明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

完成  


名残惜しいが完成してしまう。デザイナーにデータを送信し、田村写真に色見本を作りに行く。ずっと使っているフィルムスキャナーの精度に問題があり、印刷するとその欠点が強く現れるようである。どうしても最後に修正が必用になる。デジタルデータを合成するという最近の方法だと、フィルムで撮る意味があまりない。今回デジカメを部品を撮るため使ったが、やはり便利である。急な思いつきに対処してくれるし。いよいよ考えなくてはならないだろう。 しかし一方合成はせず、人形を左手に握り、右手にカメラを持って街を行く、かつての手法も捨てがたく、機会さえあれば、とは思うのだが、あまりにもカッコが悪く、誰かに横にいてもらい、横のこの人に依頼され、しかたなくやっているという事情があるんです。という演技プランを立てないと恥ずかしくてやってられないし、これからは、いいたいことを詰め込むために、人形のサイズが一回り大きくなる可能性があり、そうなると人形を持った左手を、国定忠治の刀のようにささげ持ち、遠近感を按配しながら撮影する方法は、体力的にきついだろう。だいたい最近肩のあたりに違和感があり、これが例の痛みか、などど感じている昨今、なおさらである。いずれにしても来年に向けて、考えなければいけないことは沢山ある。

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撮影  


朝食にT屋へいくと、主人のHさんが早起きしていた。昨日はKさんが朝から昼過ぎまで、ベロベロに酔っ払っていたそうである。Kさんとしては、昨日の件の真相を知りたいと粘っていたようだが、Hさんによると、酔っ払ったKさんに呼び出されたが、彼女が来るというので、遠慮してすぐ帰ったそうで、とんだ濡れ衣であった。昨日はHさんの名前が出ただけで、Hさんの奥さんも私も、騒動の元はHさんだと思い込んでしまったが、それもこれも、日頃の行いのせいである。そもそもKさんの彼女というのも、Kさんの思い込みらしい。
本日はアダージョ用背景の撮影である。三脚、ライトその他かついでタクシーで向かう。40年前、鹿児島から出てきたKさんが、裸足で歩いて銀座に向かった辺りである。撮影場所は某店室内。現場を実際にはまだ見ていないので、ぶっつけである。今日はライターのFさんにサポートをお願いした。撮影準備をしていると、店の方が床の間の掛け軸の前に一輪の椿を置いてくれた。これにより方針が決まり、ああだこうだと撮る必要がなくなり、障子紙を破くこともなく、予定より早く無事終了。詳しいことはいえないが、今回は準主役ともいうべき被写体が入っている。帰りにFさん、某被写体と、どこかでビールでも、という話が出たが、未だにフィルム撮影の私は現像を終えるまでは気が気ではなく、楽しいことなどすると、その分、何かか減るような気がするので、お茶だけにして現像に向かった。 今日の作品は来月25日配布号だが、実質新春号である。それには相応しくなったような気がする。

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背景  


12月配布のアダージョはアイディアを3つ考えたが、人を4人配する案は、先方のスケジュールその他により断念。4人揃わないなら意味がない。  三島号では山本キッド選手に登場してもらったし、太宰では、酒も煙草もNGなので、知人の女性に登場してもらった。小津安二郎の場合も、佐田啓二の代わりに息子の中井貴一を、と考えないではなかった。小津が佐田にしたように、中井を演出する小津。考えただけで面白い。しかし仮に先方の了承を得ることができたとしても、小津の言葉に耳を傾ける中井貴一を先に撮影し、それにあわせた小津を作らなければならない。今のところアダージョは、ひとつが終る頃、次の特集が決まるので、前もって制作に入ることが出来ない。人形制作から写真撮影、合成作業まで1人で行う私には無理ということで、ものいわぬ赤いヤカンとの共演ということになった。 というわけで、そろそろ特集場所にロケハンに出かけ、二つの案のどちらかに決めなければならない。私の撮影は、人が来ると慌てて物陰に隠れる、ということはしょっちゅうであったが、交通局のフリーペーパーとなれば、正々堂々、公明正大でなければならない。その代わりポケットに入り、シャッター音が小さいカメラを、などと気にする必用はない。
『大乱歩展』の会場写真を2点アップ

