明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

眉唾  


元々狭い所が落ち着くタイプではあったが、ここ5年ほど、人形作ってはその場で撮影し、椅子をクルリとパソコンに向かい、すぐにデータ処理。作業する場所など一畳もあれば事足りる、と思っていた。その場所でくたびれて良く寝ていたし。これから作業するところは、畳に文机ではあるけれど、落ち着いて作業が出来るだろう。椅子に座らなくなって脚が浮腫まなくなった。 

昔は陶芸家を目指したが、手元には、その形跡は一つも残っていない。母にはちょっと欠ければ捨てられてしまったし。となると、人にあげた物が未だに残っているかもしれない。私が初めて作った黒人の上半身だけの素焼きの人形はバラバラではあるが友人が持っている。しかし、いつか写真を撮らせて貰おうと出かけたが、あまりにお粗末で撮ることができなかった。 卒業制作は二枡徳利であったが、乾燥と焼成で縮まるので、二枡に達したのは僅か三本であった。そのウチの一本が九州で無事で、あんな下手クソな物を良く持っていてくれたと感謝しかない。それを近々送ってくれるという。四十数年ぶりの対面となるが、実を言うと、本当に二枡入るのか、少々眉唾ものだ、と思っている。 

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』
『石塚公昭 幻想写真展き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界


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江東区芭蕉記念館に収蔵された芭蕉像を三階に移した、というので雨の中出かける。そう言えば、収蔵当時、あまりにも髭が泥棒調だったので、いくらか薄くするため修正に出かけたが、展示されている所はまだ見ていなかった。完成し、まして嫁いでしまえば、もはや他人だ、くらいに私は冷たい。できてしまった作品に対し温かいも冷たいもないけれど。 しかし制作中、私は珍しくカッカしていた。俳句の枯れたイメージに利用されているのだろうが、全国の芭蕉像が、私より年下の芭蕉が、ヨボヨボのシジイ扱いなことに腹を立てていた。そこでイメージが違うと言われるのを承知で、嫌味なくらいに芭蕉の門弟等が描いた肖像、つまり間違いなく芭蕉を見知っている連中の絵のみを参考にした。日頃本当の事などどうでも良いなんてほざいてる割に、つい意地を張った。 しかし、夏目漱石のように、鍵鼻を写真師に修正させ、つまり本人に嘘をつかれてしまえば、一介の人形作りがホントは鍵鼻だ、そんなこと気にしてるから胃を病むんだ、といった所で文豪の肖像はこれからもあのままであろう。 ところて毎年各地で、芭蕉サミットがおこなわれるが、来年は芭蕉記念館でおこなわれる。そこで奥の細道旅立ちの地深川として、もう一体制作することになった。勿論、二体目はただ突っ立っている芭蕉ではない。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』
『石塚公昭 幻想写真展き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界


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