明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



10時にS社の編集者と待ちあわせ背景の撮影。画としては体格の良い男が怒っている図である。背景には男の怒りの矛先である悪い連中がいる建物を配しようというわけだが、特定の建物では具合が悪いし、案外見た目がただのビルで、画としてはどうもピンとこない。そこでいっそのこと誰でも判る建物に決めた。決めたのは良いが陽の向きが良くない。午後もう一度撮りに来ることにして編集者と別れる。 風濤社に行き製本前の印刷された物を見る。編集者が印刷に立ち会った効果がでていて安心する。明日、いよいよ製本された物が届く。一ヶ所用事を済ませ、食事の後、ふたたび撮影場所に戻る。撮影ポイントはどうしても横断歩道の途中しかないので、青信号のたび、いったり来たりして撮影する。終了後、例によって来た道を戻るつもりが違う道をいってしまう。しかしおかげでもっと良い撮影ポイントを見つけた。方向音痴も100回に一度くらいは良いことがある。あとは主役を完成させ撮影し合成する。安心して飲酒に耽る。 当ブログ常連の酔っぱらいエピソードもあったが、出版に向け、差し障りのある人物のことは書かない。まだ明るい永代通りをヨロヨロ蛇行する様を、携帯のムービーで撮影したので、後日思い知らせてやろう。

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雷鳴が轟き開けっぱなしの窓から雨の音。今日は撮影前に河童を霧吹きで濡らす必用がないなあ。と思いながら目が覚める。 携帯電話を見ると画面が暗い。どうやらまた液晶画面が壊れたようである。うっすらとヒビが見える。朝目が覚めると携帯が壊れていたり眼鏡が踏みつぶしたように潰れていたり、溶けたアイスクリームが頭にくっついていたり、特に顕著なのが酒類の蒸発である。こういった怪奇現象が続くようならお祓いを考える必用があるかもしれない。 11時にビジネスホテルの喫茶店へ。単行本の表紙の打ち合わせ。今回は著者のご指名ということらしい。変身するヒーロー物だが、マントを着けて逞しい肉体に変身するが、身なりは案外普通のようである。帰宅すると、自分の作った人形を撮影するが、上手く行かない、という方から質問のメールが着ていた。 現場に人形を持っていって撮影しているそうだが、現場で撮影するにしろ合成するにしろ、いくつかポイントがある。足許が写っていなくとも、現場の地面に立っているように見えなければならないが、ちょっとした角度の違いで台の上に乗っているように見えてしまうか、または地面にめり込んでいるように見えるか、見る人には背景とのバランスで経験上判るものである。この辺りを無頓着な人が多く、合成の場合は特に、背景写真がありさえすれば、いくらでも人形を配することができると思い込んでいる。私は片手に人形、片手にカメラで現場で三脚を使わず撮影して来たが、取りあえずはその方法はおすすめせず、人形を固定して撮影するようお伝えした。使用するレンズの画角と背景の距離によって条件が変るが、これはメールでお伝えするのは少々難しい。 合成する場合は背景に当たる光と人物に当たる光。一緒であれば間違いがない。もちろん背景との距離によっては必ずしも同じ光りである必用はないが、同じでない理由に説得力がなければ“木に竹を接いだような”違和感が目立ってしまう。そんなことを気をつけながら撮影しているので、あとは“切って貼るだけ”でおおよそ済むわけである。