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久しぶりにオリンパスXA4を引っ張りだす。85年発売、広角28mm。これは江戸川乱歩シリーズを制作していたた当時、ヤシカエレクトロ35各機種とともに、おおいに活躍してくれたカメラである。ピントこそ目測だが、しっかり写り、シャッター音も小さく、30cmまでの近接撮影が可能である。『大乱歩展』展示中の『D坂の三人書房』も、それを構成する百数十カットのうち、おそらく3分の1はXAで撮ったものである。 ヤシカエレクトロ35は電池が現行の物が使えない機種が多く、アダプターを使う必要があったり、壊れたら修理をするより、数千円で中古を入手する類のものであり、使うには多少覚悟が必用であったが、発売当時、床に落としても壊れないと、その信頼性をアピールしただけあって、撮影中壊れることはなかった。各社大口径の明るいレンズを競い合っていた頃の製品であり、たいていの場面で手持ち撮影が可能である。むしろ心配なのはしまいこんでいた場合で、一台ずつテストしながら現役に復帰させることにする。  発表が可能か未定の連作、結局単なる徒労に終る可能性も大きいので、詳しいことは書かないでおくが、10点前後の連作を予定している。しばらく背景用に、XAを持ち歩くことになるであろう。しかし思えば、このハードな?連作に着手する決心が付いたのも、『中央公論Adagio』の表紙を手がけ、『乾物屋の親父と火星を歩く』でも作れそうな気になったからであり、開始時期は、内藤三津子さんにお会いしてからと決めていた。

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以前も書いたが、ビートルズのサージャントペパーズのジャケットのように、今まで作ってきた人物を1画面に集合させてみたいのだが、どんな背景にしようかと考えるうち、未だとりかかれていない。作っては画面に継ぎ足していければと思うが、撮影するたび、同質の光を当てていかなければ、同じように収めることはできない。私が乱歩の『盲獣』で制作した、盲獣の餌食になった女性達は、新しいものと一番旧いものとの間に20年近い開きがあるが、たまたま同じ部屋で、同じような条件で撮影していたおかげで、ネガを引っ張り出して合成できたのである。よって過去の作品は、たとえ写真が残っていても、条件が合わなければ合成はできない。その場合はしかたがないので、撮影日に欠席した同級生のように、楕円形に貼り付けるしかないだろう。
これは自分の楽しみとして作ってみたいのだが、たとえば私が死んだ時に、大きく引き伸ばしてもらい、それを見ながら「こんなものばかり作って死んじゃったよ」などと大笑いして、大いに飲み食いしてもらう趣向もいいのではないか。しかし一方、生前呆れられたり笑ってもらう分にはいいのだが、死んだ後笑われるというのはどうなのだろうという気もする。だったらいっそのこと、参加者全員を悲しみのどん底に突き落とすような企画を用意しておくのも良いだろう。そう簡単には思いつかないが、私の経験では昨日まで元気だったのに、というのが一番こたえたが、それは私が厭である。とりあえず蛭子能収のように、人の葬式で笑わずにいられないような人物は遠ざけておきたい。  外を吹く強風に流されたか、書き始めには思いもよらないところに着地した本日の雑記であった。

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入稿  


杖突いて腰の曲がった婆さんの、色を塗り替えて変えて再撮。10カットも撮れば十分なので、昨日撮り終わり、すでに背景の中で婆さんを待っている主役を、フィルムがもったいないから撮ってみたのだが、現像から上がってみると昨日より良いので、主役も入れ替える。  昨日すでに気付いていたが、どうも婆さんは予定の位置と逆側の方が良いような気がしてきた。ところがどうせ写らないし、展示の予定もないので、写らない部分を作っていない。こんな場合、ここからしか撮らないと確信しているので、1センチも動かせないほど裏側は作らないのである。こんな時の私は非情である。というわけで、反対方向から撮るというわけにはいかず、急遽画像を左右反転。腰が曲がっていて隠れるので、着物の襟も作っていない。裾の合わせ目だけを左右を修正して無事収まる。始めに浮かんだ構図が、ほぼ最後まで変更なしで行くことがほとんどなので、最後に左右の配置を換えるなど、初めての経験だが、作りながら、ああだこうだやった分、愛着も湧いてきている。私の場合、始めに浮かんでしまうと、後、いくら考えても駄目なので、たまにこういうことをすると、妙に楽しくはある。画像の統合、微修正を残し、軽いJPG画像を作ってアダージョ編集長他、関係各位に送信。本データは朝までにデザイナーにお送りします、と言残し、シャワーを浴びてK本に直行。キンミヤ焼酎で腹腔内をアルコール消毒。吉田類さんが来ていて、三重県のキンミヤ焼酎に取材にいった話を訊いたが、地元三重県では知られていないそうである。どういうわけか東京の、それも下町御用達の焼酎である。そうとう売れているわけだが、社長は質素で靴を2足しか持っていないらしい。自宅で飲む場合、面倒なのでどんな酒でも水も氷も入れずに飲むが、先日来、強烈な銘酒、与那国の『どなん』を飲んでいたせいで、いくら飲んでも物足りなく感じる。返す刀でT屋へ。消毒し過ぎ。

