明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ようやく屋根裏の構造部分が小屋の上に乗る。下から覗くと屋根裏調である。ただこれは屋根が乗っていないからそう見えるが、屋根が乗ってしまうと結構暗くなるだろう。天窓を作る訳にも行かない。しかしこれはもう私には関係のない事である。 全体を把握しつつ事を進める。これこそが私の苦手とする所である。なので一歩進んで二歩下がって、すでに作った部分を剥がしたり、新たに思い付いて柱を切ってしまったり。しかしこういう試行錯誤は、必ず結果として滲み出るはずだと考えている。そうでなければやっていられない。 制作工程において不都合が起きるのは、昔目指した陶芸作家が向かなかった大きな理由がこれなのだが、全体を把握しつつ事を進める、ということが苦手である。目の前の、手の届く範囲の事しか責任が持てない。 『寒山拾得』は、先日拾得に持たせるホウキの素材を見つけた事で、ここからスタートさせるのも悪くないな、と考えている。水槽の中に入れておいたミニチュアのホウキは、金魚に喰われて柄しか残っていない。



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屋根の構造部分をおおよそ作る。組み立ては明日に。今のところ屋根がないし、正面も板戸を外して立てかけているという想定なので、今のうちに内装の下地部分に手加える。電灯があるわけではないので、解放部分を多めに取らないと、室内が暗すぎてしまうだろう。 ブログが建具屋のブログみたいだといわれるが、これは仕方がない。11月25日の三島由紀夫の命日だが、気が付いたら過ぎていた。この十数年の間で初めてだが、三島に見せてウケることしか考えないで制作してきた『三島由紀夫へのオマージュ男の死』だが、常に作者にウケることが頭の隅にある考私だがだが、こと三島に関しては、個展で見ていただく方々のことは一切眼中にない、という、私にしても前例のないモチーフである。もっとも、このテーマでは観客に対してサービスのしようがない。本家篠山紀信撮影の男の死の出版の噂の影に、怯えながら一日でも先に、と制作してきた成果に、一つ呆れて下さい、とでもいえば良いのだろうか。 あえてもう一作品といわれれば、三島らしくて好きな小品『サーカス』を手掛けてみたかったが、空中ブランコ乗りの娘役を探しているうに手が回らなくなり断念した。前回の男の死では思い付くこともなかった『椿説弓張月』は陰影のない浮世絵調で石塚式ピクトリアリズムをもって取り組まなければ実現不可能で、特に三島に見て貰いたかった。ニューヨークで出版された篠山版男の死は、未だメールで送っていただいた数カットしか見ていないが、痛ましくて可哀想で、他のカットを見たいという気に今だなれないでいる。宮崎美子のカレンダーは今すぐでも見てみたいものだが。



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