明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




 


それにしても様々な事を経て、コロナという彩りまで加わり開催された今年5月の『三島由紀夫へのオマージュ展 男の死』だが、5ヶ月後に篠山紀信版が出版されるという、誰が一体絵図を書いている?という結末であった。企画者である薔薇十字社の伝説的編集者の内藤三津子さんに新宿の中村屋でお会いした時の事を思い出す。あれが出ていたら薔薇十字社は潰れなかった、とおっしやつていた。またモチーフはすべて現代であり、サムライなどの時代物は絶対に無い、企画者の私が言うのだから間違いない、とも聞いたが、おそらく『仮名手本忠臣蔵』四段目判官切腹の場をイメージしたであろう、死に装束の武士が頸動脈に刀を当てているカットが掲載されていた。ある編集者から、そのカットを撮影中の篠山の背後から撮られた写真のコピーを貰っていたが、つまり企画者に知らせず、内密に三島と篠山紀信が撮影を行っていた事になる。権利はすでに篠山に譲られていたが、この事実を50年ぶりに知り、内藤さんはどう思われたろうか。 撮影は三島のアイデア、主導で行われ、篠山はただ撮らされているようで、面白くなかった、と言っている。その通り、三島のマスターベーションに篠山は付き合わされただけ、という感じである。しかしそれもこれも、あの事件の直後の出版なら、マスターベーションだからこそ意味があった。 昨晩は久しぶりに痛飲してしまったが例によって、何事もなかったかのように目覚めた。こんな時くらい二日酔いで、なんて言いたいところであるが、二十代の頃、一度しか二日酔いはしたことがない。愛想のないことである。 作業台の上が、ミニチュアの資材置き場のようになつていたが、ようやく屋根を残し、東屋の基本的部分が立ち上がった。これで、後どんな材料が必要かが、目で見て明らかになって来た。土台の基礎作りより、まず天守閣から、というこの性格を見越しての、元大手ゼネコンの部長のアドバイスが効いている。



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