GHQと戦後利得者達の企みで日本の歴史教育が年代を覚えるだけの無味乾燥な授業を受けさせられました。
あれ程、面白くない授業は無かったのかもしれません。もし、昔ながらの教育を受けていたらもっと日本にも世界にも興味を持ったのじゃないでしょうか。
こんな教育が未だに続けられているのは余りにも情けない。これも、こうした教育を受けた優等生達が日本のリーダーになっているからでしょう。
そんな教育の世界で罷り通っているおかしなことをねずさんが教えてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/07/19
ソースを示せ、 出典を示せ
・・・略
一般に、学校での講義は、講義をする教授が主役であって、生徒はその教授から「教わる」というスタイルになっています。
けれど社会人の学習は、教わることに意義があるのではなく、それをきっかけとして、自己の生活に役立てる情報を得るところに あります。
学習のための学習なら、それはなんの役にも立たない、ただの趣味でしかありません。
たとえば、歴史上に登場する有名武将の烏帽子には、桜の花の模様があしらわれていた、という事実をいくら知っていても、我々 の実生活にはなんの役にもたちません。
けれど、それが、
「どんなときにも、激しい戦いのさなかにあっても、桜の花を愛でる心を失わない。そのために桜花をあしらい、そんな武将だか らこそ、部下たちは命がけでその武将とともに戦った」というストーリーになると、それは、「自分もまた、常に心に桜花を置こ う」といった、自分の生活に役立つ情報になります。
イザナギとイザナミが、オノゴロ島を創ったとは、日本神話にある物語ですが、単にそれだけを知っていても、我々の実生活には なんの役にもたちません。
そうではなく、イザナギとイザナミは、「よろこびあふれる楽しい国」を築こうとしてオノゴロ島を創ったのだ。この世界は、だ から本来「よろこびあふれる楽しい世界」として神々が築かれたものなのだ。だから自分も、よろこびあふれる楽しい家庭、よろ こびあふれる楽しい会社、よろこびあふれる楽しい社会を築くことができるよう、立派に貢献していこう!という決意になったと き、はじめてその情報は、我々の社会の役に立つ、我々一人一人の人生の役に立つ情報になります。
要するに、学ぶ側、情報の受け手の側が主役なのです。
情報の送り手は、あくまで情報の受け手に奉仕する役割でしかありません。
そして社会人としての学びは、誰が何を言っているのかにあるのではなく、自分が納得でき、腑に落ちることを用いて、自分の頭 で考えることにあります。
そういう機会を、皆様と共有していく。
それがいちばん大切なことなのではないかと思います。
みなさまが主役!です。
やはり、正しい国家観と歴史観を教える教育の復活こそが日本再生のカギを握っているのは間違いない。
それに挑戦しない政府・自民党には存在意義はない。