明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



最近訃報ばかり耳にしている気がする。コロナで忘れがちになっているが、放射能の影響は関係ないのだろうか。あまりノンビリもしていられない。 午後ホームセンターへ。壁や戸を作りながら、これを組み立ててしまうと、内装がやりにくくなる。出来上がった部分を剥がすのはもう懲りたので、この辺りから順序を慎重に考えながらやらないとならない。窓二つが完成。一つは閉じた状態。やはり実際の家屋とは勝手が違う。端材で文机も作ろう。明日は漆喰に相当する物を作り、明後日には左官屋のまねごとをしたい。 昨日ホームの母に電話した際、芭蕉庵を作っている話をすると、父が生きていたら手伝って貰えたのに、という。小学生の夏休みの宿題じゃないよ、という話だが、そういえば毎日のようにホームセンターにかよつていると、日曜大工好きであった父のことを想い出す。父愛用の手製の工具箱には、抜いて曲がった釘まで取ってあった。



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人間の容量などおおよそ決まっているものだろうから、使いもしない技術は身に付けてはならない。知識も同様、学べば良いというものではない。ついでにいえば写真は写真から、造形は造形物から学んではいけない。ずっとそうしてきた。独学者としての勘がそういうのである。よって必要な事は、必要になってから学ぶ。芭蕉あんは昨日、自分が非効率、非合理的でなにより見映えが悪いやり方をしていることに気付き、せっかく時間かけて作った壁2面をベリベリと剥がす。失敗した時は絶対に許さず、あの時失敗して良かった、となるまで無理矢理持って行く。骨折と同じでかえってそこが丈夫になる。みたいに。ただの後戻りは悔しくて耐えられない。 本日は窓と外壁、縁側、木戸を作る。奥の壁面は、内壁、また予定している棚を作るために取り付けず。方々の変更で、足りるはずの材料が足りなくなった。 寒山拾得水槽は、すばしっこい長もの(体形がフナに近い)三匹をベランダに出向させたが、お陰で他の丸ものが、早く食べないと餌を食われてしまう、と焦る必要がなくなり、落ち着いてきた。餌くれとジタバタするのは始めだけで、あとはのんびりして、餌がなくなるまでの時間が延びた。よってそれを見ながら食事する。ジタバタ見ながらの食事はあまり愉快とはいえない。金魚は外で飼う方が綺麗になり良いという。本来上から眺める物のようだが、どうしても目が合う状態で飼いたい。来年はベランダに水槽を設置し寝転がり眺めてみたいところである。

 



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