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完成したはずの首を作り直したおかげで連休の間も制作を続け、本日ようやく撮影。前号のアダージョの森鴎外と同じく、屋上へ上がる踊り場で外光を使って撮影することにした。上がってみると、見覚えのある三脚が立てかけられていた。鴎外以来、2ヶ月間置き忘れていたことになる。 いつも背景に合わせて人形のポーズや構図を考えるが、今回は難航したぶん考える時間があったので、撮り方はすでに考えてあり、36枚撮りフィルムが1本。5分もかかったであろうか。そういえば鴎外の時は入稿日の撮影であったが、集中するため、フィルムは1本しか用意しなかったのを思い出した。食肉用を流用するのだろうが、フィルムも牛から取ったゼラチンが使われている。少ない本数で終るにこしたことはない。などと私がそんなことを気にすることはない。 同じマンションのYさんからお茶を飲みに来ないかと電話。現像を待つ間お邪魔して、大画面でハイビジョンの大相撲千秋楽を観る。観客の表情が隅々まで見えるのが実に面白い。物言いがついた一番。Yさんに今の相撲は?と訊かれるが、その瞬間の観客の表情に目がいってしまって勝負を見ていなかった。またもう一番物言い。今度もまた。カメラを意識していない観客の表情を鮮明に見ていると、弱い相撲を見ているよりよっぽど面白いのである。さすがに朝青龍・白鵬戦は集中して釘づけ。朝青龍、なぜそこで万歳をする。けっして嫌いではないが、土俵がモンゴルの野っぱらと違うことが、どうしても理解できないようである。横綱とチャンピオンとは大分違うのだが。 モンゴル人は、ほとんど日本人と見た目は変らないが、この二人は、独特の額の形をしている。特に朝青龍の額が描くアールは他には見たことがない。というわけで、ハイビジョンのおかげで人の形ばかりが目に付いてしまうが、子供の頃から、私はこの調子なので、シルエット・クイズが得意だったのは当然であろう。 現像を済ませ、スキャニングをして最後の合成作業。老婆は色を塗りなおし、明日撮りなおすことにしたが、主役は無事、画面に収まったのであった。

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アダージョ用背景の撮影に出かける。 主役は少なくとも楽しそうではないし、さらに背後に迫る不気味な老婆では、都営地下鉄駅に置かれるフリーペーパーの表紙として、適切とはいえないのではないか。おまけに本日は不安げな曇天である。曇天に関しては、丁度空にトレッシングペーパーを張ったように硬い陰影が現れず、立体の撮影には好都合なのだが、不気味さを助長していることは確かであろう。当初は不気味な老婆といっても実物ではないわけだし、そんな物をわざわざ粘土で作って表紙にすることが可笑しいし、不気味なところがかえって面白いくらいに考えていたのだが、作っているうち、うつむいて顔が見えないところが思惑を超えて気持ち悪いような気がしてきた。今の段階では説明できないが、なにしろ顔をけっして見せてはいけない老婆であり、見せてしまったら老婆でなくなってしまう、という謎々のような存在なのである。 曇天や夕闇を避け、晴々とした爽やかな日差しを老婆に浴びせれば、ある程度は回避できるだろうが、前述の陰影の問題があるし、昼間の明るさが必ずしも怖さを軽減しないことは、江戸川乱歩の『白昼夢』により学んでいる。だがしかし、私はすでに奥の手を考えていた。現場の近所に住む従兄弟を呼び出し、ちょっとした協力を仰いで、“ソレ”が現れるのを待ち伏せることにした。待つこと30分。果たして“ソレ”は現れ、無事ファインダー内に収めることに成功した。これでおそらく、必用以上に怖くなることは避けられるはずである。

