明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



以前にも書いたが、私が手がけた作家シリーズは、実は高校生頃までにイメージしたものが大半で、あとは二十歳過ぎが少々である。小学生の頃は、読書中、何も聞こえないくらい集中し、一方、TVと本を読みながら絵を描いたりして、どれか一つにしろと怒られたものである。今はとてもそんな芸当はできないので、人生の残り時間を考えると、ミステリーなど読んでいたらまったく危険であり、何も作る気がなくなったら、ゆっくり読もうとあえて読まないでいる。 最近は、もっぱら資料としての読書ばかりだが、それはそれで満更ではない。子供の頃から好きなものばかり読み、嫌いなことに目を背けて生きていたら、どうしたって拙著『Objectglass12』のようなラインナップにならざるを得ない。というわけで、仕事でなければ一生読むことはなかったろう作家に接することも、最近は楽しくなってきている。これから制作に入る、私がかつて蛇蝎のごとく嫌った男も、頼むから誰か私に無理やり読ませて、私一人ではどうすることもできない(何しろ嫌いなのであるから)制作創造の快楽を与えてくれと、思っていたのである。 そうこうして新潮社より、装幀画を担当した『われらが歌う時』上下巻 リチャード・パワーズ著が届く。翻訳物を読んだのは何年振りだったであろう。作中人物とはいえ、黒人を作ったのも10数年ぶりである。自分ひとりで作り出す快楽には限界がある、と思う今日この頃なのである。

01/07~06/10の雑記
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