明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


昼過ぎに新宿へ。オカダヤへ行き、アダージョの特集人物の履くズボンの生地を探す。特殊なズボンを穿かすので、粘土で作るよりいいと判断。子供の頃、生地売り場は目に沁みるので嫌でしょうがなかったが、今は何故か沁みない。今回使うのはほんのちょっとだが、少ない単位で買えるのが良い。生地をカットしてくれる女の子も感じが良かった。 大江戸線に乗り、牛込神楽坂へ。袋町にある親戚の寺へ父の墓参り。本日で丁度五周忌である。良いんだかどうなんだか、父のいいそうなことは大体判るので、父が生きていたら、どういうだろうとか、相談したいことなど一切ない。おかげで、亡くなってはいるが、という感じである。私との共通の話題はプロレスくらいであり、入院中、スポーツ新聞をもって行き、話題が尽きると、間が持たず、ただ黙って背中をさするしかなかった。保守的な人間にありがちだが、父はアントニオ猪木派であり、反対に私は馬場派であったが、話が終ってしまうので、私も猪木派ということにしておいた。よって父は私が馬場派と知らずに死んでいった。 従兄弟の副住職は10年以上ブルースハープをやっていると最近知ったので、本堂にて、彼のブルースハープと私のギターで軽くセッションする。彼は副住職以外にも別な顔があるのだが、そこが面白い、とかいわれたらしく、檀家の出版社から自費で本を出すことになったという。以前、本を2冊しか読んだことがないと豪語してたような男なので、苦戦しているようである。牛込城跡に立つこの寺には、永井荷風が訪れたことが『断腸亭日乗』に出てくるし、種村季弘もサライの『東京《奇想》徘徊録』で、便々館湖鯉鮒の墓を観に来ている、と教えてやっても通じない。そういえば2人で長く話したのは、父の亡骸を横に、蝋燭を絶やさぬよう朝までついていた日以来であった。 眠くてしょうがないが、K本に寄り、キンミヤ一杯で眼は覚める。80近いのに頭髪真っ黒、癌も克服、やたら元気なSさんが今年もピーマンを植えたと教えてくれた。Sさんのもぎたてピーマンを塩ふって齧ったら、他所では食べられない。

01/07~06/10の雑記
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