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2時間ほどしか寝ていないが、母が父の墓参りに行くというので、ついでに次号アダージョ用ロケハンに出かけることにする。特集人物が親戚の寺から200mの所に住んでいたというので、丁度出ていた散歩雑誌を持っていく。寺収蔵の快慶作と伝わる延命子安地蔵と、木喰上人の十一面観音像を見せてもらう。何処かにしまってあると思ったら、子安地蔵は開けっ放しで、法事のたびに奥に見えていたものであった。江戸時代に地蔵通りの名の元になったというのは散歩雑誌で知った。その奥に木喰仏。初めて真近でみる。母はこの後、一度家に帰った後、茨城の父の実家に泊りがけで行くという。外出したら済ます用事は一日に一件が基本の私に比べ、よっぽどアグレッシブな八十歳である。 従兄弟の副住職に、地元の人しか知らないであろう路地の入り口を聞いて散策に出かける。人がすれ違うのがやっとという路地から入る。奥は複雑に入り組んでいて、方向音痴にはとても無理。持っている地図も縮尺が小さすぎて私には役にたたない。取りあえずは、目星をつけていた場所にたどり着きカメラを構えるが、細い路地を携帯で写真を撮りながら歩くカップルや、何か美味しいもの食べましょ的女性の二人連れ、デジカメ親父が、行ったりきたりと引きも切らず。『お散歩ブームだか知らねえが、テメエラどいつもこいつも、いいかげんにしろ』と思っている私が、バッグにはお散歩雑誌、アダージョの“~を歩く”のロケハンなのであった。あそこのデジカメ親父も、私に向かって同じこと思っているに違いない。 寝不足もあるが、今日はあっちこっちの散策は無理と判断。改めて来ることにする。収穫としては、もう一人、私の手持ちの人物を共演させようと考えていたが、少々無理があるように思えてきた。そのかわり、脇役を別に作るという方向に傾いてきた。 早々に木場に帰り、K本で飲む。なにしろ肝心の首が完成しているとなると、こうして飲んでいても数日前とは気分は天と地である。

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一日  


今回アダージョ用に誰を作っているかは、どうも判りやすいが、いよいよ軍服を着た全身像の制作に入ることになる。軍服など初めて作るので、楽しみには違いないのだが、それにしたって猛暑の連休中に作るには、もってこいとはいい難い。グズグズ始められずにいて、団子坂周辺の古地図を検索していたら、三人書房が鴎外旧居跡より下にあると思い込んだのが間違いで、逆方向だということが判った。団子坂に面してもおらず、先日歩いた感じでは、坂というほどの傾斜は感じられなかった場所のようである。紛らわしくも三人書房に似た店が、坂下に向かうカーブにあったのは間違いないのだが。 そもそも、こんな場合、まず地図を調べることが最初であろう。地図を見もしないで、見た目で歩いていってしまうのも、方向音痴の私が、おかしな場所に迷い込む原因の一つである。なんとも呆気ない結末だが、だとすると、私の制作した三人書房に、坂の傾斜をつける必要はないかもしれない。こういう余計な作業こそやりたかったのだが。 しかし良いこともあった。完成していたはずの頭部が、どこか引っかかるものを感じ始めていて、グズグズしていた原因も、そこにあったようなのである。その引っ掛かりの理由が急に解明され、15分で見違えるできになった。もう大丈夫である。 改めて軍装の資料を眺めていると、私が『人間椅子』の内部に男が持ち込んだという設定で使用した水筒が、日露戦争の時に、陸軍に支給されたものだということが判った。その前はガラス製の水筒を使っていたようだが、アルミに茶色に塗装したものに替わったそうである。富岡八幡の骨董市で入手した。
以前新聞にも載った巨大な虹が、同じ場所に今日も。

