明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



来年定年で田舎へ帰るK2さんが、今のうちにやれることはやっておこう、というわけか、女性を連れてきた。事前にお手柔らかに、というメールが回ってきたので、そちらを見ないようにしていた。どこの店でも飲むと声が大きくなり迷惑なのだが、ヒソヒソと話している。なんだやればできるじゃないか。しかも自分のことを“僕”なんてぬかしていやがる。敬語を使えることも初めて知った。腰の低きこと、谷崎潤一郎『春琴抄』の佐助の如しである。可笑しいのなんの。武士の情けで突っ込まないでいてあげた。 拙著『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)で笛吹と踊りの師匠の夫婦と房総の海辺に旅行に来る師匠仲間の娘をやってくれたAちゃんは、撮影直後に結婚したのだが、妊娠したと聞いた。河童に目をつけられる重要な役どころをやってもらった。その前年には、三島由紀夫の『潮騒』の初枝をやってもらっている。この時は撮影日にヘアースタイルが昭和的でなくなっていて焦ったが、河童の時は、たった数ヵ月で痩せてしまって面食らった。着物の下にタオルを巻いたり、ほっぺたを膨らませたり。何しろむっちりした娘と書いてあるのでしかたがない。今にしてみれば色恋が原因だったのは間違いないだろう。一般人を起用する場合は注意を要する。その後、旅館の番頭にも撮影直前に床屋に行かれてしまったのであった。

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