明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



熱は凡そなくなったが、未だ腹の調子が良くない、喉が渇くのでコンビニで飲み物をたくさん買う。店内の揚げ物が臭くて鼻で息ができない。いつかは、この状態を利用して煙草を止めるきっかけにした。舌の感覚も変で、ガリガリ君だけが美味しい。
本日ストラスのソフトフォーカスレンズ、ピクトリアルレンズ12インチが、Ebayで$3,250.00 で落札された。写真家の柳沢保正さんによると、柔らかく絵画的に写すソフトフォーカスレンズの数自体が少ないらしいが、聞くところによるとソフトフォーカスレンズの落札価格自体が妙に上がっているらしい。 私がやはりEbayで入手したのは、ひとえに写真家でもあったカール・ストラスが、このレンズで天才バレエダンサー、ニジンスキーを撮影している、という一点が理由であり、こんな曰くのレンズを入手すれば、良い作品が出来ることは間違いない、と思った訳である。このレンズにそんな理由で盛り上がるのは地球上で私だけだろうが、おかげで海外のサイトでも、このレンズに、日本人が何でこんな金を出すのか判らないといわれていたそうである。といっても私が入手したのは今回の落札額の半額以下である。そんなサイトを見た人が、必要以上に過大評価してしまった可能性はあるだろう。だとしたらご愁傷様というしかない。しかし処分する気がない物が値上がりするということは、実は思ったほど嬉しくないもので、必要なくて手放したい物に限って値上がりして欲しい訳である。

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昨日丸善の人形展には二点を考えていたが、それではあまりに寂しいと、二点追加することにしたが、止せばいいのに色を替えたくなり、塗り替えたら乾燥が不十分で、おかげで搬入時に一部剥げてしまった。塗りなおせばいいことだが、格好の悪いことになった。そんなこんなで、場合によっては撮りなおそうと思った場所にはいかなかった。天気予報を見ると明日は雨である。都心の○○だというのに、検索しても画像も詳しい番地も、相変わらず出てこなかった。
そして本日目が覚めると雨。これはすでに撮影してある背景を使えということだろう。元々そのつもりだったのだから、これでいいのだ。と思いながらやはり無理。万が一、と思うと諦める事ができない。これだけ気になるのだから何かある。 現地について、もよりの交番で聞いてみると誰も知らない。親切な交番で、地図で調べてポイントを紙にメモしてくれた。さらに雑貨屋でたずねることになったが、何とかたどり着く。耳の穴の、さらに奥のような場所で、これでは判らない。結果はというと大正解であった。傘を放っぽりだして濡れるのもかまわず撮影。とっとと撤収。 帰宅するとFさんよりアダージョの円谷号を見たと電話。タコが実物のタコだと思わなかったらしく、活き締めのタコのヌメリを糠で取って、というと呆れていた。毎号これほど面倒くさいことしている表紙などないだろう。というわけで本日も徹夜である。景気づけに最近繰り返し聞いている曲を。

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特集駅にごく近く、背景に当初考えたが検索しても出てこないので、すでに無いか、もしくはたいした場所ではないだろう、と住所も判らないままだった場所が。在ることが判った。行って見ないと使えるかどうか微妙であるし、この期に及んで撮影したとしても、今回はノーマルな色調にしないつもりなので、調整その他、入稿日に間に合いそうもない。 念のため編集長に聞いてみると、ぎりぎりまで待つとのこと。時間的にとても無理、という返事を半分期待していたのだが。困ったことになった。昔からギリギリになればなるほど新たなことを思いついてしまって、自分の首を絞めることは良くあったが、今回は編集会議で所在が明らかになったわけで、悩ましいことである。明日は丸善の人形展の搬入があるし、撮影するとしたら午前中早めに出かけるしかないだろう。  できれば現場を見たとたん、これはまったく使えない、来るんじゃなかった、ときびすを返して引き返せればいうことがなく、猛暑の中撮影し、すでに用意してある背景を使うのが一番良い。二番目は、やっぱり無理して来た甲斐があった。ここで決定。フレーミングを考えるまでもない。という場合である。そして三番目が一番恐れていることだが、撮り様によっては何とかなる。工夫をすれば使えるかもしれない。という場合である。こうなると入稿寸前まで身をよじることになる。今号の円谷でもよじったばかりではないか。 こんなことをいっていると望みどおりにしてやる、と現場が夜中に微妙にレイアウトを変えそうな気がするので止めておく。