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撮影  


2時半に出版社へ。本日は社内で著者を撮影する。背景はすでに決まっているので、背景の光の具合に近い撮影場所を、事前に携帯で送ってもらっていた。私の画像の合成は、背景と被写体の光りさえ合わせれば、あとは切り抜いて貼付けるだけであり、撮影時の光線状態の選択ですべて決まる。 画面の中に革の旅行鞄を使いたかった。ヤフオクで私が選んだものを出版社で落札してもらった。常に自分で入手していてガラクタで溢れているのでこれは助かった。今後の撮影に使えるというものならまだしも、1カット以外に使い道がない物がほとんどなので困る。 ロビーで鞄をチェック。三越製の作りの良い旅行鞄でイメージにぴったり。送料込みで2000円だそうである。著者がみえ挨拶の後、撮影意図など説明させてもらっていると、鞄を非常に気に入られたようである。心配といえば、これは私のイメージではない、という展開であったが、撮影後は著者のもとへ行くことになった。これで今日は上手くいくことが約束された。 わざわざこのために来ていただいた著者に予定の位置に立ってもらい撮影。イメージが決まっているので数カットも撮れば良いのだが、それでは編集者も不安に違いない。せっかく来ていただいた著者も、あっけなさ過ぎるであろう。わずかなポーズの違いを二カ所で撮影した。 帰りの電車内、そういえば著者に肖像画の件を伺うのを忘れていた。携帯で編集者にお願いした。もう頭部はできているので、今更あの肖像画が本人を前に描かれたものかどうか、などどうでも良いことであるが、検死官のように穴の開くほど資料をみつめ、資料から某かの声を聴きだそうとした私としては知りたい。後日調べていただけるそうである。

ギターのピックアップ(マイク)を、よりジャズ調のトーンのものに換えたくて、ネットで探していると、とんでもない小僧をみつけた。知っている人は知っているのだろうが、私は始めてみて唖然としてしまった。スロバキア人。Andreas Varady2010年当時12歳。 生意気によそ見なんかしやがって。あと数年もしたらブルーノート東京あたりで、客席の娘に流し目を食らわしているに決まっている。 小僧!オジさんにギター教えて。

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肖像  


制作中のロシアの文豪は、残された写真はそれほど多くない。ないならないで、後から決定版がでてこなければかまわない。 十字路で悪魔と契約したという伝説のブルースマン『ロバート・ジョンソン』はかつては写真が存在しない、ということでアルバムジャケットはイラストであった。ところがついに発見と、雑誌に1カット掲載された。ある日の飲酒後、我慢できずにホンモノかどうか、夜の十二時過ぎに編集部に電話をしたら、編集者がでて「そういわれてます」。さっそく制作を開始した私であったが、当時は実在の人物を資料を見ながら作る、ということはほとんどしたことがなかったし、その人物がどうも風采があがらず、ロバート・ジョンソンというわりにもっさりしていて盛り上がらずしなびた。それは結局ガセネタであった。もしあのまま、どこの馬の骨だか判らない、ただの男を完成させてしまっていたら、私は3回は繰り返しここで恨みごとを並べていたであろう。 それにしてもこのロシア人。自主的にカメラの前に座っているように見えない。腹の中を悟られないよう、レンズではないところを見つめ、別のことを考えているように見える。そのせいか口が開いてしまっている。 立体の場合は、ひとたび作ってしまえば、どの方向からも撮影ができる。どうせなら写真が残されていない方向から撮りたい。見たことがないからその人に見えない、という危険はつき物であるが、その肖像は撮影したカメラマンが選んだ表情である、という意味で、作る方としては面白くない。 資料でもらった写真の中に、絵画が混ざっていたが、そのうちの1カットがリアルに描かれていて、リアルに似ていない。リアルであるほど、写真で残っていない角度を描くのが難しいのは当然であろう。これを見てかまわず撮ることにした。いっそのこと流し目にしてやろうか。

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主役の河童は、90センチから小さい方には、いくらでも縮むようである。その特徴を利用し、雨に濡れた草花の間にでも置いて撮影する予定である。房総で真っ先に撮るはずが、晴天続きで後回しになってしまった。そうしたカットや、イメージカットの様な物をのぞいて、ほとんど合成を使っている。着物を着た素人劇団のみなさんをゾロゾロ引きつれ、旅館に設定した場所や、ジャブジャブと海に入ってもらう訳にはいかない。そもそも河童に化かされて踊るので、人目のあるところでは無理である。 そんなわけでモニターの前で画像加工の毎日であるが、これが独学も良いところで、普通はやらないであろう使い方をしているようである。 しかしいい加減ではあるが『どこでも血だらけにする方法』を考えたし、今回も一つ考えた。 旧いレンズを使わなかったのは、レンズの個性的なボケが合成に邪魔になるからであったが、河童などの異界の連中を撮影するのに、どうしても怪しげなレンズを使いたくなった。案の定合成には不向きであったが、すこしでも改善するよう、色々やっていて、その中の一つの方法が、主役と背景の光線のズレを軽減することに気がついた。撮影する時は、主役と背景に当る光線の方向、質をできるだけ近い条件にするわけだが、影のため方向は無理でも、質に関しては、かなり歩み寄らせることができる。もちろんなんでもかんでも、という訳にはいかないが、おかげで別の機会に撮影した手持ちのカットが、かなり流用できることになった。