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県立神奈川近代文学館、開館25周年記念『大乱歩展』画像をアップ。それにしたって“大”など付けて画になる作家など、そういるものではない。 使用された作品は、まだ立教大に所有権が移る前、ご家族がお住まいだった頃の土蔵内での撮影である。子供だったらぶら下ったり飛び下りたり、ちょっとしたジャングルジムになりそうな土蔵内であったが、後に、土蔵の乱歩の蔵書すべてに、子供時代に私がした悪戯描きだらけなことが発覚し、立教大関係者に詰め寄られるという夢を見た。 乱歩旧蔵の村山槐多作『二少年図』も出品されるようだが、以前、世田谷文学館の企画で、世田谷に縁がある作家像を、今の世田谷の風景の中で撮ったことがある。『二少年図』が寄託されていたので、ここでしか撮れない作品ということで、絵を背景に乱歩像の撮影もした。館長室の壁に作品を掛けてもらい、村山槐多作品を前に、片手に乱歩、片手にカメラの私は、いったい何をしているのだろうと思ったものである。期間も長いし、会期中は何度か足を運びたいものである。ついでに中華街にも行きたい。

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団子坂は、昔は海が見えたことから別名を潮見坂という。坂上の本郷図書館がある場所には、かつて観潮楼と名づけられた森鴎外邸があった。昔の東京は、ちょっと高いところに行けば、富士山が観えたり海が観えたり、随分風通しが良かったわけである。鴎外邸跡は、そこから200メートル程下ったあたりに、三人書房はあったらしい。乱歩は商売そっちのけで、田谷力三を応援したり、二階でごろごろしながら探偵小説について考えたりしていたようだが、鴎外が三人書房を覗いていたとしても不思議はない。 知人とメールをしていたら、某研究家が三人書房の写真が1枚ある、というのを聞いたという。私は見たことも聞いたこともない。もし存在するなら、乱歩のラフなスケッチを参考に再現する必要はなかったし、在るなら作らなかった可能性もある。半信半疑ながら確認せねばと、乱歩の生誕地、名張市在住の中相作さんに伺うと、やはり存在していなかったようである。改めて知人に問いただすと、酒の上の話の記憶違いだったようで、まったくくたびれ損である。 ところでこれは団子坂の写真だが、真ん中に建つ商家。私が作った三人書房とそっくりである。1階の屋根の上に掲げられた看板も、乱歩自身がデザインした凸型に見えなくもない。いくらか大振りな感じを除けば、全く同じに見えるのだが、これを見ては以前から妄想しているのである。

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自転車の16インチタイヤが届く。今まで16×1、25という細いタイヤを履いていたが、16インチという、幼児用自転車なみの小径で、1、25という細いスリックタイヤは、舗装道路こそ快適だが、段差を拾いすぎる。そこで1、5にサイズアップすることにした。抵抗は増えるが、その分安心感はある。  続いて神奈川近代文学館より、『大乱歩展』ポスター校正刷りが再び届く。画像が粗いのでは、という意見があったようだが、35ミリカメラで撮った5、6センチの乱歩の頭を、実物大以上に引き伸ばしているのだからしかたがない。私は、ピントはあまり気にしないタイプである。実在の人間に、出会いがしらにカメラを向けたなら、という雰囲気を大事にしたいからである。三脚立てて、ピントを気にしていたら、概ね、ただのお人形さんになる。私がカメラを始める前、仕事でプロのカメラマンに作品を撮影してもらっていると、スタジオで商品撮影のように撮るので、人形として正確に写ってはいるが、それ以上になかなか成らなかった。今回のポスターは、こんなに大きく引き伸ばすことなど想定していなかったが、ピントの甘さか手のブレか、はたまた旧いボロレンズのせいか、リアルである。ここまで拡大されると、乱歩も一人で大きくなったような顔をしていて、私が作った気がしない。大迫力に満足。 『大乱歩展』には乱歩像と共に、写真作品も展示の予定だが、『D坂の殺人事件』用に、乱歩が弟等と団子坂で営んだ『三人書房』も候補に上がっている。これは当初、雰囲気のある古書店に看板だけ換えて使おうと、HPでアンケートをお願いし、さてロケハンにという時に、貼雑年譜に載っていた、乱歩直筆スケッチの三人書房に気がつき、結局、それに乱歩の文章を踏まえながら、できるだけ忠実に再現することにした。書籍の印刷では判らないが、一つイタズラをしていて、ショウウィンドウの中には乱歩のサイン色紙とともに、『ドグラマグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』が飾ってある。  ただ一つ気になっていることがある。実際団子坂はかなり急な坂である。しかし乱歩のスケッチでは、そこまで表現されていなかったので地面は平らにしたのだが、考えてみたら、あの線描のスケッチでは、地面の傾斜まで表現できなかったであろう。出品が決まれば、店の前の地面に傾斜を付けるつもりである。もちろんどちら側に傾斜させるかは、調べた上で再現するのはいうまでもない。 アダージョ用人物、着せるべき軍服の詳細も判明し、肝心の頭部の制作に集中する。