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いくらか気温が低いようなので、午前中ロケハンに出かける。事前に目星を着けていた場所があったのだが、行ってみると工事中であったり、草が生えた地面が良かったのに、おそらくお盆で刈り取られたのだろう。味がなくなっていた。いくらかましといえどまだ暑い。自販機で水分補給しながら歩く。ここはどうか、と思うとコンクリートで補修されていて使えない。Yは近代的な物を画面の中に入れたくない。 屋根越しに木が茂っている場所に行ってみると、たいてい茂みの向うに一般家屋が透けて見える。東京も昔はスカスカで、文化人にちなんだ場所など限られていていて、凡そが都心ということになる。ちなんだ地域で撮影するといっても、戦災で風景が一変した東京では無理がある。それにYは、駄洒落や頓知の類が通じない相手である。  そうこうして路地を巡っているうち、切り取れば画になりそうな場所をようやく見つけ撮影。画として良ければいいというわけでなく、ここに人間大の物が立ってどうなるか、ということが肝心である。後は、ポーズなどを検討し、それを踏まえてもう一度来ることになるだろう。

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ようやく決まったアダージョ10月配布号の特集人物だが、我慢しきれず先走って写真集を入手し、写真資料的には、なんとかなりそうだが、またまた問題は背景である。この人ばかりは現代的な匂いを避けたいところなのだが、そもそも東京など、震災、空襲により、少々風情があると思っても、おおよそ戦後に作られた風景ばかりで、作りが安っぽい。もっとも、それが不満かというと、東京というところはそうしたものである。私は東京オリンピック以降、すっかり不感症になってしまい、東京の風景がどうなろうと知ったことではないのだが、街歩きフリーマガジンで背景が必要となると、そうもいっていられない。誰々と何処そこを歩くと、ただその通り、にしただけでは、つまらない表紙になることは目に見えている。時には頓知に近いような奇策をもって対処しなければならない。 以前の、片手に人形、片手にカメラで街を行く撮影方法は、創刊二号の向田邦子で早々に諦め、いかに野暮臭い現在の東京、さらに都営地下鉄駅近くに人物像を馴染ませ表紙にするか、頭を悩ませているわけである。今号の『坂本龍馬と大手町を歩く』は江戸城の大手門にたたずませ、中にハトバスのガイドや黒船ならぬ外人のカップルなどをウロチョロさせ、本来日本の将来を見詰めているはずの龍馬の表情が、『イメージと違っちゃった』。と見えたら幸い、といささか皮肉を込めてみたのだが、それで良かったのかもしれないが、あまり伝わらなかったようである。ブームの前であったら、いくら武田鉄也が尊敬する人物でも、多少ヨイショしたのであるが。 というわけでYである。今月25日に配布されるTが、特集地域に少々ご迷惑をかけており、やり過ぎてしまったので、次号はYだけに、シミジミと穏やかにしたいところなのだが、そんな場所が果たして見つかるのであろうか。

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Tの履く胴付き長靴は、本物のゴムシートを巻いてみたが、思ったようなヨレた感じが出ないので、結局粘土で作った。暑さの中、乾燥機にかける気にならず、久しぶりにベランダで干す。例によってあまり寝ていないのでウトウトしていると、階下のYさんより電話「今日なら空いてます」。「あのー、もしやってみて、入る場所がなかったら申し訳ないんですけど・・・。」※21日参照のこと 「別にかまわないですよ」。ここで名案が浮かぶ。今日はアダージョの編集会議がある。背景にYさんが入った物と入っていない物を持って行き、選んでもらって、Yさん案が選ばれなかった場合、人のせいにする、というアイディアである。  Yさん宅へ、着てもらう服を決めるため、Tの写真集を持ってお邪魔する。Yさん青い帽子を手にし、「これ昔、アメリカで買ってきてもらったんだけど」。後に“Episode I”と書いてある。スターウォーズである。「洒落になってて面白いんじゃない?」。私はジョージ・ルーカスが大の苦手なのだが、それより『字が読めるほどにはおそらく・・・。』 それはさておき、さっそく屋上へ。ほとんど後ろ向きで、立ったり座ったりしてもらい数分で終る。「あ、もういいの?」「イメージ通りです」。本来、当初から、背景に男がさりげなく立ち働く姿を入れるつもりが、ここにパラボラみたいなのがあるなら、空には先っちょにドリルが飛んでないと。(ヒント出しすぎである。他に何があるというのだ)などとやるうち、スペースが無くなって来てしまったのである。この場合、この人何をしているんだ、と思われてはいけないので、結局、下をみてただ立っているだけのYさんを採用。結果、アダ-ジョのロゴの上に、“一機”飛んでいたものを削除してバランスを取る。その頃にはYさん登場をほぼ決めていたが、私のことだから、土壇場で気が変わらないとも限らないので「おかげで一機外すことになっちゃいましたよ」と、Yさんには努力したことをアピールしておいた。