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今日を逃したらいつになるか。前回は雨降りを選んで出かけたが、いつまでたっても明るく、夜の室内のはずが外光が入り白熱電球の光と混ざり、修正で苦労をした。それもそのはずの夏至であった。光の質はともかく、曇天のフラットな光でさえあれば良い。 2時過ぎに某所に到着。今回は前回より室内の条件が良い。再撮を考えないでもなかったが、無理をした分不自然ではあるが、そのかわり私の念がこもっている。そちらを採ることにした。 前回、フレアーが多い、と開放から絞ったら、よけいフレアーが出て、誰か七輪でサンマでも焼いているのか状態で呆れかえったレンズ。しかし現像したら美しい描写で、久しぶりに旧いレンズを使うきっかけになり、乾燥した空気に湿気を与えてくれた。苔を撮ると実に美しい。こんな被写体を選ぶレンズも少ないであろう。 作中、女顔のみみずくがとまるのが杉の木である。立派な大木を随分撮影した。しかし帰り際、なにげなく名札を見たら『サワラ』と書いてある。見るとどれもこれもサワラばかりである。「紛らわしいもの生やしてんじゃない!」。撮影が終わると夕焼け。天候に対する運の悪さ、解消したようである。 今回の撮影時にうかがうつもりであった、旧知の十松さんが昔住まわれた住宅を改造して始めた画廊。オープニングの林静一展は昨日終ってしまい、今日は休廊日である。住所も電話番号も控えてこなかった。しかしこの調子では次いつになるか判らない。展示換えでもしていれば顔だけでも、と国立へ。凡その方向とタリーズという店、外観の記憶だけであったが、たどり着いた。超がつく方向音痴の私としては奇跡といえよう。丁度展示換えが終ったところであった。

ギャラリービブリオ 9月20日~10月9日林静一現代児童画展『子供と本と四季』

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制作中の鏡花作品は、人間界と異界、その中間で構成されており、人間界は異界とのコントラストをつけるため、と合成が多いため、味はないが、鮮明に(見える)今のレンズ。異界はコントラストの低い怪しい旧いレンズ。と色分けするつもりである。先日の小雨降る中の某所の撮影では、主に人間世界の背景を撮るつもりで今のズームレンズを持っていった。それともう1本。テストを兼ね、いつ買ったか覚えていない広角レンズを持っていった。所有するなかでは使った記憶が僅かなので駄目レンズ(妖怪撮るには良いかも)のつもりでいた。 普通、絞り開放で画面に表れるフレアは、絞ると減るはずだが、このレンズはどういう訳か絞ると余計に出てしまう。ファインダーの中は、ただでさえ低いコントラストなのに、サンマでも焼いてるような、ほとんど白煙に覆われている状態である。これは無理、と開放のみで一応撮っておいたが、このレンズで撮ったのは、全体の八分の一程度であろう。フィルムだったら、さらに撮らなかった。 しかし帰宅後RAWデータを現像してみると、このレンズの柔らかな立体感に驚いてしまった。おかげで今時のレンズのカットから、必用な数カットを選んだ後は、現像する気がなくなってしまった。 この厄介なレンズは画面の湿度が凄く、河童には最適であろう。 合成作品がほとんどとなった今。レンズの味。いわゆるボケ味が邪魔になる。と思い込んでいたが、いやおそらくそうであろうが、今回はそんなレンズを使っての合成を異界の者共で試すつもりでいる。上手くいくようなら、コントラストとお体裁だけは一人前の、今のレンズを使わずに済む、というわけである。

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朝、久しぶりにT屋に朝食を食べに行くと、Kさんが、私が部屋で倒れているんじゃないかと心配した、という話を、ここにも報告に来たらしい。前日夜中まで一緒に飲んでおり、実質、半日携帯電話に出なかっただけである。もし私が実際死んでいたとしても、まだフレッシュで腐敗も始まっていなかったであろう。しかも肝腎な私の部屋のチャイムを鳴らす前に、周囲に電話してしまうは、管理人の所に行くは。あげくに無事を確認して涙が出たとは。勝手に泣いてろ、という話である。呆れるのも少々飽きてきた。

