明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



忌野清志郎亡くなる。私は当然フォーク時代の『ボクの好きな先生』から知っている。 その先生とイメージが被るのが小学校時代の図工のK先生である。私は小学校低学年当時、なんでみんなが筋肉がない棒のような手足で地面に倒れている、平坦な人をを描くのか理解できなかった。太陽から出ている放射状の線も。私の描く絵は同級生は認めてくれていたが大人は違っていて、これは子供の絵ではない、というのが決まり文句であった。私の絵だけ忘れたといって、コンクールに出品してくれないことさえあった。4年生になり専科の図工の先生として出会ったのがK先生である。先生には放課後や夏休みに、図工室に来るようにいわれたが、怖かったので、不良に絡まれた、といってサボったりした。私には不良より怖かったわけである。児童の版画教育では、それなりに知られた存在だったらしい。あるときお前の絵が国語の教科書に載るかもしれない、といわれたことがある。しかし結局青森の女の子に決まった。そのとき聞いたのも、やはり“子供の絵ではない”であった。子供が描いているのに子供の絵ではない、とはどういうことなのであろうか。私は中学に入り美術部に入ったが、生徒に組合のプラカードを作らすようなボンクラ教師で退部した。高校に入っても美術部に入ることはなかった。18の時、K先生にガード下の屋台に連れて行ってもらった。そのとき初めてチューハイを飲み、煮込みを食べた。私がホッピーで有名なK本でホッピーを飲まず、チューハイを飲み続けるのは、ひとえに、あの時K先生と飲んだチューハイの味と同じだからである。先生はボケた末に亡くなった。
5時に先日岩崎宏美さんと入籍した今拓哉さんを囲んで飲み会。今さん含めて7人、K本の常連が集う。古今亭志ん生ファンの今さんには、K本が背景の火焔太鼓を背負う志ん生のプリントをプレゼントする。今さんの指に光る指輪を前に、ああだこうだと。お祝いといいながら、いつもと変らぬ馬鹿話で終始する。2次会は相撲甚句で有名な元力士、大至の妹の店へ。大至がカウンター内に。塩ちゃんこが美味かった。

01/07~06/10の雑記
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