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友人から聞かされた話だが、私などが考える以上に、コダック、フジのアナログ製品からの撤退が進んでいるようである。彼はフィルムに関してもあと○年では、と具体的な数字をいっていた。 私は何年も手がけていないが、人形より、それを撮った写真、またそれを古典技法『オイルプリント』にしたものが、私の作品の最終形態だと、実は未だに考えているのである。ここまでくればアンタッチャブルな、私だけの世界である。こんなことやっているのは地球上で私だけだろう、とほくそ笑むひとときが無上に嬉しい私である。それはあまりに馬鹿々しいから、という理由でも一向に構わないし、むしろ望むところである。私は砂煙に紛れて消えてしまう大リーグボール2号のように、皆と同じということは、自分が消えてしまうことだと、物心付いたときにはすでに恐怖を感じていたはずである。そこにいち早く気付いた母が、“目立たず腹の中を明かさぬよう大人しく潜伏せよ”といい続けたのは、何度か書いた。おかげで知人から“「ああ、あの変わった人・・・」と言われるほど変わっていない。”と評される程度に留ったというわけである。  製品に負うところが大きいジャンルは、会社が儲からないと判断すれば、製品と共に消えていくのは当然である。そんなこともあり、古典技法を手がける人が増えているようである。私が『オイルプリント』を始めた当時、古典技法を試みる人は指折り数えるほど少なく、相談相手もおらず、大正時代の技法書、写真雑誌を集めて独習するしかなかった。8年前に『クラシック・カメラレビュ-』に、当時のことを書いている。そこで最後に“最近はフィルム、ペーパーなど製造中止になることがあるようだが、光と陰を定着する事にかけての先達の苦闘の歴史を垣間見て、一度体験してしまうと、仮にすべてが製造中止になっても、ハンコをもって薬品問屋にさえいけば、なんとかなるような気になるものである。”と書いた。製品の動向に左右される写真の弱点を、写真関連の雑誌だけに、遠慮していったつもりだったが、それがいよいよ冗談ではなくなってきた。

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『甦る江戸川乱歩の世界展』のウィンドウに、大きめに伸ばした画像を展示するというのでデータを送ることになっていた。会場の様子が判らないので、4、5カットの中から選んでもらおうとデータを送っておいたが、レセプションには区長も来るので、とどうも相応しいイメージではなかったらしい。またこれかという気もするが、気球にブラ下がる乱歩になった。 これはあらかじめ遠近感を誇張して作っておいて、さらに広角レンズで撮った物で、のちに多用することになる撮影法(撮影効果のみを考慮して造形したものを使用)だが、当時思いついて撮ってみたが、プリントされた物を始めて見た時のことはよく覚えている。 この像は一方向からしか観られないので展示には向いていないが、作る前にこう撮ろうと決めているので、写らないところは非情?なまでに作らない。よって撮影後、首を引っこ抜いて捨ててしまうものも多い。平面と違って立体の場合、角度によって雰囲気が変わるので、こっちからもあっちからも撮っておこうと未練がましくなるのを避ける効果もある。私の場合、シャッターを切る回数が多いほど、結果は悪く、確信を持って少ないシャッター回数が基本である。特に自分で作った物を撮影するということは、シャッターチャンスも被写体にではなく自分の中にある。  そういえば気球の乱歩は、作ってしまえば本当の空を背景に撮れるわけで、実際、人形片手にカメラを手持ちで撮影した記憶があるのだが、採用したのは、紙に空の絵を描いて、適当なボードがなかったので、襖に画鋲で貼り、屋上へ持っていってわざわざ自然光で撮っている。なんでそんなことをしたのか‭忘れてしまったが、マコトを写すという意味の写真という言葉が嫌いで、マコトなど写してなるか、とファイトを燃やしてしまう私である。“夜の夢こそまこと”の江戸川乱歩ということが頭にあったことは間違いがないだろう。この噓くさいモノクロ写真は、以前乱歩邸に飾っていただいていて、その様子が雑誌の表紙になったことがあるが、編集者は実写だと思い込んでいたらしい。そんな馬鹿なと思うが、見え方は人それぞれである。

