明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



それにしても。芭蕉庵を制作するということは、どう考えても、背景を日本的逆遠近法に作る為の前振りとしか思えない。こんな工作などしたことがない。どこかで絵図を描いている客観的な存在があるのか、と空を見上げたくなるが、お姉さんが、バックから取り出し、クランクを回すと始まるブーフーウーに出演する豚になったような気分である。出来るだけ性能の悪い頭で考えずに、腹の中から湧いてくる声だけに耳を澄ませると、何かに導かれるような連鎖が起きる。私はそれには無条件で必ず乗る。まだ芭蕉庵の制作に入っていない頃、画像処理で逆遠近法をやっても上手くいかなかったので、これは最初から歪めた背景を作ったらどうか、思い付いた時、この後芭蕉庵を作るのだ、と。こういう偶然の連鎖という物は私にはお馴染みであり、このお陰で、思いもしないあらぬ方向に枝葉を伸ばし変化してきた。 そのために最も危険視していたのは、余計な情報を取り入れ、余計なことを知ってしまうことであった。ただ学べばいいとは思えない。一度学んだ物は出て行かない。それがいずれ自分の首を絞める時が来る。それを恐れ、身を守り、余計な頭を使わないことを心がけた。ずっと独学を貫いて来たが、博物館に行けば分るが、親から子へ、師匠から弟子へ、先生から教え子へ、学んで行けば良くなるはずが、今では作り方さえ判らなくなっている物さえある。師がいれば、回り道を避けられたのではなかったか、と昔は考えたが、他人から学んだ時に、大事な物を取りこぼし、取り逃がす事がある。それを逃がさない為には独学を貫け、と博物館は私にいうのであった。



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