撮影用の血糊を注文する。血糊といえば、江戸川乱歩の『盲獣』の撮影の時、ペットボトルに絵の具を溶いた物を用意して雪を求めて撮影に行ったが、イチゴのカキ氷にしか見えなかった。リアルにすることが目的ではなかったので、最終的には血糊を消し、切断された足先が、積もった雪の間から覗いているだけにした。 絵の具でなくインク系の物を使うとか、やりようがあるだろうが、メーカーは血糊に見えるよう研究しているだろうし、安い物なので一瓶注文してみた。私は独身である。入浴の際、鏡の前で鼻や口から垂れ流したり、プロレスの流血試合風に額から大流血してみることも、我慢する理由がない。三島由紀夫は血糊はマックスファクターだか何処かの何が良い、といっていたらしいが、どうせなら三島と同じものを使いたいではないか。証言者は肝腎なことを覚えておいてもらいたい。  Kさんは酔っ払ってコタツの角に額をぶつけて大流血。旗本退屈男を超えるトレードマークを額に刻印した。しかしよく四十七文字の中から“へ”を選んだものである。Kさんこそ“持っている男”といえるだろう。畳の血痕は消えないらしい。

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朝、オークションで落札したアナログカメラ用300ミリレンズが届いたので、上野動物園に撮影に行くことにした。鏡花作品出版に向けて1回目の撮影である。舞台が梅雨時であるので、曇り空は丁度良い。動物はほとんど合成になるので、影がないのは好都合である。影があると方向ができてしまって、背景を選ぶことになる。 こんな時には昼間から酒飲むより良いだろう、とKさんを誘う。木場のヨーカドーで食事をして出かける。 上野動物園は、『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎/絶版)の中の『目羅博士の不思議な犯罪』で冒頭の動物園の猿山のシーンを撮りに来て以来である。乱歩は作る側からいえば、イメージを喚起する力が強くて、やってて実に楽しかった。荒唐無稽なシーン。例えば女の切断した脚を風船で浅草寺の上を飛ばしても、だってそう書いてあるんだから、と愉快であった。 今回は鏡花であるが、動物園に到着早々、難問にぶつかる。犬猫ならともかく、鏡花作品に出てくるような山に住む獣類は、ほとんど夜行性である。昼間は穴から出てこないではないか。ない物は撮れないのが写真最大の欠点である。私は向田邦子に猫を抱かせて以来、毛のある物には懲りて、植村直己では本物を使った。ないなら作ろうという気にはなれない。しかし植村直己は本物の毛を使ったせいで、逆に植村本人の粘土製の髪に違和感が生じ、同じマンションに住む人に私の髪を撮ってもらって貼り付けた。本末転倒とはこのことである。 ミミズクを撮りに行くが、こいつも寝ていやがる。Kさんは鹿児島で子供の頃、フクロウがいる穴の中に竹竿を突っ込んだら、フクロウが竹竿に乗っかって出てきたという。Kさんはホラばかり吹いているが、動物関連だけは嘘をつかない。 歩き疲れてしのばずの池を眺めながらビールを飲む。すると、食べ物を狙ったカラスが1羽。カラスは警戒心が強く、難問だと考えていたが、あっさり撮影に成功。動物園にわざわざ出かけて収穫はカラスというお粗末。

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コーナンに材料を買いに行くついでに、所有しているなかでは、エース級の変態レンズをデジタル一眼に着けて出かけた。最近は合成ばかりで、レンズの味が邪魔になるので、この手のレンズを持ち出すのは久しぶりである。 せっかくの晴天だが、ロクなことにならないのは判っているので、光のあるところにレンズを向ける気はなく、撮影するのは日陰だけである。東ドイツ製のこのレンズ。やはり日陰で撮るとコントラストが低く、陰鬱に写る。すでに梅雨入りしたかのようである。 買い物を終え、家々の玄関先に咲く紫陽花などを撮りながら帰る。花によっては花に申し訳ないくらい色が変である。 富岡八幡の境内で、木の根元の葉っぱを撮った時であった。この変態的駄目レンズが、突如やる気を出した。出来の悪いのが80点出すのと、もともと出来の良いのが80点出すのとでは、点数に表せない部分で美しさが違う。特定の極せまい条件の元では、120点出すことも可能であろう。かくいう私自信がせまい条件のなかで、日々ジタバタ暮らしているので、妙にツンと来た。桜田淳子的にいえば、“このレンズは私です”といったところであろう。 昨日に続きタイトルを変態的レンズ2とするつもりが、私です、といった手前、変更。