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瀬戸内海よりクール宅急便で海産物届く。昨晩サッカー観ながら、すでに気が重かったが、実物見るとさらに倍増。恨めしそうな目でこちらを見ている。念のため2匹頼んだのだが、どう考えても注文した物より大きく思える。先方は、「東京から注文したお客さん、思ったより大きいのが届いて今頃喜んでいるだろうなァ」と思っているかもしれないが。そうは思いませんでした。 朝っぱらからいきなり作業を始める気にならず。煙草を未だに吸っていたなら、天井見ながらグズグズと、小一時間はふかし続ける場面である。結局、一匹は想定を超えたサイズだったので、小さいほうを撮影することにした。
“騒動”の詳細は書かない。ただ海産物だ何だといっておきながら、無難な第二候補に変更して笑われることだけは回避できた。 私は年末に、今年の私は昨年の私が想像しなかったことをやれただろうか、と考える。少なくともこの点に関して、まだ一年の、半ばにして成してしまった。 ただしこれは実のあること、芸術性の高さなどが基準ではない。文字通りのまま、想像もしなかったかどうかであり『馬鹿々しくて想像もしなかった』でも勿論立派にクリアである。そして私の中では、むしろ芸術性の高さより、こちらの方が得点が高いのがツクヅク残念である。  撮影も済み、アダージョ8月配布号で、特集人物につぐ、準主役ともいうべき海産物を肴に、昼間のできごとを思い出さないようにして日本酒を飲んだ。残りはすべて冷凍庫へ。

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相変わらず雲行きが怪しいが、万が一ということもあるので撮影に出かけることにした。門前仲町で早めの昼食を済ませ駅に向かうと、パラパラ降ってきた。今日は駄目だと、諦め引き返す。深川不動の参道で4、5人のオバさんとすれ違うが、折りたたみ傘を広げながら「ちょっとの間だから」。というのを耳にした。家でゴロゴロしている亭主を残し、オバさん達だけで美味しい物でも食べようと集まったのだろうが、出掛けに天気予報をチェックしてきたに違いない。「信じましょう」。もう一度方向転換して、駅に向かう。  先日来たばかりの撮影現場に着くと、薄曇だが、絶好といっても良い状態である。オバさんを信用して正解であった。オバさん々、と連呼したが、年齢とともに、オバサンのイメージも変り、すでに私の場合、お婆さんのことを差している。 アングルは決めてある。さっさと撮って長居は無用。門前仲町へ戻って喫茶店でお茶を飲み帰宅。チェックしてみると、撮り直して正解であった。よりイメージに近い。どんな手を使っても、失敗して良かった、というところまでは持っていかないと、悔しくて我慢できない。 昨日すでに構図など決めていたので、もう動かしようがない。練りすぎた構図に、風穴を開けてくれるのは、件の海産物であろう。さっそくネットで注文。万が一のことを考え、二匹頼む。漁のタイミングもあるだろうから、数日待つことになるだろう。問題はいくら活け締めで鮮度が良いといっても、所詮死んでいるのだから、果たして撮影に使えるものなのかどうか。これは届いてみないとなんともいえない。駄目だったらすぐ食べてしまい、第二候補を使うことにする。 アダージョが出ると表紙画像とともに、雑記から制作に関した部分を抜粋したページをアップするが、その際、多少の解説を加える。始めあんな物を使うつもりだったのか、と、かなり格好の悪いことになるのは仕方がない。

