明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日出てきた小学生時代の通信簿に書かれていた。「掃除の時間に何をして良いかわからずふらふらしています。」つまりこれは生まれつきの病気であって、私に責任はないと思う。 本日、金気の物は何でも持っていってくれる、という中国人の業者に来てもらった。感じの良い二十歳の青年と彼女のコンビである。ブラウン菅型テレビこそ一台五百円かかったが、アルミだろうと鉄だろうと何でも良い。壊れていようがおかまいなし。リサイクルというより溶かして使うぞ、という感じである。掃除機など側がプラスチックなので遠慮してしまったが、中に金属があれば良いという。そうなの?デスクトップパソコン四台は持っていってくれたが、さらに25°~35°のアルコールのせいで駄目にしたノート型が何台もある。金属がむき出しでなくとも良いなら、他にもあるのでもう一度来てもらうことにした。 部屋を片付けようと頭のすみにちょっと浮かんだだけで、制作意欲が全身にみなぎってきて作らずにはいられなくなる。私は自身のこの特殊な仕組みを利用して、どれだけ作品を制作してきただろうか。逆にいえば、片付けていたら産み出されなかった作品がどれだけあったことであろう。ということじゃありませんか?と私は誰に向かっていっているのであろうか。

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