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先日『私の思いに気がついてくれる人が、どこかにいるに違いないと考えながら作ることも、私のモチベーション維持の、重要な要素である』と書いたが、逆にいえば、『こんなことも判ってないんだと気づく人が、どこかにいるに違いないと考える。』ということでもある。  背景の撮影場所は、すでに決めてある。それは人物に関わりのある歴史的建造物なのだが、別の場所から移築、再現されたものである。ところが中途半端なことに、かなり目立つ部分が再現されていないのである。古写真を見ると明かに違う。この建物の画像をネットで検索すると、外観を引きで撮っている画像ばかりである。美しい庭とともに、建物の全体像を撮って画になる場所なのであろう。しかし私はすでに形が違うことを知ってしまっている。デジカメ片手に探索する、一般人と同じようにしていていいのであろうか。考えられるのは2つである。1)再現されていない部分を入れずに撮影する。2)画像を加工し再現する。である。元型との違いは、よほどの人でないと知らないだろうが、私はそのどこかにいる“よほどの人”が、笑っているのではないか、と気になるのである。アダージョは、街歩きのお供に、という性質のフリーペーパーである。実景を変えてしまったら、アダージョ片手に現場を訪れた人たちが首を傾げることになりかねない。(その前に、なぜ元型どおり再現しない、といいたいのだが)また、背景として使用するにあたって、許可を得る必要がある訳だが、かってに手を入れてしまって、問題が生じないとも限らない。結局、主役の人物像をおおよそ完成させて、撮影時に考えることにする。  こう書いていると、私も案外細かいことを気にするタイプのようである。もう少し痩せてもいいようなものだが、こんなことを悩みながら作ることが楽しいのだから、そうはいかないらしい。

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昨日は一晩がかりで、先日アダージョ用に、埼玉まで撮りにいったものを合成するため切り抜いていた。なにしろ毛深いので厄介である。厄介なのは毛深いことより、どこにも在るというものではなく、後回しにしたら面倒なことになるので、主役ができる前に撮影しておいたのである。  ようやく晴れたので、背景の撮影に出かける。都営線某駅を降り、やたらと長い商店街を歩く。スピーカーから流れるハンク・モブレー。目的地に到着。事前に調べておいた通りの場所だったので、フィルム1本で終ってしまった。帰りがけ、商店街のいかにもな喫茶店でチキンライスの昼食。店内でロケをしたときの、上戸彩がウエイトレス姿の写真が貼ってある。ご主人に今回の特集人物が住んだ場所を知っているか聞いてみると、駅の近くに蕎麦屋があり、そこが実家だという。イヤ違う違う!実家は兵庫県である。帰りにK本で少々ひっかけ、作業の続き。そろそろ主役の仕上げにかからないとならない。  『ルビゴンの決断』という番組でホッピー・ビバレッジの再現ドラマをやっていた。K本に度々顔を出す女社長が主人公であった。K本は日本で一番ホッピーが出る店だとビバレッジの社員がいっていた、と誰かから聞いたが、延べで数えればありえるだろう。なにしろ女将さんから、昔瓶が足りなくなり、インク瓶まで使ったが、洗浄が足りずに青いホッピーが出てきた、という話を聞いたくらいである。女将さんは、焼酎だけを「中だけ」と注文する客を嫌がるが、あれは近所にあった洲崎遊郭をナカといったからだ、というのが常連の間ではもっぱらである。キンミヤ焼酎の社長も来るそうだが、あれだけ出れば、ご機嫌伺いにも来るであろう。70超の女将さんは小学生の頃から注いでる、というのだから、間違いなくギネス級である。

01/07~06/10の雑記
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