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昨日ロケハンをしてきた。ある程度の高さが必用なので建造物に入ることになり、許可を取る必要もあるだろうと、編集長にお付き合いいただいた。こんな時は、どこから見ても社会人の編集長にお出ましいただくわけである。とはいえ高級マンションともなると、管理会社には、契約で、一切そういう依頼は受けられないことになってます、と断わられる。かと思うと、隣り合ったビルの管理人の小母さん同士が立ち話をしており、アダージョを知っていて、どうぞ々と打って変わって有り難かったり。 帰宅後チェックすると幸いなことに、事前に目星を付けていて、許可も取らずに出入りできる建物の屋上で撮った物が一番よかった。ただ湿度の高いこの季節に有りがちだが、少々遠方が煙っており、遠近感が出すぎている。今回は奥行きがでてはならない。再撮とはいえ、フレームは決まったので、人物のポーズも、それに合わせて作れるわけだが、ここまでスムースに来ると、やはり件の海産物を使いたくなってくる。当初生きたまま撮影しようと思っていたのだが、色々考えると、思った通りにはいきそうにない。だんだん弱っていくのを見ながら撮影するというのも、あとで腹中に納め成仏させるとはいえ、気が引ける。そこで鮮度を保つため、捕ってすぐに締めた活け締めの物にすることにした。それにはまず背景を撮影して、後に合成する被写体に、どんな光を当てるか決めておかなければならない。 この海産物のせいで、制作中の人物が『たこ八郎』?という知り合いがすでに二人いる。今までのラインナップを考えると、アダージョに『たこ八郎』が登場するのは、もう少し先のような気がする。

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撮影二回目。本日も晴天。撮影ポイントは決めてある。直射光は人物像の立体感や表情に影響を及ぼし、なにより素材感がでてしまうので避けるのだが、今回は日除けがあるので、背景は直射光でも、人物には当たらないで済む。しかし前回、人物の上には陽を遮るものがある、という状況説明が画面内に不足していたので、人物が背景から浮いてしまうおそれがあった。人間の目というものは、そういう違和感には敏感なものである。そこを逆手に取れば、判っていても、人形が実物大に見える。 前回、もう少し後から撮れたら、と思わなくもなかったが、地面を工事していて、パイロンや柵があり、ヒキが撮れなかった。そこには警官の詰め所があり、立っている警官にどいてもらって横に立てばなんとかなりそうである。観光客に声をかける愛想のよい警官なので、頼んで、そこから撮らせてもらった。日本人だけでなく、外人観光客が多い場所なので、特に愛想の良いのが選ばれているに違いない。やはり連休中は人の行き来が尋常ではない。帰り際挨拶すると、「今日は人が多いからね。プロじゃないんでしょ?」ようするに仕事なら許可が要るということである。例によってあらぬ方向にカメラを向け、サンダル履きでプロの気配を消した、せっかくの変装?なのに。と思えば、“まさかあんたプロじゃないよな”という意味であった。帰宅後、編集長に申請をお願いする。これで後は背景を準備しながら、それに合わせた人物の身体を作る。今回は人物の表現には特に工夫を凝らさず、あえて有名なイメージに殉じるつもりである。しかし同じイメージでも、立っている場所によって、本人の考えていることも違って見えたら面白いかもしれない。

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撮影  


平日なら人はいないだろうし、午前中なら背景の建物が日陰になり、フラットな光線状態で撮影できるだろうと、朝の6時半に家を出る。前の晩、たいして食べていなかったので、6時から開いているT屋で朝食をと思ったが、夜勤明けのタクシー運転手のオヤジ達が、すでに宴もたけなわの可能性が高い。目立つことが嫌いな私は、つい飲ってしまって同化しかねないので、なか卯で朝定食を放りこんで出かける。 現場に着くと前回と違って、さすがに人通りも少なく、落ち着いて考えることができる。以外と扱いが難しいな、と数カット撮り、建物を正面からと思ったその時、バキュームカーが到着し、正面玄関にピタリと横付け。まるで、撮影に間に合った、とポーズを取っているかのようである。今時、バキュームカー?と思ったが、綺麗な青い車体なので、給水車かなにかだろう。陽が当たる時間まで間があるし、作業が終るまで待てばいいのだが、こういう場合、私はそうは思わず、これは撮るな、ということだろうと考える。なにしろ、あまりなタイミングである。このまま正面から撮っても良いことはないはずである。間違いは無い。結局、バキュームカーを避け、建物の部分をフィルム1本撮影し帰った。丁度いつもT屋に顔を出す時間なので、運送会社のKさんの顔を見て帰宅。 午後Dの塗り残し部分を仕上げ、撮影。

