明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



完成したはずの日影丈吉の頭部。どうもアノ感じがでていない。といってもアノ感じとは何か、というと実は良く判らない。アノがあることは判っているのだが。だいたい完成した頃、毎日穴の開くほど資料写真を眺めつづけてようやくアノ感じがわかってくるので、おかげで完成した、といってはまだだった。ということを繰り返すわけである。そしてそこから粘ることになる。アノ感じとは何か。そのちょっとしたニュアンスが肝腎で、そこを逃げると後悔することになるのだろう。会ったことも、まして口をきいたこともない人物だから、それこそ脂汗を流しながら、御遺族以上に写真を見詰めなくてはならない。当然御遺族とは見詰めるポイントが違うのだけれども。

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