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ヤフオクで撮影用小物を落札。たった1カットのために。またしても撮影終了後、どうしようもない物が届くことになる。妙な物を欲しがる人がいるから、競ってしまったではないか。こんな物どうしようというのだ?(先方でもいっているだろう) 今まで出品したことはないが、こうガラクタが増えてくると考えた方が良さそうである。 

入梅後撮影に入る予定で、持って行くレンズを選んでいる。先日も書いたが、ウ○コ撮るのに、何も美味しそうに撮れるレンズを使う必要はない。今回の対象は、気持ち悪いのが本業ともいうべき妖怪である。ヘンなレンズを使うべきであろう。試しに手持ちのかなりなレンズを使い、妖怪の目玉の向きを按配し、恨めしげな表情で撮ってみたら。Kさんと飲んだ後別れ、その後私が一人でどこか飲みに行って、自分だけ楽しく過ごすんじゃないだろうな?と大通りの反対側から私をジッと見てる。そんな怖い感じに写った。こんな時隠れているとコソコソ追いかけてきて、私のいない店に入っていく。  さらに今回、海外でも評価ボロクソのスペシャルレンズをEbayで落札した。凡そこの手のレンズは安価なカメラの標準レンズで、まず映ることが肝腎で、あとのことはとりあえず、というトリプレットタイプのレンズに多い。「こんなレンズを発売したら、我々には世界がこんな風に見えていると思われてしまうじゃないですか!」「ニッポン人ならともかく、我が国には、そんなこと気にするユーザーなどおらんよ」。 何が良いといって、おかげで価格がスペシャルに安価なことである。売るほうも判っていて。Buy It Nowで即決である。

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一日  


『潮騒』の宮田初枝、監的哨焚き火のシーンも無事完成。レンズを壊してピンボケ気味であったが、それでかえってよかった。こういった事故も積極的に取り込んでいく。合成が主になっていて、ある程度思い通りになるので、こういう不測の事態は大事にしなくてはならない。人形とカメラを手持ちで撮っていた時代も何か起きないかと、そればかり考えていた。ツールとしての写真の、私が評価しているところはこんな所にある。 初江役のAちゃんは撮ってみるとそのたびに表情が変わり、そこが面白いのだが、人の形に関して専門であり撮った私がみても海女小屋、海辺、監的哨、それぞれ顔が違う。こんなことは始めてである。3人撮ったといっても通るかもしれない。しかしお母さんに確認するとAにしか見えないというから面白いものである。
名古屋にいるKさんからは頻繁にメールが来るし、泥酔して、ほとんど何いっているか判らない状態で電話がきた。明日は福井に行く、といっていたかもしれない。行きつけの店の店長にいわせるとKさんは“2、3日いないと静かで良いが、一週間いないと寂しくなる”そうだが、まったくその通りである。つまり今は静かで実に過ごしやすい。