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一日  


最近、朝T屋に行くと、かみさんや運送会社のKさんに、まだ頭作ってるの?といわれる。もうできたよ。後は仕上げだけ。と何度もいっているからである。実際、完成していたはずだが、モヤモヤしたものが取れずにいた。昨日、返却しなければならない写真帖の、坪内逍遥の解説を改めて読んでいて、モヤモヤの原因は、やはりこの一文だと気付いた。なにしろ、写真を参考にするしか方法はないのに、そこに肝心な物が写っていないというのである。確かに、当時Dについて書かれた物を読んでも、写真の中のDとはイメージが違う。写真嫌いだというので意識的にそうしているのか、または、ニジンスキーが舞台上でジャンプした写真が残っていないように、当時の写真感材の感度が低いゆえの、長時間露光の問題もあるのか。はたして“あの表情は”長い時間は無理と、三代後の御子孫から間接的に伺った。 それならば私が作ろう。もう1人の私が止めるのも聞かず、たった一晩で表情が一変。スリル満点である。  本日目が覚め、恐々首を手に取る。確かに写真とは違うDになっていた。T屋で毎朝のように顔を合わす運送会社のKさんや、タクシー運転手のTさんには、すでに二、三回首を見せているが、今日は余りの変化に唖然とさせることができた。この愛すべき酔っ払い連に“よくできてる”などといわれているようでは、私は駄目であろう。  帰りにマンションのエレベーター脇の壁に貼り付けてある鏡を見たら、髭の中に白髪が2本。昨日は無かったはずなのだが。

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一日  


朝、T屋に行くと、すでに白髪に赤い顔した地元のタクシー運転手Tさんに、まだ60手前なのに、中学まで裸足だった運送会社のKさん。このメンバーでの、一言もためになる話が出ない、ぬるい一時は、私にとって何物にも代えがたいものがある。二人とも夜勤明けに飲んでいるわけだから、この脱力状態に巻き込まれるのは、一日の始まりに相応しいとはいえないのだが。元日大射撃部のTさん「俺、地獄ってないと思うけどさ、もしバットにとげとげついたみたいな棍棒もった鬼が出てきても、4人くらいなら鉄砲で倒せるんじゃないかと思うんだよね」この話は2度目である。「昨日の清水の次郎長観た?仕事中じゃなかったら石松助けにいったんだけどなあ」笑っている。これはいかん。振り切って撮影に向かう。  あらかじめアダージョ編集部より撮影許可を取ってもらっている。受付で書類にサインをし、撮影開始。向うから二人のおばさん。「かわせみいますか?」「いえ、鳥を撮っているんじゃないんで判りませんねェ」「あら、そう?さっきからヘンな所にカメラ向けてるから」「・・・・。」どうせ私はヘンなところばかりにカメラ向けてますよ。今日は人形を持ってないから良いようなものの、結構気にしているのである。だがしかし、今日の私はいつもと違う。腕には(財)東京都庭園協会の腕章である。これはつまり、ヘンなところにカメラを向けていても、深い事情があり、私はちっとも悪くない。ということを示しているのである。つまり堅気としての撮影である。シャッター音を気にし、カメラを懐に隠すこともない。罪悪感のカケラもないすがすがしい私は、青空の元弁当まで食べ、撮影を終えた。腕章を返しに管理事務所に行くと、園内の地図を示され、どの辺りで撮影したかを訊かれる。地図には升目がびっしりと引かれ、魚雷戦ゲームのようである。一枡1平方mで100円。「池の水面はカウントしないことになってます」。計算機片手の事務員。今回広い園内の、極一部を切り取ったのだが、真上から地面を撮ったわけじゃなし、遠景まで写っているから、「あのー、こっちの方まで写っちゃってますけど・・・」。もっとも、それは書類上のことで、今回は園の紹介もするということで使用料は免除、ということであった。地図の升目には驚いた。 自転車での帰り道、自転車に乗った若い警官が、人通りのない道とはいえ、車道を逆走してきた。成人式を迎えた諸君と違って、この齢になると警察官と気軽に交わることもない。この際なので、すれ違いざまに、下町の方言で思いっきり注意してあげた。 夜、高橋の『伊せ喜』にて、中央公論新社の“特命科”こと、アダージョの新年会。昨年暮れにここで鯰鍋を食べた時は、翌日各地で地震がおきた。メートルも上がり2次会は沖縄料理の『でいご』へ。編集長の、ある特集人物の提案に、一同唖然。大反対のデザイナーWさん。私は『に、日本に来たことないだろ?』しかし、これを逃したら二度と作る機会はないだろうと賛成。まあ明日になれば、昨晩の編集長の冗談、面白かったなあ、ということになるのではないか。

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