明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



以前から釣りに行こうと行っていた編集者Sさんとでかける。私の自転車を貸して木場から出発。いまどきこのあたりは、せいぜいシーバスくらいだといったのだが、ノンビリできればいいというので、途中でビールを買い、今まで何も釣れたことがない豊海埠頭へ。月島の釣り道具屋で餌を買うも、釣れるのはスズキ(シーバス)くらいだと先制パンチ。だからいったろう。 ここはTVドラマで夜景のラブシーンに多用されるが、後ろは冷凍倉庫が並んでおり、常時大型トラックが出入りしている。釣り人はルアー釣りの一人だけ。  Sさんとは『月刊 美術の窓』のタルホ特集で知り合ったが、その後会うたび出版社が違い、2度目の取材はニジンスキーの個展であった。その後パロル舎で、彼の編集で1冊目の作品集『乱歩 夜の夢こそまこと』を作った。今思うと、よくあのような物がと思うが、今の出版事情では、とても無理だと彼はいう。取材で始めて会った時、私がデジタルなどまったく興味がない、といっている某雑誌のインタビュー記事を持ってきたが、その雑誌が出た時点では、黒人ミュージシャンの人形から転向し、渋澤に次いで、2体目の谷崎を制作中であった。 私がまだ何も始まっていない気がするというと、大口開けて大笑いするSさんだが、私は相変わらず模索中であり、本気でそう思っているのだが。ある人には、私が時間の有限性に気付いておらず「子どもは、ただ今にだけ在る」などといわれる始末だが、それはまったく逆であり、変り続ける間だけ、中学生の時に、母方の祖父の亡骸を見て以来の恐怖が薄れるのである。その点、技術系の仕事は良い。社会の事情その他、外側の諸々とは関係なく一人研鑽できるからである。あれだけ死ぬのが怖い私が、1年だって後戻りしたくないと思えるのは、昨年できなかったことを今年はやれるよう、心がけているからである。私にとって去年と同じ私ということは、寿命が1年縮んだだけ、という恐ろしい状態なのである。子供ができて嬉しそうなSさんであったが、その子が小学校に上がる頃には、私も随分変化しているはずだ、と思うのであった。  案の定、釣果なし。餌のイソメは齧られもせず。木場に戻って、ヒマそうにしてるK越屋で飲む。Sさんが同い歳って誰がいるか聞くので、千代の富士は2つくらい上だし、柔道の山下かなあというと、Sさんは貴乃花だそうである。なんだよ、ついこのあいだ「アドデ~、ボクデ~、大キクナッタラデ~」なんていってたんじゃねェか。

01/07~06/10の雑記
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