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延び々になっていた『潮騒』のヒロイン初江の撮影。準備をして初江役のAちゃんの実家へ。こちらの屋上で撮影することになっている。太陽ができるだけ真上に近い間に撮りたいが、Aちゃんが遅れるというので、長くなりつつある影を気にしながらお父さんと時間を潰していると、ようやく到着。ところが髪を切ってヘアースタイルが変わっていて慌てる。この動揺が収まるまでしばらくかかった。さらにズロースを忘れたというのでAちゃん自転車でヨーカドーへ。その間にAちゃんのお母さんの案内で屋上へ。水を撒きバケツに水をためる。本日は水掛役をお母さんにお願いしている。準備完了ということで、色々な場面を想定して撮影。あれだけ立ち会うといっていたお父さんは口ほどにもなく、どこかへいってしまった。想定していた海女のシーンは撮影完了。一度帰ってデータのチェック。夜7時半に、今度は夜の監的哨のシーンである。一階が店になっているので、机、椅子をどかして準備する。苦労して探した昔のシミーズ姿で再び水を浴びるAちゃん。昼間と違って今度は何故か父親が厨房の影に立っている。実に邪魔である。しかもそこはAちゃんの様子がまったく見えずに、撮影する私だけが見えるという、まったくなんのためにそこにいるのかわからないポジションである。父親の顔など見たら士気に影響がでる。一瞥もくれず開始しようとして、手が滑ってカメラを落としレンズが壊れる。マニュアルで撮ったが暗い中、合焦マークはでるので撮影を続けた。 終了後、私がレンズを壊したのはこの親父が厨房の影から妙な念を送ったせいだ、と内心思いながら二人で『釣りバカ日誌』を見ながら飲んだ。帰宅後チェックするとほとんどピンボケであった。まあそれはそれで良い。暗い焚き火の灯かりである。

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昼頃撮影にでかける。2001年の創元推理21『渡辺敬助/温』特集号を読んでいて地下鉄を乗り過ごす。外の景色の変わらない地下鉄に乗っているとよくこれをやる。一番ひどいのが中井英夫で、乗り過ごしたと思って乗り換えて、また乗り過ごしたことが二度あり、この時は途中で降りてベンチで読み続けた。しかしおそらく中井英夫よりひどいことになりそうなのが泉鏡花で、よって初めから地下鉄などでは読まない。 今日は和綴じ本を制作する人と会うことになっていたのだが、幸い連絡待って出るつもりだったというのでセーフ。見本を見せてもらい和本、それを収める帙、共にイメージ通りであった。 撮影はというと、ここは江戸川乱歩の時に散々撮影した場所だが、建物はそのままでも窓が無粋なサッシに変っていた。今回はむしろ窓が必用だったのだが。 帰宅後K本の常連Mさん、ご存知Kさんの誘惑を断わって画像制作に集中する。Kさんにはすでに昼の時点で今日は飲まないといっていたのだが、零時過ぎにもう一度焼肉屋にいるので、とメール。これが丁度山を乗り越え頂上で万歳しているときであった。朝から飲んで、ヨーカドーで涼んで、風呂屋を探しまた飲んで、と冷房の効かないアパートに帰りたくないKさんの、ロレツの回ってない話を聞いていると、一日忙しく仕事しているように聞こえる。時間を一日潰すのもたいへんである。あとはコピー&ペーストで済ませたいような内容なので書かずに終る。

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多少湯を足した水を入れたバケツを屋上に運び、海女役のHさんを待った。房総で撮影した背景は、太陽が真上に近かったので、凡そ、その時間である正午過ぎに撮影しなければ背景に収まらない。昨日同様、午後から天候急変の可能性があるという。久しぶりだというのに挨拶もそこそこに、さっそく磯着に着替えてもらう。ひしゃくで頭から水をかける。そういえばしばらく父の墓参りに行っていない。こういう作業はあまり客観的になってはいけない。まして私はいったい何をしているんだろう、などと考えてはいけない。電車に乗ってやってきて、海女の格好をして頭から水をかけられているHさんの立場がない。Hさんは海女の格好ができたことを面白がってくれているので、こちらとしては大変有り難い。 Hさんと会ったのは、私が初めて写真作品を発表し、ジャズ・ブルースシリーズ最後となった個展会場であった。黒尽くめでヴェロニカ・レイクばりのハーフカーテン、つまりロングヘアーで片目がが隠れるというスタイルで現れ、まるで『さそり』もしくは『スケ番』シリーズに登場する東映女優のようであった。一応いっておくが、これは口を極めて褒めている。だからというわけではないが、私の“海女物”に登場いただいたというわけである。撮影してみると所作が着物を着た女性のようで少々優雅すぎ、田舎の労働する女性感に欠けたが、これは白い肌を真っ黒に日焼けしてもらうことでカバーすることに。 無事終了し、お茶を飲みながら今後の構想などを話し、次回“尼物”があったらよろしく、と幼稚園に娘を迎えにいくという彼女を見送ったのであった。

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