明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



午後、小、中、工芸学校の先輩で陶芸家をすでに引退のSさん来る。それにしても解せないのは皆口を揃えて一様に「私の家に行くなら今のウチだ。」言ってる意味がさっぱり判らないのである。 Sさんとは昔、茨城県は高萩市のイノシシが出て畑を荒らされ廃村になった所で陶芸をやった仲である。4キロ四方に人は住んでいないと言われた。私は食事当番だった記憶ばかりであるが。湧き水を竹を割った樋でひいてきたが水道は外で、食器を洗ったそばから凍っていった。しかじその前にいた岐阜県の陶器工場はもっと寒かったけれど。何しろ出勤早々、釉薬に張った氷を割って、そこに素焼きの器を突っ込み何百枚も薬がけする。さすがに工場長が熱帯魚用のようなヒーターを入れてくれたが。高萩のふもとでは、赤軍派が来た、と噂されていたことを後で知った。 今考えてみると、轆轤をやりながら窯の温度を気にしたり、乾燥具合を按配したり、総合的に作業を進める、なんて事が私は最も駄目で、あるパートの職人にはなれても作家は無理だったろう。目の前のそれにしか責任が持てない。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し
『石塚公昭 幻想写真展き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界

 



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