明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




朝からくしゃみ鼻水が止まらず。母が膝から下の蜂窩織炎で入院。もう五回目くらいだろう。蜂窩織炎にも色々あるようで、痛々しく腫れるが、さほど痛みがないようでいつもケロツとしている。入院手続きと、御茶ノ水に材料を買いに行くつもりでああったが、今日は止めておいた。 屋根の制作に入ったが、設計通りだと、高さが低く、屋根裏的な、うねる太い梁が設置出来ない。これこそが作りたいので、設計変更し、屋根裏のデイテールがある程度造れるスペースを作った。例によって行き当たりばったりである。他人のマイホームを作っているのではないのが幸いである。 先日某女優が家族との団欒を過ごした後、自殺した。都会の中の孤独については江戸川乱歩も書いているが、家庭の中の孤独というものもあるだろう。それはお父さんが家族と同じ洗濯機でパンツを洗って貰えない、等という自業自得としかいえないような安っぽいものではない。私は自分が家族に囲まれ、楽しい団欒であるほど孤独感に苛まれ、いたたまれなくなる自分を容易に想像が出来る。それは楽しければ楽しいほど、それに相反して。これは私が幼い頃家族とナニがあったという訳でなく、そういう性質なのであろう。その代わり、夜中に、こんな馬鹿な物を制作しているのは地球上で私だけだろう、という時、えもいわれぬ幸福な孤独感に襲われる。先日、同じく鍵っ子であった創作家の友人と、あの頃空想に耽った経験が我々の基礎になっているな、という話しをしたばかりだが。あの女優は、頭でイメージした家庭と自身にズレがあったのではないか。頭でこうすべき、などと考えるより、己の奥底から沸く声に耳を傾けるべきである。私はずっとそれに従っているうちにこんな事になってしまったが。 子供が口を開けたまま東の空を眺めていたなら、頭をはたくなりアンモニアを嗅がせるなり対処すべきだが、その時はすでに手遅れかもしれない。



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