中村氏に同情する声もあがっている。しかし人事コンサルタントの深大寺翔氏は、「周囲の人たちは、本当 にそんなに悪かったのだろうか」と疑問を呈している。
長谷川氏「日本は天才たちのやる気を失わせる」
ノーベル賞に日本中が沸く中、フジテレビ出身のフリーアナウンサー長谷川豊が、自ら のブログで「違和感」 を表明しました。日本のメディアは「日本人の受賞」と騒ぎ立てているが、中村氏は日本に呆れ、日本を捨てたのだか ら、日本人には反省すべき点もあるんじゃ ないか、と問題を提起したのです。
「なんで、彼らが日本を捨てたんだ?/日本のシステムが…/日本の教育環境が…/ 日本的な会社の仕組みが…/天才の力を失わせ、天才の芽を摘み、天才たちのやる気を失わせる仕組みだから…/彼らは 日本から出ていったんじゃないのだろうか?」
長谷川氏は中村氏の「怒り」に同情を寄せ、怒りの対象となった日本人のひとりとし て、怒りを受け止めるべきというスタンスにあると言っていいでしょう。
これに対して、経済評論家の池田信夫氏はブログで、中村氏のイノベーションの素晴 らしさは認めながらも、彼の怒りに対してやや冷ややかなスタンスをとっています。
もし東京地裁が命じたとおり、日亜化学工業が得た利益の50% にあたる600億円を中村氏に支払ったとしたら、「日本の 企業は、青色レーザーのようなハイリスクの技術には絶対に投資しなくなるだろう」と指摘し、中村氏の要求に疑問を投 げかけています。
「イノベーションとは賭けである。事後的には、価値を生み出した人が半分取るのが フェアにみえるが、それは9999人の失敗した人の犠牲の上に生まれた偶然 だ。企業の研究者の大部分は、会社の金で自分の成果を出すフリーライダーなのだ」
元社員は「若いエンジニアの協力」を指摘
「フリーライダー」と言わないまでも、今回の受賞で一躍ヒーローとなった中村氏の 成功は、決して彼ひとりの手柄ではないと主張する声は、受賞後もちらほら漏れ始めています。かつて裁判で中村氏と 争った古巣の日亜化学工業は、各紙に、
「日本人が受賞したことは大変喜ばしいことです。とりわけ受賞理由が、中村氏を含 む多くの日亜化学社員と企業努力によって実現した青色LEDであることは、誇ら しいことです」
というコメントを出しました。「多くの日亜化学社員」の協力があってこそというこ とで、やや皮肉っぽくも読めることもあって、ネットで「会社みっともない」「器が小さいな」といった批判も出ていま す。
しかし日亜化学工業の元社員の濱口達史氏は、ブ ログで「中村さん=正義、日亜=悪というレッテル貼りは行き過 ぎ」と反論しています。日亜の社員にとって、中村さんはエンジニアとしての生き様は尊敬されているものの、中村氏の 「すべて自分でやった」という趣旨の主 張には、多くの人が反論するといいます。
ブログによれば、青色LEDを実 現する無数の致命的な課題を解決したのは、中村氏の周囲にいた若いエンジニアたちだそうです。中村氏は、彼らが「こ んなアイディアを試してみたい」というと、決まって「そんなもん無理に決まっとる、アホか!」とケチョンケチョンに 言い返したとも書かれています。
「それでも実際にやってみると著しい効果があった。そういう結果を中村さんがデー タだけ取って逐一論文にし、特許にし、すべて自分の成果にしてしまったんだ、と」
濱口氏のブログを踏まえて会社のコメントを読むと、中村氏の偉業を称えつつ、名も ない協力者としての自社のエンジニアたちに対する温かいねぎらいの気持ちも感じられるのではないでしょうか。
中村氏の「集中力を高めるダシ」にされただけでは
実は日亜化学工業は、中村氏に対しもっと強い反論をしていました。前述の長谷川氏 は、会社は中村氏の功績に対して2万円の特別ボーナスしか出していないように書い ています。
しかし「日経ものづくり」2004年4月 号に掲載された小 川英治社長のインタビュー記事によると、会社は中村氏に対し「1989年 から11年間の合計で、同世代の一般社員よりも6195万 円ほど上乗せして支給」していたそうです。
ほかにも、開発中止など命じていないのに法廷でウソを証言されるなど、気がついた ら「悪者」にされたと悔しそうに反論しています。
以上のような経緯を踏まえると、ときに行き違いはあったものの、中村氏の偉業は、 日亜化学工業という環境や優 れたスタッフ、理解ある経営者たちがいたからこそ実現した開発であったというのが事実で、そこから「日本はクソ」 「天才に捨てられる日本」という飛躍した 結論を出すのは、実態を踏まえない通俗的で自虐的な見方に思えてなりません。
他人からの評価を気にする臆病な人たちは往々にして、怒っている人がいると、そち らの方に釘付けになって話を受け入れてしまいます。しかし状況を客観的に見ると、怒っている人だけが正しいとは言え ないこともあると考えるべきです。
中村氏の怒りは、周囲に対する憤りではなく、自分のテンションを高めるために、わ ざと敵を作っているだけ、と 思える話も耳にします。各種報道によると、中村氏は大学時、友人たちにわざわざ「絶交状」を出して物理学の勉強に没 頭したのだとか。日亜で青色発光ダイ オードの研究に入るときは、上司からの電話も無視したそうです。
中村氏をたびたび取材したアゴラ編集部の石田雅彦氏も、「日本で裁判を起こしたの は、自ら孤独な状況に身をお き、集中力を高めるための手段だったのでは」という見方を披露していました。中村氏の怒りの対象になった人たちも、 集中力を高めるためのダシにされただけ かもしれず、事実を踏まえない周囲が悪者扱いしてむやみに叩くのはやめるべきです。
上記からリンクされている両社の主張です。
日経テクノロジーオンラインよ り
日 亜化学工業 社長の小川氏の主張はこちら
中 村氏の主張はこちら
全部読んでも、やはりどちらの主張もうなずけるものがあり、益々、私の頭では判断がつきかねます。と言うか、訴訟何 て、両方に言い分があるから起こるのでしょうから当事者でもない第三者が判断すること自体がおこがましいのかもしれませ ん。
ここで思うのは創業者社長が生きておられたら展開もかなり違ったものになっていたのじゃないかと言うことです。労使 が信頼関係を無くせば紛争が果てしなく続くのは間違いないでしょう。
昔の、日本の家族的経営にはそうした争いを少なくする素晴らしさがあったような気がします。現在の西欧かぶれの自分 の任期の間だけ何とかトラブルなしでやろうとするようなサラリーマン社長ではこうした問題を解決することはできないの じゃないでしょうか。
グローバルスタンダードに踊らされた現在の従業員を大事にしない日本の企業経営の未来は暗いと思うのは私だけでしょ うか。
この部屋を始めた頃には日本の古い経営を批判していた私も、ネットで日本の素晴らしさを知ることで大分変ってきまし た。
日本の良さを取り戻すべき!